
湯木 のじん(ゆき のじん)
ふつうな僕らの(ふつうなぼくらの)
第01巻評価:★★★★☆(9点)
総合評価:★★★★(8点)
「特別」じゃない僕らの、ありふれた恋の物語。 東京から引っ越してきた椿は、春休みに街で出会った一颯(いぶき)先輩を好きになった。一颯と「普通の幸せな恋」がしたいと、椿は手紙を渡して告白する。でも、耳が聞こえない一颯は、そのことを知った椿を冷たく突き放し…?
簡潔完結感想文
- 『1巻』で2回、声が届かずに転んで膝をケガをするヒロイン。そして恋を知った後では泣く。
- ヒロインとヒーローにある、認識の差。少数派ヒーローと思いきや どちらも普通と言えない。
- 健常者と障害者にある、見えない壁。その壁を意識しない交流は他者から特別だと思われる。
ヒーローのことを肯定し続ける ふつうなヒロインの敗北、の 1巻。
前作『これは愛じゃないので、よろしく』に続いて大変 面白かった。前半は人は他者のことを完全に分かることは出来ず、偏見や先入観を捨てられない。一見 健常者に見える人、障害のある人、優しいと思われがちな人、派手で遊んでいると思われる人、誰もが他者から見た自分と本当の自分の間に齟齬がある。
そして後半は登場人物の多くは誰かを羨ましい思いを抱えていた。小さいことでいえば背の高さ、大きいことでいえば性別、そして本書ならではの障害の有無や特別な経歴など、人生の叶わないことを根本に求めてしまう人たちがいる。健常者や健康な人が そうではない人に羨望を抱く展開を少女漫画で描いたことに感心した。重くなりそうなテーマをコミカルだけどシニカルに、軽妙だけど重厚に描くところに作者の確かな力量を感じた。
まず何度もネームを描き直したという1話の完成度の高さに驚かされる。1話は新しいことの連続だ。ヒロインの椿(つばき)は3月に引っ越してきて新年度から高校生活が始まる。新生活では恋をしたいと望んでいた椿は春休み中に1人の男性に出会い、彼が進学先の制服を着ていたため、椿は学校中を捜し回る。すぐに告白し、交流を重ね、一颯(いぶき)という名前も知った。しかし彼は難聴という障害を抱えていた。


この1話の2/3までの展開で読者は まず驚く。一颯が会話することなかったこと、椿が本当に一方的に喋って自分の言葉が伝わっていると思っていたこと、その意外性に気づいて この時点で冒頭から読み直すかもしれない。
それと同時に読者は作品の設定を理解したと思い込む。誰にでも優しいヒロインが障害や困難に負けず愛を貫く話だと物語の要素を分かった気でいると、1話の残り1/3で再び驚くことになる。なぜ こんなに椿が恋に積極的なのか、なぜ椿は一颯の障害を物ともしないのか。椿側の事情を知らされ読者は また驚く。一颯が最後に椿を「存在が卑怯」と評するが、ある意味で少女漫画ヒロインとしてのチートを発揮しているようにも思う。だって こんなに前向きに明るく世界を捉えるヒロインは他に類を見ない。そして語弊を恐れずいえば こんなに特別で特殊なヒロインはいない。ヒーロー側に重荷を背負わせ、その重さを一緒に分け合うヒロインは過去に会ったことがあるけれど、男女どちらも特殊な設定は珍しい。
そこからの『1巻』収録の4話 全部 新しい。序盤なので引き続き新情報が出てくるけれど、それだけではなく切り口も斬新。
特に2話の健常者が障害者と一緒にいることに他者は意味を見い出してしまう話は感動的と言っていい内容になっていた。恋愛成就が第一目的である少女漫画の第2話で男性同士の友情の構築をする という試みにも驚かされる。それと同時にヒロインが ちゃんとヒロインしている。と言っても これが一颯へのアピールではないのも面白い。椿は正しいことを言っている。しかし この言葉の100%が聴覚障害者の一颯に伝わってはいない。だから これは一颯へのアピールではなく、椿自身の純粋な正義感からの行動だと証明される。
恋愛関係が複雑になることが予感される3話もいいけれど、もっと驚いたのは4話。一颯が普通か普通じゃないか、に焦点が当たりがちだけど、椿は一颯から見たら普通じゃないという構造が露わになったことに仰天した。
