
森野 萌(もりの めぐみ)
花野井くんと恋の病(はなのいくんとこいのやまい)
第01巻評価:★★★★☆(9点)
総合評価:★★★★(8点)
高校1年生の冬、隣のクラスの花野井くんに何気なく傘を貸したのがきっかけで、「僕と付き合ってください」と告白されてしまった日生ほたる。好きな子のためならなんでもしてあげたい花野井くんに戸惑ってばかりだけど、恋する気持ちを知りたいほたるは期間限定の「お試し」で付き合うことになって……!? 『おはよう、いばら姫』の森野萌最新作は、恋を知らない女子×愛が重すぎる男子の初恋ピュアラブストーリー!
簡潔完結感想文
- 流行の溺愛と重い愛を採り入れつつ、溺愛モノの成否を決めるヒロインの魅力を引き出すセンス。
- 本当は大事だったアクセサリを相手のために探して渡す。少女漫画のアクセサリは愛の象徴だ。
- 期待が大きい分、恐怖も大きい「Side 花野井」。その難関を全てクリアする普通じゃない運命の人。
君の特別になれなかったら、君の前から(この世界から)姿を消すよ、の 1巻。
前作『おはよう、いばら姫』で、私の中の作者は特別な人になった。だからこそ本書を読む前には少し恐怖を感じていた。私のクソデカ期待に応えてくれない作品だったらどうしよう。それは こちらの勝手で一方的な期待でしかない。でも作者は その期待に応えてくれて変わらずに私の特別であり続けてくれた。それは奇跡みたいだと思った。
少々ネタバレになるかもしれないけれど、本書のヒーロー・花野井(はなのい)のヒロイン・ほたる に対する感情は これと同種ではないかと考える。好きという感情を抱えて始まる交流で、相手の言動が自分の期待を下回る失望を覚えるものだったら どうしよう。恋の病は時に相手を過大評価する。だから膨らんだ期待と相手の実像にズレが存在する時、少しずつ相手を好きじゃなくなっていく。こうして恋は終わる。今度こそ、ほたる が「運命の人」だと思いたい花野井は ほたる の実像が見えるのが怖かったはずだと思う。
でも ほたる は いつだって ほたる だった。悪いと思ったらすぐに謝れる、誰かを妬まない、幸福を共有しようとする、自分よりも優先する幸福がある。そんな ほたる に花野井は惹かれ続ける。失望の引かれる ではなく希望の惹かれるを与え続けた ほたる の存在が本当に素晴らしい。それは奇跡みたいだと思った。


『1巻』は表層的に見れば溺愛モノ、ヤンデレモノに見えるだろう。でも作者は流行や読者のニーズを採り入れつつも、自分の色をきちんと出す。私は『おはよう、いばら姫』と同じく、本書は複雑な人格から その人の素顔を見つける物語だと思った。性別こそ逆だけど、少し普通じゃない人が大切な人に寄り添われて普通の幸せを手にする物語だ。だから今回の感想文タイトルは『おはよう』と呼応させた(手抜きではない)。
溺愛モノの成否は実はヒーローのキャラクタ付け(ルックス・社会的地位)ではなくて、ヒロインの描き方にあると思う。この手の(大きなお世話なのだが世間的な)格差カップルの作品では、読者が望むこともありヒーローのステータスが重視され、反面 女性が凡庸になることが多い。でも本当に大事なのはヒロインの魅力である。
本書で作者は ほたる を大雑把な「良い子」というレッテルではなく、繊細に相手を思い遣れることを丁寧に描いている。ほたる は通常から配慮や優しさの出力が高い人だ。そして高出力の安定が普通になっているから、彼女は自分の特別さに気づかない。ほたる の その出力の高さを分かっている人たちが彼女の周囲に集まる。花野井も その一人で、彼女の「普通」が普通ではないことを見抜いている。誰もが心で触れ合っているから本書は温かい。
狂気と紙一重の花野井の溺愛・ヤンデレを描きつつ、ほたる も無自覚に彼と同じ気持ちを返している1話が完璧。しかも初読での面白さだけでなく、完読後の再読では また違う読み方が出来る重層的な構造になっていることに感嘆することになる。
1話のラストで ほたる と花野井は それぞれ失くしてしまったアクセサリを相手のために見つけて返却する。このアクセサリは彼らの人生に大きな意味を持っている品であることは後に判明する。でも2人は それを知らなくても相手のために動く。花野井の狂気に触れても逃げるのではなく、同じことをしようと思う ほたる の姿勢が とても良い。花野井が ほたる のために無茶した場面は描かれているけれど、ほたる は どのくらいの時間と労力をかけて花野井のアクセサリを見つけたかは描かれていない。偶然 見つけたかのような雰囲気で語っているが、きっと ほたる も血眼になって学校中を探し回ったはずだ。でも ほたる は恩着せがましく苦労を語ったりしない。そういうことが「普通」に出来てしまうから花野井も私たちも彼女のことが好きになる。
