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少女漫画と小説の感想ブログです

隠しゲストはラスボスではなく真ヒロイン。逆・世代交代という革命が起きる。

ペンギン革命 6 (花とゆめコミックス)
筑波さくら(つくば さくら)
ペンギン革命(ペンギンかくめい)
第06巻評価:★★☆(5点)
 総合評価:★★☆(5点)
 

涼&綾織が共演するピーコック総出演の映画『夢の階段』は大成功! 映画祭にも招待され、モナコへ来たゆかりたち。そこで明かされた次回作、そして、ゲストとして現れたのは、あの人!!

簡潔完結感想文

  • 劇中劇で過去を おさらい。でも事務所も作者も都合の悪い一点は意図的に隠す。
  • 母からの無償の愛も、大切な人の愛情も、それは涼のものだから真は受け取れない。
  • 真に続いて涼も覚醒して、2つの才能で「彼女」は目覚める。全ては社長の計画通り。

倒的なオーラでヒロインもヒーローも存在感を失くす 6巻。

男装バレによって ゆかり を巡る三角関係が正式に成立してるし、作中の伝説の舞台への期待感も高まる展開なのだが、どうしても心から作品を楽しむことが難しい。なぜなら作者がずっと描きたかったのは丘よう子(おかようこ)と舞台「夢の階段」で、涼(りょう)と真(まこと)の2人は その再演に必要な駒に過ぎないように見えてしまうからだ。スターの2人がそうならば、ゆかり は言わずもがな。ハッキリ言って彼女がいなくても物語は進む。ただでさえ微妙な立ち位置だった ゆかり が完全に観客席に押しやられてしまい、彼女はヒロインの座から転げ落ちる。

その中で大変 面白いと思ったのは、丘よう子と彼女と二人三脚でスター街道を駆け抜けた事務所の社長、そして丘よう子が最初に所属した安岡(やすおか)プロの社長の3人の関係性が、ゆかり と涼と真の3人に重ね合わせられる点。

この配役を通して見えてくるのは、安岡社長と同じような真の将来ではないか。安岡社長は丘よう子を大事に想い過ぎて彼女に本心を伝えられないまま、彼女と会話することも ままならなくなってしまった。同じように、真も自分の ゆかり への気持ちに遅れて気づきながらも、先に彼女と一緒に歩いている涼に遠慮することで真が ゆかり に何も言わないまま終わるのではと考えられる。真に同情するのは、意地を張っていただけの安岡社長とは違い、真は ゆかり を男性だと紹介されていた。『6巻』でハッキリと ゆかり が女性だと認識するまで彼は ゆかり への気持ちを家族愛だと思っていただろう。奈良崎(ならざき)は ゆかり の性別などお構いないようだが、真は そこまで強い感情を持てずにいた。真が鈍感というより、涼とのスタートラインが違うことが結果に影響している。

俳優2人と事務所関係者1人の現在と逆の、事務所関係者2人と女優1人の過去の三角関係。

『6巻』で強烈に印象に残ったのは、真が切望するものを彼が手に入れられないという現実。これまで圧倒的な才能を見せて、時に涼を凹ませてきた真だが、プライベートでは彼は誰にも甘えることが出来ないまま。誕生と同時に母を亡くし、幼い頃に父は事故死。母親のように触れ合いたいと思い、彼女を目覚めさせるために才能を磨いてきた丘よう子は結局、涼の母親であるし、自分に手を伸ばしてくれた ゆかり も涼にとって大切な人。そして自分の境遇を考え、彼は愛を求めない。10代で圧倒的な才能と名声を獲得した真だが、プライベートは愛に恵まれていない。「家族」と認めた者と一緒に食べる時しか食事の味がしないぐらいに彼は現実と隔絶された意識の中に生きているのかもしれない。

今後 ゆかり や涼と離れて暮らすことになった時の彼が心配だ。地位と名声によって悪い遊びを覚えて破滅しなければいいが。


かし そんな真の純真な心も、丘よう子の目覚めに必要なアイテムの一つでしかないのが残念だ。今回の題名にもしたけれど、作者は丘よう子を「ラスボス」と称しているが、どうも力の入れ方からいって彼女がヒロインの物語に見えてしまう。

