可歌 まと(かうた まと)
狼陛下の花嫁(おおかみへいかのはなよめ)
第19巻評価:★★★(6点)
総合評価:★★☆(5点)
陛下を過去の軛から解き放った夕鈴だったが、王宮内で転倒しバイト妃として過ごした日々を完全に忘れてしまう。中々思い出せない夕鈴を案じて陛下は夕鈴と実家に向かい記憶の欠片を拾い集めるが!? 感動の最終巻!!
簡潔完結感想文
- ヒーローのトラウマ発表の次はヒロインの記憶喪失。THE 王道少女漫画展開!
- 受け身がとれないヒロインにも訳がある。それを思い出した時、夕鈴は号泣する。
- 狼陛下への二度目の嫁入り。現実の立場も、架空の物語の中でも2人は同列に並ぶ。
年月の経過と素直な心を曝け出すことで本当の夫婦になる 最終19巻。
繰り返しになるけれど、内容はともかく私は第2部の存在意義が好きだ。第1部で妃となった夕鈴(ゆうりん)が、正妃になるまでを第2部は描く。そのために必要なのは時間である。作品を貶める発言になるかもしれないけれど、第2部は壮大な消化試合と言ってもいい。妃となった夕鈴が正妃の資格を得るための時間経過が必要なのだ。だから話に中身がない。夕鈴が妃となった直後に女性ライバルが登場しても意味はないし(ライバルっぽい朱音(しゅおん)は いたけど)、今更 恋愛的な問題で2人が揺れるとは思えないし。


第2部で大事なのは夕鈴が妃教育を受けたこと、そして夕鈴を排除しようとする王宮内の最後の勢力を黙らせることである。
そして もう一つ、作品的に大々的に描かないが、夕鈴が跡継ぎを産むことが何より大切だと思われる。21世紀の時代に女性が子供を産まなければ世間的に認められない と捉えられると問題だからか、 その問題は前面に出さないように配慮されている。しかし結局、うるさい大御所を黙らせるのは、夕鈴が妃としての役目を果たした その実績が出来たからなのだと思う。実際、夕鈴が正妃になれたのは跡継ぎが誕生して2年弱 経過してからなのだ。溺愛の物語に、旧時代的な価値観を持ち込むことを得策と考えなかった作者は巧妙に隠しているけれど。
私は このシビアな点が この時代の現実を よく表していると思うし、それが周囲への圧倒的な交渉材料になるのも理解できる。
直接的な描写は無かったものの、夕鈴と陛下が夫婦になった第1部終了時点で2人に「営み」があるのは当然である。そして その結果である妊娠が今回の夕鈴の記憶喪失と関連した出来事というのも構成がスッキリしていて良かった。描かれなかったから2人はキスしかしていない、と思い込んでいる人が一定数いるみたいだけど、それこそ少女漫画脳というか、夫婦になる意味を考えていないだけ。それに白泉社は そういう場面を描かないではないか。
作者が夕鈴を本当の意味で陛下の隣に立てるように しっかりと妃を正妃にしてあげた点に私は深い愛情があるように思えた。そして だからこそ第2部の存在意義を他の人よりも高く評価する。苦言を呈したくなる部分もあるけれど、全体的に見れば好感触というのは作品と夕鈴の評価なのではないか。
また この唐突とも言える記憶喪失で夕鈴の悲しみを溶かしたのも良かった。これは『18巻』で陛下の過去が良いものに変換されたのと同様で、夫婦それぞれ前を、自分の前に開かれた道を進んでいる感覚があって、その共通項に感心した。思わず漏れた笑顔で陛下の人格が安定したように、最後の最後に夕鈴も意地っ張りや頑張り屋さん、頑固、人に頼れないなどの、彼女の人生が影響を及ぼした性格が夕鈴の涙と共に流れていく。これは夕鈴にとって母親と比肩するほどの大切な存在に陛下がなったということで、幼い頃のように泣ける場所を彼女が見つけたことでもある。これからは夕鈴も素直に陛下に甘えることが出来るのだろう。出来れば そのような場面を見てみたかった。
惜しかったのは第1部で、これまでの関係者が夕鈴を後押し・応援するという全員参加の展開を もう既に使ってしまっていて、正妃になる際の盛り上がりに欠けたこと。第2部の目的を理解できないと、盛り上がりに欠けた展開に見えてしまったのではないか。正妃の儀式が本当に滞りなく淡々と進んでいった感じがした。
やっぱり第1部も第2部も それぞれ虚無を感じる期間があったけれど、全体的な構成は好きだ。だから この構成力は そのままに、もっとエピソードの濃度を上げられれば作品の質は明らかに向上するだろう。これ以降の作品で成長が見られることを祈る。
冒頭から夕鈴が記憶喪失となる。どうやら低い階段から転倒して3日間も昏睡していたらしい。記憶喪失は、バイト妃時代から現在までの王宮や陛下に関わること全般。ちなみに記憶喪失の期間は数年分らしい。両想いまでが1年間だと思われるから、結婚後 1年以上が経過しているということなのだろうか。特に第2部は時間経過が いまいち分からない。
ヒロインは いつだって記憶喪失という大イベントを発生させるため受け身がとれない生き物なのである(©アサダニッキさん)。
