可歌 まと(かうた まと)
狼陛下の花嫁(おおかみへいかのはなよめ)
第18巻評価:★★★(6点)
総合評価:★★☆(5点)
陛下と宰相・周康蓮の間にある確執は以前陛下が過ごしていた北方での事件に原因があるという事を知った夕鈴は過去の軛を解き放つため、過去を知る家臣たちに話を聞いて回るが!? 最終章直前。緊迫の第18巻
簡潔完結感想文
- 白泉社作品の終盤は恒例のヒーローのトラウマ。ヒロインの お節介の塩梅が良い。
- 陛下は大切な家族が出来たから、それを失う恐怖が再発。それが咬み癖なのだろう。
- 養父に「王の子」の一線を引かれていなかったことで、陛下の心は落ち着き始める。
表紙の陛下の顔は これが正解なのか!? の 18巻。
ここまで来ても画力に不安が残るとは…。
さて この『18巻』は白泉社が大好きなトラウマ編と言える内容。陛下の幼児退行のような「咬(か)み癖」が何に起因するものなのかが明かされる。そのためには陛下の生い立ちを回想する必要があり、トラウマ編であり過去編でもある。


今回は何と言っても夕鈴(ゆうりん)が自分の「領分」を分かっているのが良かった。トラウマ編はヒロインの出しゃばりと紙一重で、どうして そこまで他人の問題(特に家庭の場合)に介入するのか分からない作品も多い。けれど夕鈴は自分の問題として夫となった陛下のことを知りたいという欲求と、その解決は当事者同士に任せるという理性が きちんと働いているところに好感を持った。もし ここで夕鈴が陛下や周(しゅう)宰相の気持ちを相手に代弁したりしたら私は彼女を嫌いになっていただろう。
夕鈴が陛下に踏み込めるのも、正式な妃になった第2部だからこそ。ここにきて陛下に一線を引かれることは、愛情や対等性への疑問になって当然である。今だから踏み込める問題という順番が理に適っていてのも良かった。
陛下の咬み癖の出現も おそらく そこに起因しているだろう。陛下は夕鈴を自分の家族として迎えることになったから、昔 自分の近くにあった「家族」のことを思い出す。その、もう二度と満たされない環境に空腹感が生じる。だから噛み癖という新たな設定は第2部から現れるのであって、その開始から徐々に癖が酷くなっていくように描かれている。
第2部になって いよいよ1話1話の内容は代わり映えがないように思えてきたが、全体的な構成は よく練られていると思う。結婚という一定のゴールに辿り着いてしまったので発展性が無く、マンネリそのものに見えるけど俯瞰すると悪くないのが第2部である。
そして陛下も国王の座についてから一定の時間が経過し、今だからこそ分かることがあるのだろう。時間の経過により陛下は自分の人生や あの時の決断を冷静に眺めることが出来るようになって、それが周宰相との和睦に繋がっている点も良かった。大事なのは時間の経過と、そして夕鈴がいるという条件で、それが重なって陛下の心は落ち着いていく。
また周宰相の言葉で陛下の中にあったであろう、養父から引かれた一線が薄らいでいくのも良かった。自分に「王の子」ではなく、個人としての幸せを願ってくれた人がいること、それは きっと今後の人生に大きな意味がある。これから暗闇の中を走っていても陛下には温かな家族が確かにあったし、そして横を見れば夕鈴という伴走者がいるのだ。
そして今回、陛下が周宰相に激怒するという誤解は、直近の陛下がトラウマに囚われ、周宰相の動きを把握していないことで増強されるというのも良かった。実際の周宰相は陛下が思うように夕鈴を利用しておらず、むしろ夕鈴が利用される(または抹殺される)ことから彼女を守り続けている。その動きを陛下はトラウマによる不調で珍しく把握していない。そして夕鈴が激怒の場面を目の当たりにするから、彼女がヒロインとして少しの「お節介」をする動機になるのも良かった。
こうして夕鈴だけじゃなく陛下も成長することで、2人は新たな関係にステップアップする。最終巻を前にして この過去編は避けては通れない道なのである。いよいよ次巻で完結。ここでも時間の経過が重要な要素となっている。
