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少女漫画と小説の感想ブログです

ひとりじゃないと 囁いてほしい planet…『ダイアモンドクレバス』

椿町ロンリープラネット 1 (マーガレットコミックスDIGITAL)
やまもり 三香(やまもり みか)
椿町ロンリープラネット(つばきちょうロンリープラネット
第01巻評価:★★★☆(7点)
  総合評価:★★★★(8点)
 

大野ふみ、高校2年生。父親の借金返済のため住み込み家政婦をすることに。家主は…目つきも態度も悪い小説家・木曳野暁。新しい町での同居生活一体どうなるの──!?

簡潔完結感想文

  • 少女漫画において 生活の困窮から女性を救うセーフティネットはイケメンである。
  • 宇宙を漂う孤独な惑星の、互いの重力が干渉しあう。「家族」を中心軸にして公転。
  • 年上の「先生」と同級生との関係には既視感が生まれそうだが、これはトラップ。

マホを片手に女中奉公をする時代モノ少女漫画、の 1巻。

本書は舞台・時代設定こそマーガレット読者のために現代にしているけれど、
作者の中では、作中の小説家・木曳野 暁(きびきの あかつき)先生が描く
時代小説のような時代を念頭に置いているのではないか。
そう考えると様々な点に合点がいく。

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過程の困窮により奉公に出る ふみを主人公にした時代小説。関係は奉公ではなく婚姻でも良い。

戦前ぐらいまで(?)は、家庭の経済難から10代の子が女中奉公に出されることは ままあり、
子供も黙って それに従うしか生きていく道はなかったと思われる。
冒頭で主人公の ふみ が父の借金により、家を失い、
放逐されるのも、これは時代物なのだ、と思えば、大体のことは容認できる。
その時代に「個」はなく、人は運命に翻弄されるだけなのである。

更に序盤の木曳野先生の、主人公・大野(おおの)ふみ に対する傲慢に見える態度も、
主従の関係が明確な時代だと思えば、当然の態度にも見える。

特に時代小説家の木曳野先生は熱中しやすく、
自らも その時代に生きていると錯覚するほど錯乱(笑)していると思えば、
女中に対する人権意識など希薄なのも納得できるのではないか。

そして先生の態度の豹変(軟化)は、本書を最後まで読めば、その理由にも納得がいく。
この時点で男女の魂は深く呼応しており、
胸に孤独を隠し持つ2人が、1軒の家の構成員「家族」として歩み寄る、
1話目としては完璧ではないだろうか。

この先生の意識の変化によって、時代も一気に進んだように思える。
戦前的な主従関係や家父長制度から、一緒に住む疑似家族に、人権と思い遣りが与えられる。
そして これから2人は更に関係を変化させていくのである…。

達観している ふみ の性格も、木曳野の気の荒さも、
今より随分前の人達だと思えば納得できる点が多いのではないか。


2人が家族になっていく様は、
さながら 親同士が決めた お見合い相手と有無を言わさず結婚させられる様子に似ている。

ふみが 高校1年生でなく、2年生なのも既に16歳という、
現在の法律の女性の最少結婚年齢に達しているという意味もあるかもしれない(深読みという誤答)。
(もうすぐ(2022年04月から)民法が改正されるが)

ふみ は高校生にして必要に迫られて、また本人の努力によって
家事や料理といった いわゆる「花嫁修業」を経て、この家に来ている。
お嫁さんとしては完璧なのだ。

だが、問題は木曳野暁の方で、
彼は自分の想像と違う女性が目の前に現れたことで不機嫌になるし、
(もっと高齢の女性が来ると思っていた)
上記の通り 職業柄、前時代的な思想で生きているからか、女性に対する意識も低い。

だが 木曳野にも これから ここで2人で共同生活をし、
「家」を作っていくという意識が芽生えることで、ふみを迎え入れる覚悟が生まれる。

木曳野に対して ふみが随分と年少であることも、
彼の中での庇護欲が生まれる契機であったと思われる。
自分と似た匂いを発しながら、自分よりも弱く 若い ふみ の存在があって、
木曳野に家長としての自覚と責任が芽生えたように思う。

縁あって同じ家に暮らすことになった2人。
独りで生きてきた木曳野が、
生活面、健康面、そして精神面と段々と ふみ に甘える自分を許していく物語でもある。

それが仕事バカといえる彼が、
この世界そのものに目を向ける契機ともなっていく。
序盤の木曳野の頑なさがあるから、彼の変化が分かりやすいのだ。

そして やがて彼らは自分たちが男女であることを意識し始める…。

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ふみ に帰れる場所を提供すること。それは木曳野に書く以外の人生の目標を与える。

は本書の雰囲気が大変 好きだ。
読んでいるだけで 身体が ぽかぽか してくる。
目まぐるしい現実とは時間の流れや重力が違うような気がするし、そして常に温かい。
適温の湯船に浸かっているような、安堵と開放感がある。