椿は高校1年生にして色々な人生経験をしている。経験の多さが精神年齢に直結しているのなら誰よりも大人と言っていい。だから椿は普通の高校1年生が辿り着かない境地にいる。それは悟りに近いものだろう。
人生を生と死の観点から見つめる椿は他者の悩みを矮小化できる。しかし椿に比べると一颯でさえ悩みを抱える凡夫(ぼんぷ)なのである。そこに格差が生じてしまう。悟りを開いて障害も気にしない椿は間違いなく最強なのだけど、最強のヒロインが幸せになるとは限らない。もちろん椿は一颯のことを理解できていない部分があって、椿も一颯のことを孤独にする時もある。悟っているからと言って間違えない訳ではない。
最強であるからこそ好きな人から一線を引かれ、1話と同じように彼に声は届かず背中が遠ざかっていく。「元気で明るくて正しい」椿は、前向きに恋をしようと思ったのに、恋を知ったからこそ1話では我慢できた膝の痛みに涙を流してしまう。
また一颯に対する幻想は、私たちの障害者への偏見だと気づかされる。顔が良い一颯だけど苦労が多くて恋が出来ていないだろうと思っていたし、障害を持って苦労しているから他者に優しいと思ってしまう。でも一颯は良くも悪くも普通だ。優しい一面も厳しい一面も、障害を持ってからの苦労で歪んでしまった面もある。上述の通り、悟りを開いた仏の位置にいる椿に比べると一颯も幼く見える。もし椿が何も経験していなければ、必然的に椿の方が幼かっただろう。一颯の特性に対する理解や想像力がなく無意識に彼を傷つける言動をして、その癖 彼に対して優しさを振りまく偽善的なヒロインに見えてしまう恐れがあっただろう。健常者から障碍者への無配慮は読者も読んでいて不愉快になってしまうだろう。そうならないために椿にも背景を作った面もあるだろうけれど、そこで発生する格差のせいで椿は幸せになれない、という展開が皮肉だ。
と、べた褒めする内容なのだけど、一方で話の骨格は前作『これは愛じゃないので、よろしく』と同じではないかという疑いが拭えない。
ちょっと夢見がちで へこたれないヒロインと、顔は良いけど少し こじらせているヒーローという関係性が似ている。そして周囲が貫けなかったものを貫く強さが描かれているのも同じだと思った。作者の作風と言えばそうだけど、特殊な設定を抜きにして考えると、前作と似通っている部分が少なくない。恋をするはずの男女が、それぞれの欠点を相手に指摘されたり自覚したり傷ついたりという流れもそう感じる。本書の方が進化・深化している部分はあると思うけど、底抜けに明るかった前作の方が好きだったかなと思う部分もある。
あと可能性を潰すことでネタバレになっていまうかもしれないけど、椿が早々に一颯を運命の人だと感じるのは、物理的な意味で「心」が言っているのかと思っていた時期もありました。椿に心臓を移植してくれた人が一颯の知る人で、そういう運命の二重性が いつか描かれるのだと勘違いしていた。
また偶然にも直前に読んだ池山田剛さん『小林が可愛すぎてツライっ!!』に続いて耳の聴こえない登場人物が出てくる作品が続いた。『小林』が1週間以内に手話を使いこなしているのに対し、本書は『1巻』が終わっても少しも身に付いていない。きっと本書が現実に近いのだろう。本書を読んだからこそ『小林』の手話の使い方・描かれ方が作者の自己満足に見えてしまった面も大きい。
2019年には本書の他に、聴覚障害を持ったヒロインの森下suuさん『ゆびさきと恋々』が始まっていたり、2022年にはTVドラマで「silent」が始まっている。2020年前後はクリエイターに こういう物語を描かせる世相があったのだろうか。
高校進学を控えた春休み、花川 椿(はなかわ つばき)はパスケースを落とした男性に声を掛ける。なかなか振り向かない男性を追っている途中で転んでしまい穿(は)いていたパンツの両膝が裂けて、ケガをした。電車内で服が破けた羞恥に耐えている椿を見つけた その男性は眠り始めた椿の膝に自分のマフラーを掛け、感謝のメモを残して降車する。
