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ボトルネック (新潮文庫)

ボトルネック (新潮文庫)

亡くなった恋人を追悼するため東尋坊を訪れていたぼくは、何かに誘われるように断崖から墜落した……はずだった。ところが気がつくと見慣れた金沢の街にいる。不可解な思いで自宅へ戻ったぼくを迎えたのは、見知らぬ「姉」。もしやここでは、ぼくは「生まれなかった」人間なのか。世界のすべてと折り合えず、自分に対して臆病。そんな「若さ」の影を描き切る、青春ミステリの金字塔。


新しいジャンルの青春小説だろうか。失望系青春小説。いや、十代男子が主人公なだけで、むしろ内容はR-18小説だ。思春期真っ只中の十代には、あまり読んでほしくないかも。主人公の生き方・思考は、今、傷ついている人には魅力的に映ってしまう場合がある。それも、その人が不幸なら不幸なほどに。 この心配は思春期を終えた、非当事者の想像力の足りない想像だろうか…?
小説としては面白い。設定・構成ともに「読ませる」小説である。この結末も画期的だろう。だけど、作られた残酷な展開は残酷が過ぎる気がする。
主人公・リョウの信条は「どうしようもないことであれば、ぼくは何でも受け入れることができる」、である。作中、何度も繰り返されるこのフレーズは、繰り返す毎に重みを増し、その意味を変えていく。この手法は実に効果的で、作者は実に悪魔的に性格が悪い。「二つの可能世界」、パラレルワールド。一つは主人公「リョウの世界」、もう一つは、存在しないはずの姉(サキ)が存在し、代わりに自分が存在しない「サキの世界」。「リョウの世界」での彼の信条は、辛い現実からの自衛・逃避手段だった。だが、彼は「サキの世界」で「間違い」に遭遇する度に、その信条に裏切られ、身を引き裂かれる。受動と能動、二つの可能性の世界。
リョウの存在の有無で変わる「二つの可能世界」の違う姿。そのバタフライエフェクトの原因と結果の説明はミステリの謎解きのように論理的で面白い。だが、同時に残酷だ。誰も傷つけず、傷つけられずに済むと思っていた受動態の信条は、小さな、大き過ぎる「間違い探し」によって根本から揺らぐ。リョウが初めて味わう能動的後悔と疑惑。それは味わってはいけない禁断の果実だった…。
作者は主人公の視界を、多少作為的とはいえ、実に見事に閉塞させていく。不在の存在、悪意なき悪意、無知の知。鏡の中のパラレルワールドに映ったのは他ならぬ、その世界にはいないはずの自分の真実の姿。この反転が米澤穂信らしい。ただ、救いはない。だからこそ、R-18小説にしたい。失望には早すぎる。
気になった点は、サキが「二つの可能世界」という可能性・結論を出すのが早すぎる事。彼女の逞しすぎる想像力の実例であろうが…。また、(反転→)「サキの世界」での兄の人生の岐路(←)も描写不足。ここも詳細にバタフライエフェクトの因果を書いて欲しかった。これではご都合主義で合点がいかない。この部分だけでなく、全体的にやや詰めが甘いというか、アノ結論ありきの表層的な印象も受けた。

ボトルネック   読了日:2006年11月01日