
湯木 のじん(ゆき のじん)
ふつうな僕らの(ふつうなぼくらの)
第03巻評価:★★★★(8点)
総合評価:★★★★(8点)
楽しかったよ ふつうに 椿や元カノの日高への態度をめぐって一颯と桜介がケンカに。椿はふたりを仲直りさせようと花火大会に誘う。(もちろん一颯と行けるのも楽しみ!)仲直りできて一颯は椿のことをもっと知りたいと思うように…。距離が縮まる第3巻。
簡潔完結感想文
- 自分の思いと同じ気持ちを返してくれない一颯は一緒にいると苦しくなる存在。
- 腹痛による撤退でも、階段を駆け下りる介入でも、椿は男性同士の関係に一役買う。
- 兄が手話を覚えなかったのは、弟との会話を閉ざしたのは自分だからなのだろう。
全・否・定! の 3巻。
すごい、一颯(いぶき)のデリカシーの無さが炸裂している。でも一颯のことを嫌いになれないのは、彼の生い立ちや背景が ちゃんと描かれているからだろう。一颯は先天性の障害ではなく後天的な障害で、それまで「普通」の人生を送っていたからこそ、世界が一変して こじらせてしまった経緯が垣間見える。


そして世界は≠で溢れている。現在の一颯の周囲にいる3人の人たちは一颯に特別な感情を持っている。だから彼と関わり続けるのだけど、一颯という人は どの誰にも同じ気持ちを返さない。一般的には恋情であれ友情であれ、その関係性の中に不等号が登場したら、そこから関係は破綻する。でも相手は惚れた弱みがあるし、一颯も自分にとって彼らは世界でたった数人の接点であるため関係性の継続を望む。
優しいけど優しくない それが一颯の性格で、それでも どうしても一颯に惹かれてしまう3人の人たちは、彼との関係性を模索し続ける。この『3巻』では三人三様の道を進んだように見える。元カノの日高(ひだか)は これまでズルズルと一颯との接点を求めていたけれど、写真部を辞めることで友情しか与えてくれない不毛な関係を一度 断ち切っている。そして桜介(おうすけ)は好意に近い友情の封印を決意したように見える。その友情すらも否定する一颯に対して存在を否定された気持ちになるけれど、友達として彼と交友を続ける。
そして椿(つばき)は存在がチートなので揺るがない。一颯に何を言われても裏切りのような行為を受けても、それでも真っ直ぐ一颯に向かう。これが他の2人には無かった彼女の強さで特権だろう。ただし椿はパーソナルスペースを ちゃんと尊重する人。相手の どんな行動を責めない。全否定の一颯とは逆の全肯定ヒロインと言っていい。それは一颯に対しても同じで ちゃんと空気を読んでいる。一颯が空気が読めないところがあるのと真逆である。不器用すぎて人の心を ざわつかせる一颯に対して椿は彼の人生の問題を解決するキッカケを用意している。その椿の功績を一颯は一部しか知らない。
重苦しくなりそうな内容なのに重苦しくならないのは椿という太陽のような存在がいるから。特に桜介が一颯との友情を破綻させなかったのは椿の存在が大きい。桜介は椿に身体的な接触を許したり特別な存在になりつつあるから、好意に近い友情を封印できた。それは自分が一颯以外の人を好きになれる、認められると桜介が感じたからではないか。
その椿の活躍により、懸案であった一颯と兄との関係が改善する。ヒーロー側の家庭の事情を解決するのはヒロインの正しい仕事で、トラウマというべき事件の解決は一颯の恋愛感情解禁を意味しているようにも思える。
今回、私が好きだったのは兄弟への椿の接し方と、兄の立ち位置。椿は兄に対して仲直りを強要しない。一颯を被害者、兄を加害者という位置づけにせず、ただただ兄の視界に自分を入れるだけ。それが弟の事象に目を背けていたメガネ男から こじらせたフィルターを取り去り、素顔で弟を改めて見ることに繋がっている。
兄が改心するのは、兄が改心したい気持ちを最初から持っていたから。兄は勝手にセルフ陥落して自分の幼稚な思いと行為を自白する。一颯に好意を抱く3人は優しい人だったけれど、この兄は優しくなれなかった人といえる。そして大事なのは「優しくない人」ではない、ということ。一颯が自分自身の障害や性格を上手く処理できていないように、兄も弟の障害に対して上手く気持ちの整理が出来なくて関係性が こじれてしまった。本当は きっかけさえあれば元の関係に戻りたかったのだろう。それが兄が実家を出る前に済んだのは幸運で、椿の功績は大きい。
そして この兄に対しては作中で初めて 一颯が抱える思い(好意)の方が大きいのではないか。聴覚に障害を持ってからも自分は変わらずに兄を慕っていたのに、兄は自分への態度を変えた。ここでも≠が起きている。
『2巻』の感想で書いたけれど日高が ただのビッチではないように、この兄が こうなってしまうのも仕方がないと思える情状の余地が ちゃんと用意されている。