その出会いに椿は運命性を感じる。制服は この春から椿が通っている高校のものだった。だから椿は その男性を捜し回るけれども なかなか巡り合えない。この春休みに制服を着ていたため、自分の先輩であることは確か(もしくは卒業生)。椿は3月に引っ越してきたばかりで顔見知りも人脈もないため、自力で捜すしかない。
手掛かりの一つである彼が残したメモが風で飛ばされ、クラスメイトの柴崎 桜介(しばさき おうすけ)の元に届く。そのメモの端整な字を見て、この字は2年生の草野 一颯(くさの いぶき)のものだという。会いたい気持ちが先走り過ぎて、一颯に会えたのは結局 偶然となる。椿は一気呵成に告白するがチャイムに阻まれる。そこで先輩と普通の恋がしたいと自分の気持ちをしたためた手紙を渡す。
一颯が図書室に出入りしていることを知った椿は二度目の対面を そこで果たす。私語厳禁の空間で2人は筆談を始め、椿は彼の個人情報を引き出す。
その後も図書室で交流を重ねる2人。普通が一番と考えている椿だったけれど、一颯が耳が聴こえないということを突然 耳にする。椿は一颯が自身の特性について言わないことで自分が彼を傷つけていたかもしれないと考えるが、聴覚障害者として長く暮らしてきた一颯は自分のことを周囲に わざわざ言わない。それが彼の普通の生き方。一颯は自分の特性を知っても尚、椿が自分を好きか尋ねる。椿は関係ないというが、一颯は嘘、偽善者と椿の言葉を信じない。耳の聞こえない自分が春休みの電車内で揶揄される椿を庇えるはずがないこと、そして椿みたいな子は苦手だと伝える。でも一颯が突き放すのは、自分では彼女に普通の幸せを与えられないからではないか。
さすがに椿は これまでのように一颯に一直線に ぶつかれなくなる。しかし椿が勘違い男たちの蛮行から一颯の名誉を守り、一颯が椿を助ける場面になって、椿は最初に一颯が自分を助けたのは優しさであることを再確認する。
勘違い男たちの蛮行によって椿の襟元が弛み、一颯は普段は見えない彼女の胸元に傷があることを認める。彼女もまた敢えて自分のことを話していなかったが、椿は中学の時に心臓移植を受けていた。中学時代を闘病と治療に費やした椿は、「普通」の生活に戻ることに人一倍 憧れていた。そして移植者に恥じない嘘のない人生を心のままに送ろうと決めた。だから死に対する意識が軽薄な人に言いたいことがあるし、避けられるなら悲しみを避けたい。
春休み、マフラーを置いて降車した一颯は椿に次 会った時にマフラーの返却をすればいいとスマホに打ち込んだメモで伝えた。その約束が、未来があることが椿は嬉しかった。
明るく元気な椿の裏にも彼女の人生があった。それを知らずに彼女を突き放したのは一颯の傲慢さだろう。彼は自分が普通ではないことで他人と違う一種の特権階級のようなものを抱いていたはずだ。ただ そこで一颯に猛省させたりしない。そこが作者の軽妙さだろう。
椿も一颯から傷つけられたことを気にせず、彼との恋に邁進。
だから一颯のいる写真部に入部する。ポジティブに一颯からの告白を待つ椿だったが、彼が笑顔で接するのは家が隣の幼なじみ・桜介だけだった。しかし桜介は椿のことを、一颯に恋愛感情を抱いたから手話を覚えようとする軽薄な女性の一味だとみなす。


だから椿は桜介を仮想敵にして彼を超えられるよう手話を学ぶ。しかし思うようにいかない。桜介は小学校3、4年の時、一颯の親に言われて一緒に習いに行った。一颯にとって桜介だけが手話のコミュニケーションが取れる人なのだが、桜介は これまでのように一颯と一緒に行動することを遠ざけようとしている節が見える。
しかし結局、桜介から手話の学習方法を聞いた椿は、話の流れで彼にも自分の心臓移植の話をする。その踏み込んだ会話に感化されてか桜介も貧乏な家庭の事情を話し、ゲーム機など娯楽に乏しかった生活だったから手話を学んで時間をつぶしていた と話す。
桜介が一颯と距離を取るのは、一緒にいることで自分が周囲から「優しい人」「いい人」だと勝手にラベルを貼られるからだろう。彼が望むのは椿の意見。友達と遊ぶことは「普通」だということ。健常者と障害者、その2つの特性が一緒にいると周囲は勝手に「いい人」と「かわいそうな人」と見做す。桜介は やっぱり優しいから、自分と一緒にいることで一颯が かわいそうな人になることが耐えられないのではないか。
