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吉祥寺の朝日奈くん (祥伝社文庫)

吉祥寺の朝日奈くん (祥伝社文庫)

彼女の名前は、上から読んでも下から読んでも、山田真野。吉祥寺の喫茶店に勤める細身で美人の彼女に会いたくて、僕はその店に通い詰めていた。とあるきっかけで仲良くなることに成功したものの、彼女には何か背景がありそうだ…。愛の永続性を祈る心情の瑞々しさが胸を打つ表題作など、せつない五つの恋愛模様を収録。

  • 「交換日記はじめました!」…恋人同士の圭太と遥が内緒で交わしていた交換日記。二人だけの秘密だったはずが…。
  • ラクガキをめぐる冒険」…高校二年のときにクラスメイトだった遠山真之介。五年後の今、不思議なことに同級生の誰も彼のことを憶えていないのだ。
  • 「三角形はこわさないでおく」…ツトムと小山内さんと、俺。ツトムは小山内さんが気になり、小山内さんは…? 微妙なバランスの三角関係の物語。
  • 「うるさいおなか」…私のおなかは、とてもひんぱんに、鳴る。そのせいでどうしても積極的になれなかった私の前に、春日井君があらわれて…。
  • 「吉祥寺の朝日奈くん」…山田真野。上から読んでも下から読んでも、ヤマダマヤ。吉祥寺に住んでいる僕と、山田さんの、永遠の愛を巡る物語。


どうやらA1(エーイチ)先生の存在はZ1(オツイチ)先生のよんどころない事情から生まれたみたいですね(先生のツイッターより)。噂は正しく、私も直感に優れていた。A1先生の作風の土台には少女漫画があるのではないかと思う。そこにZ先生の底意地の悪い遊び心が加わり、一筋縄ではいかない物語が生まれている。少女漫画もZ先生も好きな私にはこれ以上ないタッグ。そして改めて言おう、どんな名前の貴方も大好きです。
と、私はネットでお手軽に想いを伝えましたが、現実には面と向かって想いを伝えるというのは大変難しい事である。各編の主人公は各々が抱える事情から相手に想いを伝える事が出来ないでいる(以下、括弧内は収録順)。それぞれ理由は、連絡がなぜか取れないから(2)、三角形を大事にするから(3)、想いより先に伝わる音が邪魔するから(4)、相手が既婚者だから(5)、そして相手に会った事すらないから(1)、である。
結構なネタバレかもしれないが、どの主人公たちも最初の、本命の恋は実らないという共通点もある。しかしふとした共通項、秘密の共有が彼らをまた違う恋へと誘うのであった。この運命のイタズラの流れの中にトキメいた相手と80%の確率で結ばれる少女漫画とは違う、乙一先生お得意の透かし芸やよくやってしまう手法などが盛り込まれている。そしてネタバレが続くが、本書は両想いの一歩手前のバリエーションを揃えているとも言え、その地点までどうにか主人公たちが立てるまでの紆余曲折をユーモラスに描いている。基本的にはハッピーエンドなのだが、両想いの一歩手前というなかなかもどかしくこの終幕にモヤモヤを感じる人もいるだろう。しかしこれが一番幸福な距離感であるとも言える。片思いという独りよがりな状態ではなく、時間による気持ちの慣れや減りもまだない頃だから。
各主人公たちには自分に対するコンプレックスや秘密や引け目があり、それが恋愛に奥手に、踏み出せない理由になっている。しかし主人公たちが想いを確認する「一歩前」の地点に立った時、それまでの懊悩は小さくなり、生き方や人生の面は「一歩先」に進んでいる。まぁ冷静に読み込めば、この主人公たちの容姿は決して悪くないんだよねぇ…。それこそ少女漫画化したらかなりの美形キャラが何人か登場する。まぁそれはそれか。ちなみに私の脳内で再生された絵は、いくえみ綾さんの作画だった。いくえみさん描いてくれないかなぁ…(2編目とか4編目とか)。
全体的にユーモラスで、特に会話が楽しかった。オシャレすぎるわけでもなく、「あぁ、こんな機転の利いた会話をされたら好きになっちゃうな」というその人の美点を映すような言葉の並びが良かった(特に3編目、5編目)。

  • 「交換日記はじめました!」…あらすじ参照。2人だけの秘密の交換日記になぜか増える一方の登場人物という展開が面白い。特に和泉妹がいい味出してる。インターネット普及前という時代設定のが物語に辛うじてリアリティを与えているか。今ならブログの文章でその人に恋する感覚と似ている。どの短編も最後の一文まで素敵。恋愛小説でありながら、かなり乙一エッセンスの詰まった技巧的な作品。
  • ラクガキをめぐる冒険」…あらすじ参照。本書の中で一番カタルシスのある作品かな。お気に入り。倒叙式でありながら叙述トリック(?)でバッドエンドからのハッピーエンドという変則的な作品。後半の二転三転する展開は心躍る。重要人物のかの君ではあるが、性格に難ありだろう。我を通す強さは弱点でもあると思う。
  • 「三角形はこわさないでおく」…あらすじ参照。これは少年漫画における恋愛漫画みたいだ。何か熱い青春の匂いがする。3がふんだんに盛り込まれた本編が3編目に配置されているのは必然の流れ。性格形成の背景が書き込まれているとはいえ、なぜここまで彼が頑ななのか疑問も残る。でも好きへの自制心と深みにはまっていく描写が上手い。
  • 「うるさいおなか」…あらすじ参照。一番笑える作品。おなかへの敬語がただただ笑える。気ぃ、遣ってるなぁ。でもその気遣いがストレスになり、また音楽が奏でられる(笑) 図書館とか茶道部とか先輩との距離を遠ざける物がいちいちおかしい。音が世界を創るという共通点は古川日出男さんの『沈黙』を連想させた。沈黙してないんだけど(笑)
  • 「吉祥寺の朝日奈くん」…あらすじ参照。わわわ、浮気である。前作より一歩進んだ大人の物語だと感じるのは本編があるからか。しかしそんな中でも乙一先生らしい手法は満載。最初では一歩踏み出すかどうかにまず心の大半を奪われるが、のちのち一歩踏み出さないことにこんな意味があるなんてと感嘆させられる。ミステリのように2度読み返して、初めて彼の葛藤に触れられる、面倒くさい恋愛小説。でも朝日奈くんも温厚そうで性格に難アリの人だと思われる。

吉祥寺の朝日奈くんきちじょうじのあさひなくん   読了日:2011年05月28日