連載における様々な進行の問題がありそうだが、いつの間にかに涼の「才能」の覚醒が継続しているのも気になる。幼い頃、真1人の才能では一日だった丘よう子の目覚め。それが真と涼の2人の共演によって持続する。それは彼らの弛まぬ努力が実った事の証明で感動的ではあるものの、どうしても私には2人が前座の位置に配置された印象を受けて残念だ。

劇中劇によって、これまで謎だった部分が どんどんと明らかになる手法は面白いと思った。これにより涼の上昇志向の強さも母と会うための手段だったし、真が俳優に没頭するのも「母」に頭を撫でてもらいたかったからだと分かる。ゆかり を含めて誰もが優しく、そして寂しさを抱えている。3人は3人とも母を失っている。当たり前の愛情を与えられなかったから彼らは、寂しさを持ち寄って家族になれたのかもしれない。

でも結局、丘よう子と伝説的な舞台「夢の階段」を描くのが作者の真の目的。それは作中では丘よう子の夫である社長の狙いだろう。結局、ゆかり と涼との二人三脚も社長によって仕組まれ、その最終目標は丘よう子の鍵になること。涼の演技力向上を割愛し続けてきた本書だが、彼の才能もアイテムとして消費されたように思えてしまう。

『ガラス の仮面』における「紅天女」は月影(つきかげ)先生が絶対に舞台に立たない前提があったが、本書では月影先生も主役を務める。真はともかく、涼が丘よう子と対決するにはキャリアが浅すぎて勝負にならないような…。それもこれも作者は才能で片付けてしまうんだろうけど。


中劇は一つの真実を隠したまま進行する。そして この真実を考えた時、読者は混乱する。

それが涼の誕生である。真と同級生であるはずの涼の存在は劇中劇で描かれていない。これは描いてしまうと涼が丘よう子と社長の子であるとバレてしまうから意図的に隠蔽したのだろう。

しかし描かれている内容からすると、社長は事務所の経営のためにも売り出さなければならない女優・丘よう子を妊娠させて、出産と合わせて短くない期間の休業させている。涼たちは同級生だからさそり座設定の真の後に、みずがめ座設定の涼は生まれていることになる。この頃の劇中劇による描写を見ると丘よう子は巨匠に見つけてもらう前後で、まだまだ丘よう子も売り出し中で事務所の経営も安定していない。その時期に妊娠・出産は可能なのだろうか。社長は家族計画も、経営計画も甘い。

劇中劇では涼の存在を無視しているから丘よう子のキャリアアップが自然に見えるが、よくよく考えてみると、メディア露出のゲリラ作戦中に妊娠しているのだ。この辺、作者の中では どういう考えだったのだろうか。せっかく大事に温めてきたであろう丘よう子の過去編なのに、ちょっと詰めの甘い部分があると思った。


き続き、丘よう子の半生をモデルにした劇中劇で涼と真の両親のことを描く(劇中では全員 別の役名を与えられているが、感想文は作中の名前で通す)。
丘よう子のために安岡(やすおか)プロから独立した社長だったが大手事務所を敵に回したことで干される。だが彼女のスター性を信じ、仕事ではない生放送で画面に映ることで話題をさらうことに成功する(こんなに上手くいくかは微妙だが「奇跡の一枚」から始まった芸能人みたいなものか)。

社長の計略と丘よう子のスター性で徐々に仕事は増える。そこで丘よう子が出会ったのが映画の題名にもなっている、伝説の舞台「夢の階段」。脚本家の審査が厳しく、この舞台の主演を務めること自体が大女優の証になっている作品だそうだ。

真の父親は事務所を移籍し、ピーコックが困窮を極めている時期に結婚。やがて子宝に恵まれるのだが、出産時に妻が亡くなってしまう。しかも数年後、その時の子供である真が小児がんを患っていることが分かり、父親の精神は磨り減る。丘よう子の売り出しに奔走する社長に心配をかけまいと、真の父親は病気のことも金銭のことも相談をしない。だが現実は重く圧し掛かる。そこに付け込んで真の父親を揺さぶるのが安岡プロ。父親を雁字搦めにして、丘よう子の事務所の再移籍を企んでいたのだ。