そのような「普通」の、泣くような場面じゃなくても思わず感極まって泣いてしまうことが たびたびあった。どれだけの大きな愛情と想像力が この作品には詰められているのだろうと何度も感動した。
少女漫画においてアクセサリは愛の象徴だ。失くしてしまったものが相手の働きで その手に戻る。そのことは2人の恋だけじゃなく、人生の回復を意味しているように今なら思える。繰り返し読んでも新しい発見と感動がありそうな気がする。そういう大きな作品だ。
また本書には「Side 花野井」もある。余裕のあるように見えるヒーローが実は…、というのは咲坂伊緒さん『アオハライド』と同じ。どちらの作者も論理的に話を作っているところが私は好きだ。
上述の通り、花野井にとって ほたる との交際は千載一遇のチャンス。それは二度とない機会という意味でもあり、失敗したら生きる意味を含めて全てを失う。ほたる が花野井の期待に奇跡的に ずっと応えてきたように、花野井も決められた期間で ほたる の心に奇跡を起こさなくてはならない。スマートに行ったクリスマスの計画も ずっとずっと彼女のためにアイデアを練ったに違いない。
同時に花野井は自分にブレーキが利き続けるか不安だったのではないか。その不安が的中しかけたのが、我を失った高熱の風邪回。この時の花野井は いつもならしない行動に出る。それは ほたる には見せられない、破り捨てたノートの1ページのような本当の自分。しかし高熱で暴走した花野井は同時に高熱に助けられている。暴走し ほたる に異性への恐怖を記憶させる前に、丁度良い塩梅で花野井を異性だと認識してもらうことが出来た。
本当に大切な相手だから失うわけにはいかない。その恐怖は これまでの失敗の連鎖によって増幅される。自分が何か失敗するかもしれないと怯えながら薄氷を踏むように花野井は進んでいく。
そして「Side 花野井」だけでも何巻かに1回 最初から読み返したくなるけれど、それ以外にも本書は技巧が多用されていて何度も読める作品に仕上がっている。再読が こんなに楽しい作品は珍しい。
隣のクラスの男子生徒・花野井(はなのい)がカフェで恋人と修羅場を演じているのを目撃した日生 ほたる(ひなせ ほたる)。「頭も顔も偏差値80オーバー」と学校内で有名人の花野井の存在を ほたる は知らなかった。もうすぐ16歳になる高校1年生の ほたる は12月まで恋を知らずに生きてきた。けれど本人は友達や家族に恵まれた穏やかな日々に幸福を見出しており焦っていない。
花野井が公園で雪の中で傘も差さずにベンチに座っているのを目撃した ほたる は彼に傘をさしだす。
すると翌日、花野井から告白された。どうやら花野井にとって ほたる は「運命の人」らしい。恋愛が自分と縁遠いため丁重に お断りしたはずが花野井は それから登校の際に待ち伏せしたり、彼女が(自分の)髪は短い方が好みだと言えば、勘違いして花野井の長めの髪を すぐに切る。花野井は ほたる が自分の前でも自然体でい続けることを好ましく思う。だから ほたる に自分の人となりを知ってもらって告白の返事を改めてもらう方針を取る。
好きという感情が分からず、自分を恋愛から遠ざけようとする節のある ほたる に花野井はクリスマスまでの お試し交際を提案する。謎は多いが真摯な花野井に ほたる は少しずつ慣れていく。だけど自分を持たず、相手に合わせることを優先するあまり自分の周辺への執着が弱い花野井が心配になる。その心配通り、彼はずっと身に着けていたピアスを紛失しても気にしない。
逆に花野井は ほたる の私物のヘアピンが紛失したと知ると雪が積もった校庭から それを探そうとする。自分の私物は簡単に諦めるのに、ほたる のためには自己犠牲を惜しまない。それは恐怖であり歓喜でもあった。
それでも ほたる は花野井に片方しか幸せになれないなら絶対に恋はしない、と自分の信念をぶつける。花野井は確かに穏やかな ほたる の感情を揺らした。


後日、花野井は ほたる の信念に沿う形で彼女が失くしたヘアピンを探し出す。それは本当は ほたる にとって家族からもらった大事なプレゼントだった。花野井は その背景を知らなかったが物を大切にする ほたる にとって大事なものだと類推した。花野井は相手の感情を思い遣り、そして ほたる以上に ほたる を大事にしてくれた。
