おかもととかさ
私の町の千葉くんは。(わたしのまちのちばくんは。)
第08巻評価:★★☆(5点)
総合評価:★★☆(5点)
「私、感情をちゃんと相手にぶつけられていない?」。彼女ができた弟・悠人から受けた「呪い」の言葉。元カレからも今更になって同じようなことを言われ、兄・悠一との関係もぎくしゃくし、「呪い」は勝手にマチの中で増幅、とんでもない事態を巻き起こしていく――。さらに封印していた禁断の記憶のフタが開いてしまったとき、マチと千葉兄弟の関係に、決定的な変化が訪れる――! 怒涛の急展開が見逃せない第8巻!!
簡潔完結感想文
- 感情をぶつけることと、本音を言うこと、隠し事を話すことは全て違う事柄。
- 彼氏と距離を置くことで泥酔解禁。その久々の動作がマチの記憶を回復させる。
- 非接触の関係を破っていたのはマチ。そうして千葉兄弟の比較材料が揃う。
泥酔で始まった恋が終わりそうだから また泥酔する 8巻。
『7巻』の描き下ろしオマケで、スクールカウンセラーで友人の坂下(さかした)が主人公。マチのことを「最終的には保守的」と評していたが、それは「事なかれ主義」とも言えるかもしれない。その性格だから元カレの浮気を匂わせる事象に対して無視して、夜逃げしたくなるほど限界が来るまで交際を続けてみたりする。
そうやって問題や自分の感情を直視してこなかったツケを最終的に受けるのがマチなのである。だから この10年、初恋の千葉(ちば)くんへの憧れが捨てられず、しっくりこない交際を繰り返してしまうことに繋がる。
『8巻』は逃亡者となったマチが逃げ切れないと観念するまでを描いているようだった。
マチの傾向は その千葉くん本人である悠一(ゆういち)との交際でも同じ。今回、その弟・悠人(ゆうと)の言葉に影響されたマチだが、彼女が気づいたのは自分には悠一にぶつけるほどの感情がないことではないか。悠一が千葉くんであり千葉くんでないことに違和感はある。よって彼に対して強い執着や強烈な情動が生まれない。欲情するほどの理想と現実の間には齟齬があるのに、それを考えないことで幸せを享受しようとしたことがマチの保守的な部分である。
悠人のかけた「呪い」によって炙り出されたのはマチの思考の癖ではないか。本質的に保守的なマチが、流されるままに交際を進めるが、そこに感情や熱情は生まれない。それを糊塗しようと初めて自分から結婚の意思を見せても それが本心ではないことは伝わってしまう。そして悠一もまたマチの熱量の無さを感じていたのだろう。だから彼らの間に距離が生まれる。
面白かったのは、悠一と距離が生まれたことで、泥酔の封印が解かれるという流れ。マチは悠一との出会いの時から お酒で失敗しており、彼との交流をする際は悠一がマチをコントロールしていた。そして同棲生活になると常に悠一の前にいることになり、泥酔を回避し続けてきた。
だが悠一との関係が初めて疎遠になることでマチは久々に泥酔する。そして その泥酔がマチが忘れていた記憶を思い出させ、更には絶対に無理だと思っていた千葉兄弟の比較材料が存在することを思い出させる。それがキスである。この、マチが自分の本音に向き合う=記憶の回復には悠一との距離が開かなければならなかったという論理性を用意している構成が良い。マチは二股を わざと楽しんでいるような勘違い女ではないのである。
これまで悠人とは極力、身体的な接触の無かった。キスの描写は無かった。だが教師と生徒の間にキスはあった。マチは それを思い出し、そして兄との違いを比較する。
ずっとマチは記憶喪失状態だったが、『4巻』での悠人は どういう気持ちだったのだろう。あの日、悠人が初めて悠一の部屋に泊まったのは、その後のマチの反応を確かめるためだったのかもしれない。でも彼女は大事な事を覚えていなかった。酒の勢い=大人のズルさと感じたのだろうか。そりゃあ悠人の初恋もこじれるというものか。だから感情を ぶつけてこなかったマチよりは、咲を選んだのか。悠人がマチにして欲しかったことを咲がしてくれた、という印象だったのかもしれない。
一方、自爆に近いのだがマチにとって悠人の咲との交際は、またも「千葉くん」を奪われることを意味していた。マチは高校時代、カーテンの裏の世界に欲情していたが、今は悠人と咲が学校内で自分の目の届かない所にいるという事実で焦燥を覚える。
担任教師であるマチは悠人を監視できて、クラス内でなら2人の動きなら把握できる。しかし今回2人が同時にいなくなったかもしれない、何をしているのかという考えがマチから平常心を奪う。千葉くんのアチラ側の世界は、マチの理想が広がっていて、今はもう それを叶えてくれるのは悠人しかいないのだ。
そして悠人は悠一に受け入れられないことを受け入れているように思う。例えば今回のマチの自爆、制服プレイ。これは初恋の成仏のためでもあるのだが実際に身体の関係のある悠一には欲求不満と取られてしまう。だが悠人は普通なら男性が引くようなマチの願望や発言を面白がる。初恋にもかかわらず、である。これは悠人が悠一のような当事者ではないからだし、彼の初恋には欲情が含まれているというマチとの共通点があるからだろう。マチの内なる制服プレイや3Pの話を聞いても悠人は受け入れる。そしてキスも また同じ。マチの理想を体現するのが悠人なのである。