命の日となった「夢の階段」初日。舞台は大成功を収める。丘よう子を安岡プロに連れていく手筈になっていた真の父親は良心の呵責から それを拒否。彼は『5巻』の涼と同じく香によって身体の自由を奪われてしまう。これは『5巻』のシーンが割愛された部分を補足している。

そこへ真の父親の異変を感じて彼を追っていた丘よう子本人が安岡プロを訪れる。これも『5巻』と同じで涼の安岡プロへのカチコミは約16年前の再現と言える状況だったのか。過去では真の父親から薬物反応が出たと言うことは、『5巻』の涼も検査をすれば薬物使用を疑われたということか。薬物、と書かかれると どうしても麻薬など非合法なものを連想してしまうが、神経毒のようなものなのだろうか。とすれば真の父親が何らかの被害者であると考えるべきだが、この辺は安岡プロがマスコミに世論を誘導する記事を書かせる圧力もあったのかも、と想像しよう。

この場面、意識朦朧とした真の父親が社長と連絡を取るのだが、作中が現実と同じ2007年だとするならば、その10数年前に この大きさの携帯電話が存在するという技術背景が変だ。ここは親友で戦友だった2人が最後の会話をして映画をドラマティックに演出したと考えよう。
また上述の通り、出自が明らかになるから この映画では涼の存在に触れていない。


の父親は身体の自由が奪われながらも安岡プロに乗り込んできた丘よう子を何とか救出。朦朧としながら運転し追っ手を まこうとする。安全な所に出たら すぐに丘よう子をタクシーに乗せ換えるつもりだったのだが、その前に事故に遭ってしまう。この事故で真の父親は死亡、そして丘よう子は意識不明。回復も絶望的と医師から告げられる。

丘よう子の病室で社長と安岡プロ社長が対面する。安岡社長が ここまで丘よう子に固執するのは彼女を愛していたから。もしかしたら安岡社長は丘よう子に仕事を与えないことで、売れなかった女優の卵として彼女を手元に置こうとしたのかもしれない。その計画をピーコック社長が歪めてしまった。

事故後、社長は仕事に没頭し、ピーコックの業界での地位は向上する。そして この頃、親族の家を転々としていた小学生の真の前に現れ、家族として迎え入れる。社長が真の中にスター性を見つけるのは家族になろうと提案した後。最初から事務所の戦力にするつもりではなかった、色々と策略家の社長だが、飽くまで真は家族として迎えている。

映画のエンディングは昏睡状態だった丘よう子の目覚めで希望を感じさえる終わり方だった。そして彼女は現実でも目を覚ます…。


画のヒットによりモナコの映画祭に招待される。
ファーストクラスでの移動や、同居する3人が一緒に泊まる豪華なホテルの客室に感嘆する涼はテンションが高いが、その一方で ゆかり との二人三脚が いつか終わることを予感していた。これは作者が作品を畳むことを考え始めた(考えなくては ならなくなった)というサインなのだろうか。

ちなみにモナコには安岡社長も来ている。どうやら映画がコケて会社がヤバいらしい。しかし安岡社長にとって映画の興行収入は二の次。世間が丘よう子という存在に もう一度 焦点を当てることを狙ってのこと。ピーコック側が映画制作したのも これ以上ない丘よう子のプロモーションで、実は安岡社長にとって助け舟だったのかもしれない。安岡社長は丘よう子へのカムバックを切望しており、長年の想いに区切りを付けたいように見える。


ナコで夜会があった日、ゆかり は初めて涼の口から丘よう子の話を聞く。
涼は子供の頃から昏睡状態の母に会いに行っていた。ある日、真を連れて病室で本を朗読していたところ彼女が目を覚ました。奇跡が起きたと喜ぶ社長だったが、翌日には彼女は再び眠りについてしまった。

子供だった涼は本の朗読を何度も試みるが母親は反応しない。そこで涼は、丘よう子は「いい演技」に触れた時、もしくは「もっと根源的な 輝く何かに反応した時」に目覚めると直感した。おそらく父親である社長も その可能性を考え、真の中に才能を見い出した社長は自分の事務所に彼を勧誘する。父親がスター性を見い出したのは涼ではなく真。その事実を突きつけられ涼は苦しむ。