夕鈴が記憶を失って陛下は動揺するが、夕鈴を気遣って必要以上に距離を詰めない冷静さを見せる。そして陛下以外の各キャラとも記憶喪失後に交流し、それぞれに回復を願う言葉を貰う。同窓会みたいである。乙女ゲーム的世界なので男性キャラたちが心配するのは当然として、陛下の継母である蘭瑶(らんよう)も動揺しているという記述に彼らの連帯感を見る。最終回でも蘭瑶とは特別な絆が感じられ、夕鈴の師匠となっている。これは陛下に対する周(しゅう)宰相と同じような関係性と言えるかもしれない。
そして この記憶喪失騒動の中に夕鈴の ある変化が伏線として張られている。


夕鈴は記憶のない自分が後宮内にいることは場違いだと違和感を覚え、実家のある下町に帰りたい、そこが自分の場所だと訴える。陛下は その申し出を聞き入れ、自分と一緒 という条件付きで夕鈴を実家に帰す。
久々の下町編である。この際に作中で初めて夕鈴の父親が登場する。…が陛下の存在に気づき逃亡する。夕鈴が自分の記憶が抜け落ちていることを一番 実感するのは弟の背が伸びたり、料理を準備したりと人間的に成長している部分。
陛下は顔を出した几鍔(きがっく)にだけ少し弱さを見せる。そう思うのは夕鈴なら今から下町で普通の幸せを手に出来るのだと つきつけられているみたいだから。勿論、陛下に夕鈴を手放す意思はないけれど。
一緒に飲み交わした几鍔から夕鈴の過去について聞く。それは『18巻』で陛下が夕鈴に自分の過去を離したのと似ている。几鍔が右目のケガを負って大変な時期に、夕鈴は母親を亡くし、強くならざるを得なかった。そうして他者を頼らず自分が弟を守ると頑なになっていった。それでも一度、母の夢を見た時、彼女は几鍔の前で号泣したことがあった。夕鈴は強いのではなく弱い自分を忘れただけ。そういう彼女全部を几鍔は陛下に受け止めて欲しいと大切な「妹」を もう一度 託す前に伝える。
夕鈴は頭を打った理由と記憶を思い出す。そして今の夕鈴は目覚めた時、陛下との一切合切が夢であることが怖い。なのに陛下は自分の側にいない。
陛下が夕鈴の家に帰ってきた時、安堵から夕鈴は号泣する。夕鈴は母親と同じように陛下が いない世界を疑似体験したのだ。そして今の夕鈴は陛下に弱さを見せられるほど彼が愛おしい。彼らは夫婦で家族なのだ。この夕鈴の頑なだった心が溶けていくエピソードは、母親の時との二重写し、そして陛下の過去編と同様の本当の自分を取り戻すエピソードして大変 効果的だと思った。
もう夕鈴は記憶喪失中の時のように狼の顔を見せる陛下に恐怖で身を すくませたりしない。それもまた彼の一部だと分かっているから。
夕鈴が王宮に帰る朝、父親が ひょっこりと顔を出す。そして どうやら父は夕鈴が誰に嫁いだのかを理解している様子。なぜなら夕鈴をバイト妃に紹介したのは父親だったから。父は周宰相と古い知り合い(学友で同僚)で、周宰相から妃バイトの話を持ち掛けられた。1話の父の「知人」とは周宰相だった という驚きの伏線回収である。そして周宰相は領分うんぬん言われながらも陛下の私生活に介入しているのは夕鈴だけの秘密となる。
そして夕鈴に いい加減な人物と思われていた父親は彼女が妃になっても何も変わらないことが分かる。妃となった娘のツテで お金を当てにするような人ではないのだ。陛下に王への道が開かれていたように、まるで夕鈴には王宮に入る道があるように思われる。
それから約2~3年後、夕鈴は正妃となる。
ここまで王宮内の反対勢力は絶えなかったが、王宮内への根回しと有力官吏たちの後押し、そして夕鈴の努力で大きな夢は現実となった。この日、夕鈴がするのは陛下のもとに歩み寄るという簡単なお仕事。
後ろ暗いところのある蘭瑶も夕鈴の晴れ姿を見るために参列する。夕鈴の妃教育の教育係。そんな蘭瑶の役目も ここで一区切りとなる。また陛下の叔母や朱音(しゅおん)も祝いに駆けつける。陛下の叔母が嫁いだ国と朱音の国、そして陛下の国は友好的な関係を築いているらしい。ここで陛下の叔母と蘭瑶の会話が見てみたかったなぁ。関係性は兄嫁と妹で義理の姉妹なのか。女同士のピリついた会話が楽しめそうだったのに。
そして最後に2人の子供・飛龍(ひりゅう)が登場する。後ろから突進するのは兎の夕鈴っぽい。最初から龍の名前を付けられた この子は どんな王様になるのだろうか。狼と兎の子は、どちらの性格が色濃く出るのだろう。この子が きちんと育つところを見届けるまで陛下は国王であり続けるのだろう。
「特別編」…
ある日、夕鈴は陛下をデートに誘う。それは後宮の庭の散歩。そこには去年 一緒に見られなかった花たちが咲いていた。美しい物を綺麗だと思う物を一緒に見たいという気持ち、それは愛に他ならないと思う。
「巻末オマケまんが 狼と兎の宝物」…
生まれたばかりの飛龍を眺める夫婦の話。李順が祖父母のような心境なのが笑える。そして家族というものを知らない陛下が自然と子供を愛せていて安心する。