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涼宮ハルヒの溜息 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの溜息 (角川スニーカー文庫)

宇宙人未来人超能力者と一緒に遊ぶのが目的という、正体不明な謎の団体SOS団を率いる涼宮ハルヒの目下の関心事は文化祭が楽しくないことらしい。行事を楽しくしたい心意気は大いに結構だが、なにも俺たちが映画を撮らなくてもいいんじゃないか? ハルヒが何かを言い出すたびに、周りの宇宙人未来人超能力者が苦労するんだけどな―スニーカー大賞“大賞”を受賞したビミョーに非日常系学園ストーリー、圧倒的人気で第2弾登場。


「退屈」です。読んだのは「溜息」だけど「退屈」です。いや「退屈」だから「溜息」が出ちゃうのか。長編シリーズにおいては、遠大なストーリー上の必要悪としての退屈はアリだと思うが、シリーズ2巻目での退屈は非常にリスキー。購入済の積読&ベストセラーの実績がなければ私の中のハルヒ世界はリセットされてたかも。
学校は文化祭シーズン。お馴染みSOS団での映画制作を発表したハルヒだったが、映画監督になった興奮のあまり脳が沸騰して現実と非現実の境目の区別がつかない精神的にアレな人寸前。願望を具現化できるハルヒが通れば、道理が引っ込む。映画撮影の進行に伴い、徐々に歪み始める世界。ハルヒ映画の未完は世界の歪みの固定化を意味するらしい。果たしてハルヒのご機嫌を損ねる事なく映画を完成させ、更にハルヒのアレな精神状態を落着させる手段はあるのか。一般人宇宙人未来人超能力者が額を寄せ合い、ハルヒ超監督を満足させる為の接待映画の結末を模索する…。
色々と退屈ではあった本書だけれど(後述)、基本構造とオチは結構好き。あらゆる条件をクリアする結末の考案は、作中で古泉が『物語のスタート時にあった世界が結末時において復活し、謎のような現象はすべて合理的に解消する働きを持つ唯一のジャンル』として持ち出す「本格ミステリ」に通じる。映画を題材にしたミステリ『探偵映画』『愚者のエンドロール』等との類似点も多い。古泉案のオチは反則的だが、物語のオチは多重的な意味で笑いを誘う。
何でもアリな小説というジャンルの中の、突拍子もない非現実的な設定が魅力の小説で、現実を取り戻す本書から様々な枠組の存在を考えさせられた。読者と書籍、書籍の中の現実と非現実、物語の中の物語、神と神の創りし世界。更に本書ではハルヒの再定義が求められた。私は前巻の古泉説を妄信していたので、各勢力のハルヒの定義に驚き、そして混乱した。難しすぎる。けれどハルヒの解釈を巡り対立する彼らを見てまた枠組の存在を意識し、原典の解釈を巡って争いを繰り返す現実の人類の縮図を見た気がしたのだった。
…などと小難しく考えてみたけど、小説として退屈なのも事実。脚本や映画内容の概要さえ明かさずに、ハルヒの脳内にだけ存在する映画の撮影に付き合うのにはキョンだけでなく読者も苛立ちが募る。SOS団の異人メンバーのようにハルヒに執着がない場合、彼女の奇天烈な行動は憤慨モノだ。
しかし本書で一番「退屈」だったのは語り手のキョン、お前だ! 退屈、それは飽き飽きして嫌けがさすこと。まずはキョンの独白。君は比喩がド下手だな。君の「細かすぎて伝わらない物言い」で何度躓いたことか…。いみじくもキョンが難解な言葉を連発する古泉と長門に『もっと他人に解りやすく話してくれよ。わざと難しく言ってるんじゃないかと思うね。少しは簡単にまとめる努力を払うべきだ。でないと、そんなもの耳を素通りするだけだからな。誰も聞いちゃくれねえぜ。』と毒吐いていたが、この言葉、君の独白にソックリそのままお返しするぜ。まぁ、これはキョンより作者への不満だけどね。貴方が物知りなのは分かったから、キョンの口を借りてまで、そのアピールは止めたまえよ。これじゃ博学すぎるだろ、キョン
キョンの行動もまた「退屈」だ。一般人代表の良識人で、読者との思考距離が一番近いはずのキョンだが、物語の枠の外側にいる読者からしてみれば、ハルヒとの特別な関係性は明白。独白からもハルヒへの好意が滲み出ているにも関わらず、朝比奈さんにデレデレし、ハルヒ台風の進路を予測しないから被害が甚大になるのだ。回避法も対処法も前巻で学んだだろ! 学んだ分だけ素直になれよ。ちなみ2巻目にして早くもパターン化した現状に対しては、作者が古泉の口を借り『同じような事態の繰り返しは、おそらく涼宮さんが嫌うものの一つ』、と先手を打って物語の内部から作品のマンネリに対し釘を打っていたので一安心。
余談:もし作中(映画)でハルヒが登場人物の「死」を撮影してたら、そこでご臨終?

涼宮ハルヒの溜息すずみやはるひのためいき   読了日:2010年06月13日