恵 紀鏡(けい ききょう)から陛下と周(しゅう)宰相の不仲説を聞いた夕鈴は その真偽を陛下本人、浩大(こうだい)、そして周宰相の順に聞いて回る。
陛下は話題を変えてしまうが、周宰相は夕鈴に、周宰相が過去に陛下からの信頼を失ったから、極力 私生活に関わらないように心懸けるようになったと語られる。だが夕鈴を心配する周宰相の様子を陛下が目撃することで、陛下は本気で怒りを見せる。これは周宰相が領分を出たと判断したから。本気で怒った陛下を見た夕鈴は恐怖で その場で膝をつく。演技ではない本気の怒りは ここまで周囲を圧倒するのだ。
その後でも陛下は相変わらず お茶を濁そうとする。また翌日から2人は通常通り協力して政務を進めていることも夕鈴には不思議な関係に見える。なので昔馴染みの克右(こくう)から話を聞こうとするが断片しか聞けない。最古参であろう李順(りじゅん)は口が堅いだろうと踏んだ夕鈴は打つ手に困る。


そこで夕鈴が取ったのは、離婚から復縁への期間中(『13巻』)で使用した後宮内の檻部屋への自主的な籠城。陛下が妻である自分に話をしない限り、ここに籠城すると夕鈴は宣言する(※自分勝手な行動や無責任にならないように妃の職務の遂行は前提とする)。
妻からの家庭内別居宣言。その話を聞いた陛下は あっさりと話すことを決意する。夕鈴の覚悟と切実さを知ったからだろう。
ここから陛下の過去回想が始まる。※肩書が当時のものと現在のものが混在して読みにくいかもしれませんので悪しからず。
陛下は、父王に寵愛された母親の体調悪化のために共に王宮を去り、北の辺境で育った。そして母亡き後は価値のない王子として静かに暮らす。その当時、当地は李順の父親が地方官で、その流れで李順は陛下の お守りをすることになった。
だが異母弟の存在が目障りな陛下の兄は刺客を時々 送り込んでいた。これでは陛下が兄弟というものを理解できないのも当然か。
しかも父王が死に、兄が国王になると いよいよ厄介な存在である陛下は捏造された理由で処刑されることが現実的になる。何となく陛下と異母兄の間柄は、方淵(ほうえん)と その兄に似ている気もする。しかも そんな兄は即位後にプレッシャーから酒と女に逃避し、国全体を停滞させた。
現実味を帯びた処刑に対し、地方官である李順の父は、暗殺される前に陛下が死んだことにする。陛下が身を隠したのは北の辺境で国境警備をしている部隊。その隊長の子として陛下は扱われる。そして それは「王の子供」という立場から生まれて初めて切り離された陛下にとって大切な一瞬だった。全員 血が繋がっているけど冷たかった王宮に対し、全員が血が繋がっていないけど温かかった北の大地。
そして その辺境での生活に陛下が慣れた頃、周宰相が現れる。彼は左遷されて この地に来た。周宰相は陛下に「王の子供」という身分を再び もたらした。そして周宰相は李順を再び陛下の従者とする。
周宰相は とんでもなく有能な官吏。それは成長した陛下にも分かった。周宰相の仕事を間近で見聞きし、陛下は見識を広める。周宰相は陛下に国王教育を施した人とも言えるだろう。師弟関係であり、同志なのである。
陛下にとって兄王による治世の乱れは自分の住む世界と違う次元の話だった。陛下の生きる場所は北の大地でしかなかった。ちなみに浩大は周宰相が護衛につけるために寄こし、克右は中央からの援軍の中にいて、そこで出会ったようだ。
だが やがて荒廃した中央政治の影響は地方にも及ぶ。軍功を目的とした将軍が赴任したことで地方の安定した暮らしは一気に崩壊する。
異民族の襲撃に悪天候が重なり、陛下たちの部隊は全滅の危機に瀕する。陛下は自分が足止めすることで仲間を逃がそうとするのだが、その役目を養父が担う。その今生の別れの際に養父は陛下を「王の子」として扱い、彼に正当な血筋を公表させ、残存部隊を率いるように命じる。それが義父が見た「息子」の進むべき道だったのだ。
だから陛下は定められた道を どこまでも走った。そして王弟として部隊を建て直し、その後、中央=兄にも存在を認められ、各地の反乱制圧に駆り出される。だが夢中で進んだ その道の先には不自由が待っていた。
