- 作者:百田 尚樹
- 発売日: 2009/07/15
- メディア: 文庫
「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、1つの謎が浮かんでくるーー。記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。
読書中、頭に浮かんだ言葉は「矛盾」だった。
特に、『永遠の0』という書名の通り、
昭和15年に正式採用された「零戦(ゼロせん・レイセン)」の矛盾が心に残る。
零戦は卓越した格闘性能に加えて、開戦当初は世界最高速度を誇り、
更には航続距離が3000キロと桁外れの戦闘機であった。
本書は『「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」
そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。』という一人の男の矛盾と共に、
そんな戦闘機を日本軍が開発したことによる功罪が順を追って描かれる。
零戦の導入後、日本軍は空戦で無敵に等しく、破竹の勢いで敵国を撃破していく。
だが戦争の長期化と戦線の拡大によって様々な弊害が露になってくる。
その原因が零戦の優秀さにあるという矛盾に 遣る瀬無さを感じる。
中でもその矛盾を一番感じさせるのが、零戦の航続距離に依存して立てられた作戦。
零戦が長距離を航行できてしまうが故に、
移動後の戦線におけるパイロットの疲弊を勘定に入れない作戦がまかり通ってしまった。
そして、その作戦で真っ先に失われたものは熟練の技量を持つベテランパイロットたちであった。
優れた零戦の能力が、間接的に優れたパイロットの命を奪うという矛盾。
そして戦争が複数年に亘ることで、敵国は技術の刷新があったにもかかわらず、
日本国軍は後世を担うような新たな戦闘機を開発できなかった。
当初は栄華を極めた零戦が、他国の技術革新によって凋落していくが、
過去の栄光があるが故に、日本ではイノベーションが起きなかった。
そして二の矢 三の矢を放てないまま、かけがえのない人的資源を最初に失う。
これは平成の失われた時間の中での日本と同じ現象かもしれません。
優れた指導者のいない社会は衰退に向かう運命にある。
開戦時は意気軒高な若者のようであった零戦が、
歳を重ねてロートルになった上、戦局の悪化で身体を構成するパーツも粗悪になる悪循環が起こる。
まるで零戦こそが日本国における戦争の栄枯の象徴であった、
そう感じられる巧みな構成には舌を巻く。
そして、もう一つ描かれるのが、宮部 久蔵(みやべ きゅうぞう)という男性の矛盾。
宮部と共に戦場で過ごした複数の元・兵士たちの話を聞くことで徐々に浮かび上がる祖父の姿。
誰よりも死にたくないと願っていた人物の最期は特攻であった、
この最大の矛盾した謎を本書は宮部の太平洋戦争における転戦の様子と共に解き明かす。
不敬かもしれませんが、ミステリとしたら、この矛盾の創出こそ最大の魅力である。
死という絶対的な結末と、そこから遠い場所に自分を置き続けようとした祖父の姿。
それらの点と点が結ばれる最終盤は落涙必至です。
物語を牽引する最大の謎と巧みな構成、意外な伏線、
どれもが綺麗にまとまっており、評価が高いのも納得できる。
本書がミステリ風な構成を見せる最も顕著な場面は、
(ネタバレ→)祖父の最期を知っていた人が一番 身近にいた(←)ことであろう。
これは意外な真相として、これまで それほどミステリに触れてこなかった人たちに、
祖父の最期の行動に加えて、更なる感動・カタルシスを生んだのではないか。
そして当たり前だが、主人公たちと直接対話できるのは、
あの戦争を生き抜いてきた者だけだという真実が痛い。
本書が出版された2006年で戦後60年余、
2021年の現在では75年にもなる。
いよいよ、戦時下を経験した人、特に戦場に出た方々は少なくなってきている。
本書の中の言葉と戦争の実態を忘れないこと、それも一つの平和貢献になるかもしれない。
作中で語られる戦争の内容も相まって、多くの人に読まれるべき作品だ。
ただ、読書中、物語に感動する私の後ろに作品としての矛盾を持ち続ける冷静な私がいた。
本書は百田尚樹・作ではなくて百田尚樹・編なのではないか、と。
本書における百田さんの役割は資料を再編成・再構成しなおすこと。
それはまさに本業であった放送作家の仕事そのもの、と思わずにはいられない。
本書は小説家の作品としては決して褒められない気がする。
特に現代パートである主人公・ 健太郎(けんたろう)たち姉弟と、
彼らを取り巻く人々の余りにも象徴化された設定と内面描写にそう思わざるを得ない。
基礎となる資料があって引用・再構成している部分と、
現代パートでの作者の創作の部分では伝わってくる熱量が違いすぎる。
戦時下の若者と対比するために平成時代の若者を
作為的に薄っぺらくしているところはあるだろうが、
素直すぎるぐらい素直に彼らが感情を揺さぶられる様子に白けてしまう自分がいた。
そして全体的に、教育番組を見させられているような気分になった。
環境問題、SDGsなどの社会問題を小中学生に啓蒙する教育番組、
用意された疑問と その回答、そして ある種の方向性をもって作られた作品のように感じられる。
私が問題にしているのは政治思想などではなく、
「ひどい!」「最低ね」と子役のように台本通りに演技をする主人公たちの姿である。
彼らには思考というものが無いように思えてしまう。
ここは小説としても大きな欠点だ。
新聞記者・高山(たかやま)や新聞社を、
単純な構造・論理で悪役に仕立てる様も目に余るところ。
また主人公・健太郎は眠れる才能などが美化されるのに対して、
姉の慶子(けいこ)の扱いは雑で、やや感情的な人物として描かれる。
なんだか男尊女卑を感じる。
そして構成上仕方がないが、コンタクトの取れた戦友会の面々が、
時系列の古い方から並んでいることも作為を感じる。
全体的に、構成に無駄がなく綺麗すぎるのだ。
主人公たちが多くの情報から事実を抜き出すのではなく、
作者が用意した事実だけが目の前に置かれている感じがしてしまう。
多くの人に読んで欲しいけど、
本当に優れた小説だとは思えない、そんな「矛盾」を抱えた本です。