- 作者: 宮部みゆき
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 1999/06
- メディア: 文庫
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金は天下のまわりもの。財布の中で現金は、きれいな金も汚ない金も、みな同じ顔をして収まっている。しかし、財布の気持ちになれば、話は別だ。刑事の財布、強請屋の財布、死者の財布から犯人の財布まで、10個の財布が物語る持ち主の行動、現金の動きが、意表をついた重大事件をあぶりだす! 読者を驚嘆させずにはおかない、前代未聞、驚天動地の話題作。
本書が宮部さんデビュー2年目に雑誌掲載を開始した連作短編の長編作品だという事実を読了後に解説で読んで驚いた。2年目にして既にこの卓越した着想、そしてその着想を見事に結実させる技量を身に付けているのか…。
本書の主な特徴は3つ。1つ、連作短編でありながら長編でもある事。1つ、容疑者が「限りなく黒に近いグレー」である事。そして最後は、それぞれの短編は語り手が誰かの財布であり、彼らには各自、違った個性がある事である。
ある事件で捜査線上に浮かび上がった男性とその愛人。彼らは、これまでも保険金殺人疑惑など多くの人間を不幸してきた事が判明する。しかし疑惑が深まる一方、捜査側に決定的な証拠はなく彼らはいつまでも逮捕されず長い間、(アホな)マスコミと(暇な)視聴者たちの好奇の視線を浴び続ける。そんな事件の顛末を語るのが財布たちである。ある者は刑事の背広の中で捜査に同行し、ある者は事件関係者の悲しみを知り、そしてある者は持ち主の死の瞬間を語る。物や動物が人間と同じように思考するという手法は散見されるが、本書の語り手・財布はほぼ全員が所持しており、更に外出時には特に肌身離さず持っているという利点がある。これにより一層、物語や持ち主の人となりを語らせやすくなっている。
私が本書で最も衝撃を受けたのは犯行動機。この動機は「戦後民主主義的平等」を当たり前のように享受してきた人物の思考法だなぁ、と感心しつつ怖くなった。頭が良く何事も器用にこなす自分の、拡大していく自意識をどう表現するのか。犯人が選択した方法は殺人だった。終盤は意表を突く犯人やトリックに目を奪われがちだが、この動機は考えれば考えるほど自己中心的で怖い。中盤に「これは本編に関係あるのか?」という短編が見受けられたが、犯行動機を知るとその理解に一役買っている事に気付いた。「限りなく黒に近いグレー」や周囲には好人物だと思われているという点で東野圭吾さんの『殺人の門』を連想。
私は宮部みゆきの、己の技量の高さを決してひけらかさない、またそれに自己陶酔していない文章が好きだ。主に男性ミステリ作家の作品では着想に浮かれて地に足の付いていない文章が目に付いたり、隠しきれない自意識が見えたりするが、宮部作品にはそれがない。本書も初読では読者に超絶技巧を凝らしている事すら気付かせないほどに流れがスムーズだ。ピアニストでもマジシャンでも難しい技術を簡単だと錯覚させる事が出来る人こそ本当に優れた人である、と確か「森博嗣」さんが書いていたと思うが、宮部さんも同様。決して無意識で出来ない事を、無意識かの如く自然体の語り口でやってのけている。宮部作品は「私のための作品だ!」と錯覚するようなオンリーワンではないのだが、宮部作品がエンターテイメント作品としてはナンバーワンの面白さを誇る事は間違い無い。