でも涼は前進を止めなかった。自分も事務所に入り、No.1を目指す。そして芸能界入り=事務所入りの際に、No.1になれる位の実力がなければ会う資格がないと母親に会うことを禁じるという条件を社長から出されていた。だから涼はNo.1に、事務所内での地位向上を泥臭いまでに切望していたのだ。

今の涼は同じ世界にいる真の凄さを実感し、それが嬉しくもある。そして この世界に入ったことで ゆかり にも出会えた。それは告白にも似た言葉で、ゆかり の鼓動は高鳴る。


を聞いた ゆかり は涼が父親が真を選んだ時の絶望を語る際、彼を強く抱きしめた。その場面を真が目撃。彼は少なからず動揺する。涼が絶望した時と同じように、真は自分が ゆかり に選ばれなかった疎外感を感じたのかもしれない。

更に真は、慣れないホテル暮らしでドアを間違え、胸の膨らみが露わになった ゆかり の裸体を見てしまう。以前は近眼を理由に乗り切ったシチュエーションだが今回は真は事前にコンタクトを装着しており、完全にアウト。ゆかり は裸眼だと思ったみたいだが。その後の3人一緒の朝食で真は動揺を出さず ゆかり に怪しまれることはなかった。さすが一流の役者である。

一流ホテルの料理より、「家族」と一緒に食べるおにぎり やカップラーメンが真は好き。

ナコでの最後の仕事は日本のメディアに向けた記者会見。その最後に社長は真と涼の次回作が舞台におけるダブルキャストだと発表する。そして舞台のゲストとして丘よう子を会見場に呼び込む。涼にとっても数年振りに見る母の動く姿。その動揺を顔に出さないよう真に助言される。真といい涼といい心の動きを見せないのが一流の証か。

おそらく丘よう子が目覚めたのは、真と涼のスター性に感化されたからだろう。社長が丘よう子の療養先で映画を流したと思われる。
彼女の口から発表される公演内容は、劇中劇でも出てきた伝説の舞台「夢の階段」。なぜか丘よう子が上映権を持っていることになっているのが気になるが。

会見終了後、涼は ゆかり と並んで話す。母子の再会の機会は設けられないが、涼は会見の最後に丘よう子と目が合っただけで充分だと思う。

そして真は夜会に続いて今回も親密に話す2人を後ろから見守るだけ。真はずっと涼の大切な人との時間を後ろから見てきた。真が ずっと見てきたのは、丘よう子の病室で涼が母の覚醒を願い本を何度も朗読する姿、そして それが自力では叶わないことへの悔しさに涙する姿だった。

真は涼が大切な家族だからこそ、自分の力で丘よう子を目覚めさせることが出来るなら、と事務所に入り役者の道に進んだ。才能を磨くほど丘よう子は目覚めるかもしれず、それは涼の喜びにも繋がる。
また それは真が知らない、母への思慕でもあっただろう。丘よう子を最初に見た時から、真は母という存在に頭を撫でてもらいたいという幻想を見ていた。だから出来る限りの努力はする。

でも丘よう子は自分の母親ではない。そして同じように新しく家族になった ゆかり も涼が大切に想っている人だから、その人を切望してはいけない。
「家族」と一緒に食べるご飯しか味のしない真だが、その家族は自分にはいないと思い知らされる。そんな絶望の淵にいてモナコを彷徨う真を ゆかり が見つけ、彼の手を取り一緒に歩く。真にとって自分に差し出される手は特別なもの。直前に性別問題も解消されているので真が心の底から ゆかり を切望する準備は整ったと言えよう。三角関係は ここからだッ!


モナコ滞在の最後に社長は ゆかり を呼び出し、丘よう子と2人きりの会談の機会を作る。そして ゆかり は丘よう子が息子たち2人の才能に刺激されて「一時的」に覚醒していることを知る。彼女もまた社長や ゆかり と同じようにスター性を感知できる人なのだろう。今回の覚醒が長いのは、才能の原石だった真が それを磨き上げただけでなく、涼の才能も開花したから才能のシャワーを浴びたからなのだろう。本書における才能は奇跡を起こせるみたいだ。