兄王は都合よく弟を利用するだけで、自分の弱さから目を背け続ける。陛下は何のために戦っているのかも分からなくなる。そして北の大地で得た仲間たちは王弟に対しての態度が少し変わる。王弟であることを名乗った日から、もう戻らない日々の中に陛下は生きている。
そんな頃、兄の危篤が周宰相によって陛下に伝えられる。現国王には跡継ぎは まだ赤子。他の候補者も10歳に見たず、新王が王宮の権力者の傀儡になるのは火を見るより明らか。
そこで周宰相が提案したのが兄王との謁見。陛下が禅譲を受けることで正統な後継者にする、というのが彼の考える筋書き。もし兄王が弟を拒絶した場合は中央軍が陛下の指示に回るという確約を彼は得ていた。しかし それは陛下の意思を無視した内密で陛下は怒り心頭に発する。
しかし周宰相は国を憂う者として最善の手を打ったことも、そして優秀な周宰相が初めから そのために自分の近くにいたことを陛下は悟る。周宰相が作った道もまた陛下が進むべき道であったのだ。
こうして陛下は国王となる。禅譲ではあるが、目論見が外れた王宮内の者にとっては王位の簒奪と思うものが少なくない。だから陛下は狼陛下となって権力の確立を優先した。
ここで陛下は周宰相を宰相に命じるが、彼の望む形で擁立されたことへの不快感は消えず、二度と周宰相が領分から出ないよう厳命する。陛下は周宰相の有能さを誰よりも理解しているが、彼がいつか夕鈴を利用するかもしれないという危険性を拭いきれない。
そんな陛下の話を聞き終えた夕鈴は陛下を名前で呼ぶ。今の陛下に辛さや悲しみは無い。ただ欠落感はある。自分が「王の子」または「王そのもの」ではなく、珀 黎翔(はく れいしょう)として生きた時間への懐郷と渇望が内から湧いて出る。過去を思い出すたびに陛下は愛しい人に咬みついてしまう。もしかしたら過去に夕鈴が、陛下の異母弟・晏 流公(あん りゅうこう)を名前で呼んだことに嫉妬したのは、異母弟が まだ自由であるように見えたからかもしれない。
その後、夕鈴は周宰相と再び陛下のことを語り合う。周宰相は自分の望みのために陛下の退路を断ったことを自覚している。その罪の中にいる周宰相にとって、夕鈴は陛下が自らの意志で手を伸ばした存在。だからこそ周宰相は王宮の老人どもが夕鈴に手を出すことを許さなかった。陛下は周宰相が夕鈴を利用すると思っているが、周宰相は夕鈴が利用されないよう手を打っている。
そんな周宰相の陛下を思う心を知った夕鈴は、有無を言わさず周宰相を陛下のもとに連れていく。だが陛下は対話を拒絶する姿勢を見せる。いつもなら夕鈴の優しさとして処理する行動を「お節介」と評する(確かに その通りだけど…)。
しかし夕鈴は怯まない。最愛の妻である自分と毎日一緒に居ても陛下は空腹感があり、何かを咬もうとすることで満たされようとする。それは陛下の中の飢餓は夕鈴では満たされないことを意味している。だから夕鈴は陛下の問題の根本である周宰相との関係を2人の会話による修復を望む。
2人きりになった際、周宰相は発言の許可を願う。それは陛下の養父が陛下を ただの人としての人生を歩ませたい意志があった というもの。けれど「王の子」は どこまでも そうで、その人生は不可能だと周宰相は答えた。養父が陛下に一線を引いていたのではない。周宰相は それを陛下に伝えたかった。
そして陛下も この国には王が必要であることを熟知し、そして切望していた。そして自分は王になる資格があることも。だから きっと あの時、周宰相に退路を塞がれなくても、陛下の人生は王になる決意をする日があった。今の陛下はそう思う。そう思えるから改めて周宰相には国と自分のために働くことを望む。そうであるならば陛下は王であり続ける。
その言葉を聞いて周宰相は感情を乱す。その思いがけない表情を見て陛下は昔のように屈託なく笑うのだった。いつだって陛下を癒やすのは思いがけない人の行動なのかもしれない。
一人で走っていた陛下だったけれど、今の陛下には夕鈴という伴走者がいるのだ。