一颯は聴覚障害になり人生が一変したけれど、兄もまた見えにくいけれど弟の障害で人生が変わっている。2人以上の子供がいる家庭では病気や障害を抱える子供に時間を割いてしまい他の子供に手が回らないジレンマを抱えるものらしい。
この時、母親は一颯が「普通」の生活を手放さないよう一生懸命に教育を施そうとした。それが純粋ともエゴとも言える親の願いだろう。でもそれによって家庭内に歪みが生じていることに彼女は無自覚だった。父親は船乗りで不在なことが多いから、ワンオペだったのも不幸といえる。他者を傷つけることに無自覚なところは見た目的にも性格的にも一颯は母親似なのだろうか。
そして同じことは良好に見える椿の妹にも言える。全てを いっぺんに語るのではなく、作品内の語られない部分がまだまだあることが嬉しい。一颯の兄と椿の妹が出会ったら、きっと同じ心境を理解し合えると思う。
『1巻』で椿に言っていた通り桜介が手話サークルに通い出したのは、一颯の母親に代理で行き帰りの見守りを頼まれたことが きっかけだった。桜介が興味が無さそうなことに一颯は申し訳なく思うけれど、桜介は一颯と話すために手話を本で学び、実践を積むためにサークルに毎週通うようになった。最初に桜介がサークルの同行を承諾したのは、父親の都合で、家を出た母を快く思わない祖母の家で留守番しているよりも有意義で自由だと思ったからかもしれない。
しかし中学に入ると そこに日高が加わった。これまで一颯と並んで歩いていたのに、自然と自分は後列から彼らを見守るばかり。しかも桜介の目から見ると一颯は恋をしていない。そんな不毛な関係に桜介は苛立っていた。そして一颯は交際しても、桜介と一緒にいても幸せではなかったという。一颯は時々とんでもなく残酷だ。
中学時代から桜介もモテ始める。しかし桜介は馴れ馴れしくパーソナルスペースを侵してくる女性が苦手。その点、椿はグイグイ距離を縮めているようで、桜介の苦手を理解して踏み込んでこないから楽なのだろう。
桜介は いつも椿が一颯から距離を置かれた時に そばにいてくれる。写真撮影の自由行動で椿は一颯と約束をしたはずだったけれど、一颯が体調の優れない日高を発見し彼女を優先したため、桜介と行動を共にする。日高と行動を共にした一颯だが、彼は友達だから放っておけないと日高にとって嬉しくない言葉を紡ぐ。なかなか無神経な男に他の3人は傷つけられている。
今回の一颯の行動にチクリと言うのは桜介。自分を好きな椿を放置し、誰が見ても一颯に未練のある日高を友達という。そして椿の立場を思って苦言を呈している桜介に「関係ないだろ」と言う。一颯にとって言葉を交わしてくれる人の大切さは分かるけど、その反面 桜介に対しては彼の存在を無視するような軽視がある。
桜介が怒りで部屋を出て1年生部員の部屋に行くと、そこでは1年生だけの親睦会が行われていた。その場で一颯と日高の仲を噂が始まると、桜介は椿を気遣い買い物に連れ出す。椿は桜介の存在に救われ流れ出る涙を止める。それと同時に椿は無意識に桜介の気持ちを救う。桜介の一颯への想いが どんな種類のものであっても否定しない。だから桜介は椿にだけは触れ合いを許す。
合宿が終わって縮まったのは椿と桜介ぐらいで、あとの関係では距離が生まれる。
夏休み中、椿は桜介の妹と電車内で遭遇し桜介の家に上がる。そこで椿は花火大会に一颯と行く前向きな計画を話し、桜介も誘う。椿は桜介と一颯の間にも話さなければならないものがあると感じ取っていたのだ。一颯を花火大会に誘うのに椿は桜介をダシにしない。むしろサプライズ演出で桜介と対面した一颯の不興を買う。
子供の喧嘩を続ける男同士の雰囲気に割って入り、椿は一颯への誕生日プレゼントを渡すが4秒で終了。桜介の妹と行動を共にする椿は、一颯と桜介に先に花火大会会場に言ってもらおうとするが、一颯は男同士で見ることに不満を述べる。それがセンシティブな桜介の心を傷つけるとも知らず。だから桜介は背を向けて立ち去るのだが、その直後 椿が苦しみだす。メッセージを送るよりも早く桜介に助けを呼ぶために、一颯は声を発する。普通に考えたら、椿との恋愛のクライマックスで使いそうな手法を まさか ここで使うとは思わなかった。
ただの腹痛を訴える椿をトイレに向かわせ、桜介は再度 一颯と合流する。その時 一颯は椿から贈られた誕生日プレゼントを眺めていた。一颯は椿が思っている以上に椿を大切にしている。ただ それが椿に伝わると調子に乗るし、自分の気持ちがまだ椿と同等ではないから一颯は感情や表情をコントロールしているのだろう。
一颯が この日、桜介と鉢合わせたのが気まずいのは女性の誘いにホイホイ乗るような男と また軽蔑されると思ったから。でも桜介は一颯が彼の性格と椿への詫びで花火大会に来ると分かっていた。そして日高のことも大切にしたいことも分かっている。一颯は自分が椿と想いが対等でないことを気にしているが、他の人との気持ちも一颯はイコールにならない。桜介にとっては一颯と出会って、過ごした毎日は楽しいものだった。でも一颯にとって違うことが桜介をまた捨て子のような気持ちにさせた。自己肯定感を回復させている途中で その相手から手を離された。でも椿は そんな自分と同じ楽しさを共有してくれた。一颯が幸せを実感できる相手が自分ではないことを痛いほど理解して桜介は友達のポジションでい続ける。