もちろん それは概念上のことである。担任教師と生徒、彼氏の弟、年齢差、交際による現実との直面などなど問題は山積している。流されるまま保守的なマチなら悠一を選ぶ可能性も高い。その辺りの問題を どう最終巻で処理するのか楽しみだ。
悠人に彼女・咲が出来たことで、マチの状況は高校時代の再現となる。自分と咲の違いは何か。交際の理由が、悠人が咲に感情を ちゃんとぶつけられて心を動かされたことだと知り、マチは自分の千葉くん=悠一に感情をぶつけてみる。それは長らく言えなかった制服プレイのこと、マンションを解約してなかったこと。しかし それは ただの隠し事であり、マチの感情ではない。
かつてマチは元カレとの交際中、他の女性の存在に気づきながらも自分の心の平穏のために気づかない振りをしていた。そして相手に感情をぶつけなかった。そんな関係は それなりに楽しいが、それなりでしかない。
マチも元カレの前で千葉くんの話題を頻繁に出し、彼の人権を奪った。結局、他の男の前で違う男のことを考えている。だからマチは相手に本気になるほど、感情を乱すほどの恋が出来ない。そういう自分の欠点からも「逃げて」いるのだろう。
今回の交際は、マチの この10年の経験や言えない関係があり、そして結婚という現実を前にして恋人の前で 自分の心の中にいる人の名前=千葉くんの話をしないだけだ。そして悠一は千葉くんと違う。その事実からマチは目を背けているように見える。それでも同一人物だから幸せという催眠を自分にかけている。
この恋を大切にしたい気持ちは本物。でも その中にある本心が言えない理由は また別にある。マチが結婚しようと初めて自分から提案するのも、現実から逃がれるための手段。そういう悠一のマチへの小さな齟齬が積み重なって、一度 離れてみるという判断になったのではないか。
悠一は最初から本音で話したいと言っていた。それが離婚で彼が学んだこと。その彼の人生訓や大事な価値観をマチの方が踏みにじっている。優しいけど強情。だからマチは悠一の決めたことに従うしかない。選んでもらう側だし、言うことを聞く側。距離を置くことに感情を乱さないのも、マチの罪であり、恋心の薄さだろう。
一定期間マチは被害者ぶって落ち込む。しかし回復は早く、一方的に関係性を決める悠一に腹を立てるまでになっている。
悠一という異性の目がなくなったことで、溜まった鬱憤を以前のように泥酔に変換するマチだったが、一人ではうまく吐けないことを実感する。以前、吐いた時には悠一の代わりに悠人が来て、そして口に入れられた指に欲情した彼女は、自分が本能のまま悠人の唇をむさぼったことを思い出す。
しかしマチは自分が記憶を回復した事実からも目を背ける。だが、そこに目撃者の証言が加わり、万事休す。その場面を目撃したのは咲。そして彼女は悠人がマチとキスをしたと分かっていて彼女は交際を始めた。教育実習生・朝子(あさこ)と同じく悠人が誰を好きなのか分かった上で接近した。咲が朝子と違うのは負け戦だと分かって告白して、感情を ぶつけた点だろう。そこから意外な交際の開始となったが、同時に その結末も予感していたはずだ。それでも目を背けて ひと時の幸せに耽溺していたかった。咲が、このタイミングでマチに事実を伝えるのは、彼女の中で悠人との関係が限界を迎えていたからではないか。
マチは本心と向き合わないが、ある日、悠人にデコピンをされることで心が反応する。やっぱり初恋からして最初から身体が反応するタイプの人間なのである。
ある日、教師たちの飲み会の二次会に悠人のバイト先が選ばれる。しかし なんでここに朝子がいるんだろう(カウンセラー・坂下(さかした)じゃなく朝子だよね?)。もちろん彼女の先導で、この店に行く流れのためだろうが。
店内には悠一もいた。千葉兄弟とマチが揃う場面は3度目か。仏の顔も三度まで。三度目の正直。予期せぬ悠一との再会にマチは動揺する。
現実逃避したマチに声を掛けるのは悠人。そしてマチは今更ながら彼にキスを謝罪する。それは自分が思い出したことの告白でもあった。だが悠人は兄と勘違いした、として過去を処理する。そして悠人にとってはキスぐらい簡単なことで、特別な意味はない、と突き放される形になる。
兄弟に追われていると思っていたヒロイン様は、どちらからも選ばれない。そしてマチは悠人が飲み屋の店員として働いているところを間近で見て、彼が酔客の扱いに上手い事実を突きつけられる。
マチだから躊躇が無かったのではなく、慣れているから躊躇がない。それは元嫁を吐かせるために悠一が慣れていたのと同じこと。そんなマチの様子を見て悠一は心配するが、マチは本音を言えない。そこにまた距離が生まれる。そこに生まれたのは距離だけじゃなくて別れの予感なのかもしれない。
こうしてマチはいよいよ自分の心から逃れられなくなる。今の自分は、2人の兄弟のキスを比べる材料を持っている。そして自分が望むキスも分かっている。一種の記憶喪失と その回復でマチが自分の過失を思い出す。そして それがこれまでは材料不足だった千葉兄弟の比較を可能にした。