そして ほたる も花野井が紛失したピアスを探していた。それは花野井に自分の周辺を大事にする教えとなった。ほたる は花野井との交流で自分には持てないと思っていた一般的な恋心を知りたいと思い始めていた。だから彼との お試し交際を承諾する。
完読すると ほたる のヘアピンも花野井のピアスも とてもとても大切な物だということが分かる。それぞれの大事な人から貰った品を、互いに発見する。少女漫画においてアクセサリは愛の象徴。それを愛を知らない2人が相手に届けた。
交際を始めてみたが交際が分からない ほたる は意見や方針を擦り合わせる。しかし花野井は自分を好きになってもらう努力をするだけと ほたる に何も望まない。だから花野井は ほたる のために試験対策ノートを全教科作ってくるが、彼の目の下にはクマが出来ていることを ほたる は見逃さなかった。
一方的な交際に ほたる は戸惑う。友人から花野井がしてくれたことを返そうとするが、花野井の深い愛情からくる思い言動に匹敵するものを返すのは容易ではなかった。けれど花野井に何かをしようとする自分に苦労を感じない。花野井は相手に何かを返された初めての経験に喜びを嚙み締める。その喜びに触れて ほたる も交際の意味を少し理解する。
そして ほたる は花野井との間に「したいことノート」を用意する。それぞれに願望を持ち寄り、それを叶えていく。それが恋愛初心者の交際。この日、花野井の希望に沿って2人は手を繋ぐ。ただ その希望には花野井の忖度があった。本当の彼は重い。


交際3週間目、お試し期間の終了が近づく中、花野井の「お願い」は ささやかであり続ける。明確な答えの出ない ほたる は花野井との交流は楽しいので友達でい続けることを考えるが、花野井は それを明確に拒絶する。これは ほたる が悪い。
クリスマスの過ごし方を花野井の自宅で決める。初めて入る花野井の家には誰もいなかった。花野井の両親は基本 海外で医師をしており、花野井の生活は週末に様子を見に来てくれる祖母が支えている。
花野井の部屋は書籍でいっぱい。ほたる は祖父の部屋を思い出す。花野井と2人きりになっても ほたる は緊張や警戒心を抱かない。それは花野井への信頼でありラブ的な感情が芽生えていない証拠であった。逆に花野井は ほたる の特別になれなければ、ほたる の前から姿を消すという。別れるという意味以上に この世にいない という選択肢に聞こえる。
そんな重い花野井に対して、ほたる は友人たちのアドバイスを聞いて花野井とキスを彼への愛情を確かめる試金石にしようとする。これもまた花野井には辛い言葉となる。自分が踏みとどまっていたのに相手が自分を誘導する。こうして花野井が本性に切り替わり、暴走が始まろうとするが、そのスイッチを花野井の高熱が強制シャットダウンする。気温が下がり続ける季節に いつも ほたる を待つ側の花野井は風邪を引くのも当然。ただ風邪によって仮面が剝がれたことで ほたる は花野井を異性として認識する。
風邪回だが看病回ではなく、ほたる は花野井の祖母に連絡し、ケアを頼む。
それから連絡が取れないまま一緒に過ごすことを約束していたクリスマスイヴに突入する。ほたる は自分が軽率な言動をしたと反省し、過去のトラウマが よみがえりそうになる。
半強制的に ほたる は例年通りの日生家のクリスマスを過ごしていたが、花野井が執念と推理力と記憶力を駆使して ほたる の居場所を探し当てる。思わぬ再会に ほたる は心から安堵を覚える。花野井から拒絶されたかもしれない恐怖に自分が苦しんでいたことを遅れて自覚する。過去の失敗を繰り返してトラウマを再発させかねなかった ほたる。
花野井は ほたる との距離を確かめ続け、彼女の家族に許可を取って ほたる とクリスマスを過ごす。遊園地に ほたる を導いた花野井は、ほたる が好きな食のフェアに連れていく。格式ばったレストランではなく多くの国の食べ物を食べたい ほたる の意向に沿う花野井の配慮が光る。
好きなことも苦手意識があることも花野井となら全部が楽しい。だから ほたる は自然と「次」を考える。花野井は そういう ほたる が好き。与えられるばかりでなく、同等のものを返そうとする気持ち、否定ではなく肯定や挑戦を第一にするところ。「普通」と評される ほたる の普通の人が なかなか出来ないことをしているのが花野井は好き。
花野井は、世間的に特別な日だから いつも自分だけのものにならなかった ほたる の誕生日を彼女のためだけに祝う。慢と自制心で自分を二の次にする ほたる の初めての喜びとなる。ほたる も作品もクリスマスイヴが ほたる の誕生日だと明確には伝えないところに謙虚さや慎み深さが表れている。