桜介兄妹が帰り、一颯は椿を捜す。そして一颯は椿に対する特別な気持ちを匂わす。前進しているけど、前進しただけ後退してきた前例があるから幸せが怖い。実際、一颯は明確な好意を持ち始めた訳じゃないし、椿との交際を始めようと言う意思もない。それだけ確認して再度 腹痛に襲われた椿は軽やかに撤退する。
この頃になると、一颯は椿の手話習得に対して以前のように不快さは湧いてこないらしい。そして かつての桜介と同じように椿は実践で手話を学ぶためにサークルへの参加を考える。その話を聞くために椿は一颯の家に初めて上がる。そしてサークルの雰囲気が分かる写真を見せ、同行することまで提案する。しかし直後に写真フォルダの中から一颯が兄と写る幼い頃の写真が出てきて、気まずい雰囲気が流れる。
この日、椿は一颯から渡された手話の本だけでなく彼の読みかけの本まで一緒に持って帰ってしまったため、翌日 桜介を連れて一颯の家を再訪する。到着した椿の前に玄関から兄が姿を見せる。その兄に本の返却を頼もうとしたが、椿が手話の本を間違って出したら兄の態度が急変する。椿を突き飛ばし、外出から帰ってきた一颯を無視して立ち去る。
一颯は自分が兄に嫌われているとメッセージで伝える。その暗い雰囲気を椿はメッセージで吹き飛ばす。その明るさに一颯は救われ、そして自分の小ささを思い知るのだろう。この回で椿は一颯から「石」だと思われる自分から脱却したかったようだけど、むしろ存在がチートでレベチなことの方が一颯との間にある切実な格差問題だろう。


草野(くさの)兄弟は一颯が難聴を発症するまで仲が良かった。一颯が難聴になったのは小学校に上がる前で、既に喋ることが出来た。だから母親は一颯に声を使った会話を続けさせる意向だった。兄も変わらず交流をしていたが、その中で変わってしまったことにも気が付く。母の関心は弟の安全、弟の将来に向けられ、兄は二の次になり始めていることを幼い一颯は気付かない。それが中学生になり思春期真っ只中の兄の心を傷つけたことは想像に難くない。兄は母親に捨てられたも同然と思ったのではないだろうか。
そして一颯の学習、進学を念頭に一家は引っ越しをする。その頃になると兄は弟の、人とは違う喋り方に羞恥を覚えるようになっていた。一颯が喋ると友達から周囲から視線が集まる。一颯は自分の声が どう発声されているのかが分からなかったが、自分が思っている以上に一般的な発声とは齟齬があったのだろう。だから兄は一颯に会話を禁止する。それが兄からの拒絶に思えた。
そこから一颯はコミュニケーションに手話を活用し始める。一颯が桜介と会ったのは自分が発話を止めてからのようだ。
一颯は2年ぶりに自分が かつて通っていた手話サークルに椿を連れて顔を出す。2年前から通わなくなったのは日高と別れてからだろうか。その日高は たまに顔を出していた。それは一颯への想いが くすぶっていた証拠だろう。
この手話スクールで椿は一颯の個人情報を収集する副産物に遭遇する。そして一颯からも兄と関係を聞きだせ、兄が来年には就職で家を出ていく予定であることを知らされる。ということは大学4年生なのか。一颯とは5歳差か。
この日の帰り、椿は その兄と遭遇する。彼に話し掛けるものの、彼は一颯に関する情報が全て嫌味に聞こえる耳になっていた。険悪になりかけた時に一颯と兄の友人の それぞれが登場し、兄たちはエレベーターに乗って去る。しかし それを椿は許さず、階段を使って先回りしエレベーターの到着を待って自己紹介する。そして椿は これからも兄に関わり続けることを告げる。椿が兄を避けないのは、一颯が兄のことを悪く言わないから。
でも その言葉も兄は信じられない。兄は世間的には「優しくない」側の人間だった。桜介は優しい側の人間になれたのに、兄の自分は なれなかった。そして弟を拒絶したことで彼は一層 苛(さいな)まれる。自分の言動が弟の人生を変えてしまったのではないか、友達がひとりしかいない、楽しくなさそうな学校生活を送る弟を見ると そんなことが頭をよぎる。
弟の姿が見えない眼鏡を取った景色の中で兄は独白するが、そこに弟は いた。兄の罪悪感を受け止めた一颯は、兄に拒絶される前から自分の喋りに対する周囲の反応が変であることがつらかったと伝える。遅かれ早かれ発話はやめていたから、今の自分が こうであることの責任は誰も負うものではないと伝える。
兄たちと分かれて、一颯と歩く帰り道、改めて椿は今の一颯を肯定する。椿の存在は間違いなく一颯にとって救いであろう。