手話を学んでみて椿は それが一朝一夕でマスター出来るものではないと知る。桜介は一颯と「話したかった」から手話を学び続けたのだろう。言語を介さないだけで、それは普通のコミュニケーションなのだ。椿の望む恋愛は成就しなかったが、友情は成立している。良い話だ。
写真部の撮影会は椿にとって一颯との お出掛け回。その撮影会には桜介もいた。これは友情を再構築した一颯が どうしてもと頼んだからなのか、それとも自分の心境を的確に当てた椿に興味を持ったからなのか。
3話目から本格的に登場するのが一颯の同級生の日高 奈央(ひだか なお)。顔に出来た あざは彼氏に殴られたものらしい。そして日高が一颯とも怪しい関係だという噂を聞き、心配になった椿が駆けつけると、その2人が会話をしていた。日高もまた手話が出来て、話題は一颯につきまとう椿のことだと通訳役の桜介から知る。一颯が日高に、椿が恋に恋しているだけだと伝えたことを知り、椿は落ち込む。


一直線の椿と違い、写真部の一年生は一颯とのコミュニケーションの取り方に難がある。誰もが遠巻きにして、一颯への伝言が上手く伝わらなかった。その態度に声を上げるのは椿、ではなく日高。責任を押し付け合うが有耶無耶にする部内の雰囲気を一喝。正論だが同時に不機嫌を撒き散らしている日高は死ねが口癖。椿に対しても暴言を吐く日高に一颯が割って入る。
間違いなく椿へのヒーロー行動なのだけど、椿は一颯が日高のことを奈央と筆談するのが気になっていると予想される。椿や桜介のような一颯を理解しようという側以外の一颯とのコミュニケーションの難しさと、そこから生まれる彼の孤独や諦念を知る。だから彼が食べ逃したアイスを一緒に食べ、楽しい思い出を作る。写真部は帰ったはずなのに、そんな2人を日高は見つめる。
一颯が難聴になったのは6歳になる少し前。そこから彼は学校生活で色々な種類の人に会った。深く関わらる人はおらず、中学まで ずっと桜介が一番の友達だったのだろう。しかし中学時代、自分の恐怖に打ち克って一颯を助けてくれたのが日高だった。一颯にとって中学時代で初めて名前を覚えた人。
一颯からしても優しい普通の女の子である日高は、現在 髪を染め、ピアスを いくつも開け、彼氏に殴られるような生活をしている。そんな日高に椿は接触する。日高も写真部の先輩ではあるものの厄介者だという自覚がある自分に話し掛けてくる椿とコミュニケーションを取り始める。それは椿が一颯に接近する厄介者だからでもあろう。
日高は椿の知らない一颯の情報を与える。おたふく風邪が原因で両耳が聴こえなくなったこと。それまで喋れていたけれど上手くなくて止めたこと。補聴器をつけると音が聞こえるが言葉が分かる訳じゃなく、読唇術と併せても完璧に理解できない。そして補聴器はストレスになるらしい。この情報を与えるのは日高のマウントにも思えるし、好きなら体当たりしなさいという先輩からの助言のようにも思える。
知ろうとすると知りたくない情報まで耳に入る。一颯の使っているカメラの入手方法を聞く際に、椿は一颯と日高が付き合っていたことを知る。これにより日高の情報量の多さや手話を習得していることに得心がいく椿。2人の別れは日高の方から離れていったことまで知る。
椿は日高が男性と短期間の交際を繰り返していることを一颯の時にも当てはめる。だから日高を責める口調になって彼女の怒りを買う。走り去った日高を追っていた時、一颯と遭遇する。筆談で相談をする椿だったが、一颯から、特殊な経験から悟りを開いているような椿だけが絶対的に元気で明るくて正しい、「1番 遠い世界にいる人」と一線を引かれる。
立ち去る一颯を追おうとするが一颯だから声は届かず、転んで膝をケガする。まるで春休みの出会いのようである。ただし今回は一颯は戻って来ず、自分でケガを手当てするしかない。「激しかったり 苦しかったり 悲しくない 普通の幸せな恋を」望んでいた椿は恋によって涙を流す。