本書は この雰囲気を作り出しているだけで価値があると思う。
作家さんで言えば既に「文体」がある。

購買者である読者には数多くの作家から自分が心地よいと思う人を選ぶ権利がある。
合わなければ黙って退出すればいいだけの話である。

内容に少女漫画的展開や場面がなくはないが、最小限で、わざとらしさがない。
私の家の隣町にありそうなぐらい現実的で近いのに、きっと どこにもない遠い場所。

良い意味でのファンタジー感と、
ふみ が感じる先生の立体感や現実感が良い塩梅で混ざっている。
いつまでも飽きない味を提供できるのは、作り手の腕が相当 高いからに違いない。

当たり前だが作者は ちゃんと人物造形をしている。
物語の発端となった父親の借金にしても、後半で明かされ、
それを読めば実に父親らしい借金の作り方で、逆に安心するほどだ。

人物に関しても特異なキャラクタがいないので、
刺激を求める読者にとっては、物足りない味わいに思えるかもしれないが、
作者が登場人物の個性をしっかりと引き出していることが分かる。
どの人物たちも過去からの流れを汲んで、今を生きている。

本書は最後の一口まで ずっと美味しい作品だった。
好ましく思った作中の雰囲気は一度も失われず、登場人物たちにもブレがない。

まぁ、主人公・ふみ に関して言えば、
前作『ひるなかの流星』の つばめ と同じ系譜で、
もう少し違うキャラクタにならなかったのかな、とは思わざるを得ないが。


書は平たく言えば同居モノである。

「少女漫画において 生活の困窮から女性を救うセーフティネットはイケメンである。」
これは、別の少女漫画作品(晴海ひつじ『斎王寺兄弟に困らされるのも悪くない』)の感想文で使った文章だが、
本書も同じ。

進学や転校で新天地に行くとイケメンが待ち伏せしているのと同じように、
人生で転落したり没落したりするとイケメンが落下を防いでくれる。
この辺りは実にスイートな少女漫画世界ではないか。

ただし本書は現代劇の甘酸っぱい同居生活ではなく、
上記の通り、女中奉公からのスタートである。

前作読者を意識した構造も面白い。

木曳野先生は、間違いなく『ひるなか』の獅子尾(ししお)先生の分身と思うし(どちらも「先生」と呼ばれるし)
そして『1巻』途中から登場する相生 一心(あいおい いっしん)は、馬村(まむら)ポジションと誰もが思うだろう。
だが、それは作者の仕掛けたミスリードである。
それが思わぬ方向に行くから、読者も飽きない。
私も『1巻』発売時に感想文を書いていたら、
主人公の造詣だけじゃなく、物語の構造まで似ている。
引き出しが少ない、などと酷評していたかもしれない。
それが怖いから完結後に感想文を書いているんですが(ビビり)。


居生活で、自他の強さや弱さを認めていくエピソードの重ね方が好きだ。
中でも彼らが自分の弱さを認める回が好きだ。

ふみ では下着泥棒と鉢合わせになる回が良い。
母を亡くしてからというもの、
働きに出ている父に代わって、家のことを全てこなせるように努力をしていた ふみ。

だが彼女が泥棒と対峙して身動き一つとれなかった時に、
木曳野が登場し、泥棒と そして彼女の恐怖心を追っ払ってくれた。

分かりやすいナイトが姫を守る回であり、
木曳野が ふみを守ると宣言した回でもある。
久方ぶりに 助けて欲しいときに、助けてと言える環境を得た ふみ。
こういう意識の変化のエピソードが序盤は幾つも用意されている。

そして これは日中に家に居ない父とは違って、
木曳野が在宅ワークをしているという点も活きているのがいい。

四六時中 誰かが近くにいる生活が ふみ にとっては久方ぶりなのである。
ここもまた良くも悪くも大人びなければならなかった彼女の新発見である。

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ふみが自分の弱さを自覚すると同時に、木曳野も ふみ の弱さを知るから守ろうと決意する。

して木曳野先生が弱るのが、『1巻』最後の風邪回。

木曳野もまた弱っている時に自分では意識しない心が顔を出す。
過去を回想し、自分の好きなものを ふみ に伝える。

他人に自分を分かってもらおうなんて思っていないであろう彼が、
自分の好物を無邪気に伝えられている、というだけで
彼の胸襟が大きく開いていることが分かる。
珍しく心身ともに弱っている彼が、また一つ ふみを自分の世界に立ち入らせていく。

それもこれも相生のお陰である。
彼が ふみを 数日間あの家から遠ざけてくれなければ、先生は体調を崩さなかった。
本来いるはずの人の不在が、家と、木曳野の心に、ふみ という輪郭を鮮明にした。

この生活が日常になり始めたタイミングで、この不在が起きるから意味があるのだ。
相生の転校のタイミングの遅さは、このためだろう。
そして1話から登場していないことが彼は三角関係を形成しない証拠であろう(例外はあるが)。

それにしても執筆に没頭するあまり無茶な生活をしている木曳野先生は、
ふみ に出会わなければ早晩 身体を壊していただろう。
彼にとって ふみ との出会いは 命のセーフティーネットなのかもしれない。

人としてのリズム、呼吸を取り戻し、
他者がいる世界を認められるようになったのは彼女のお陰である。