藤沢 志月(ふじさわ しづき)
彼女はまだ恋を知らない(かのじょはまだこいをしらない)
第01巻評価:★★★☆(7点)
総合評価:★★★☆(7点)
町一番の屋敷に居候している高校生・空太。彼を日々悶絶させるのは、屋敷のひとり娘・杏奈。まだ中学生の彼女を汚してしまう前に…まずは自分がどうにかなってしまいそうなその同居生活に、空太の知性も理性も陥落寸前。触れることは許されない…触れぬには生きられない…ここは――監獄だ!
簡潔完結感想文
- この あらすじ紹介だと男子高校生が性衝動に悩む内容だと誤解されないかね?
- 自分の叶わぬ恋心を諦めさせてくれるような婚約者でなければ、認められない。
- 優秀であり続けることが自分の存在理由で この屋敷にいられる条件だったのに…。
家を持たない彼と、家に閉じ込められる彼女、の 1巻。
本誌「ベツコミ」で『ハツ*ハル(未読)』を連載しながら、その増刊号の「デラックスベツコミ」で随時、1回60ページの連載をしたのが本書である。作者の仕事量、仕事内容には目を見張り、2023・24年は自作で更に知名度を上げた。
仕事量が多くても内容は一定のクオリティを維持しているのが凄い。過去作では あまり惹かれるところが無かったはずなのに、本書は読み物として大変 面白く読んだ。画力よりも心理描写などの言葉の魅力が増していたことに驚かされた。いつから こんなに素敵な言葉を紡ぐようになったのだろうか。地の文も会話文も初期とは比べ物にならないぐらい充実している。
本書の連載は1回60ページで定期ではないため、物語全体に ゆったりとした時間の流れを感じられ、それが本書の内容と よく合っていた。60ページもあると割と どんな風にも話を変えられるみたいで、前回分の内容を忘れていても、作者自身が読み返すことによって話の流れを把握し、物語を整えている。そして1回分の分量が多いため、話が細切れにならず大きな展開が一続きに起こっていて読み応えがあった。
↑の あらすじ だと主人公・工藤 空太(くどう そらた)が年下の幼なじみ・清和 杏奈(せいわ あんな)に対して 良からぬ欲望を抱えて悶々としているというように読めるが、恋愛・性的な悩みばかりでなく、彼は自分の人生や立場というものに とても悩んでいる。
物語の主役は この小さな町の屋敷そのものと言えるかもしれない。特に大きな事件が起きない平和な町だが、だからこそ地元の名家である清和の家は世間の注目を集める。杏奈は清和家の お嬢様、そして空太は その屋敷の使用人の子。年の近い幼なじみとして仲良く育った2人には、いつか離れなければならないという運命がある。
そして空太は屋敷に住まいながらも部外者という感覚が拭えず、逆に杏奈は天真爛漫に生きる一方で、自分がこの家に縛られて外に出られないことを肌で感じている。この同じ屋敷内にいながら、2人の意識の持ち様の違いが しっかり描かれているのが『1巻』である。
主人公の空太は やや陰気な人間だ。だからこそムッツリスケベの疑惑が拭えないのかもしれない。彼の性格には彼の人生が色濃く出ている。彼は6歳の時に両親を亡くしたことで、祖父母が働く この屋敷にやって来た。最初から この屋敷で生まれ育っていれば、彼に この屋敷の人間だという足場が生まれただろう。だが途中参加で、しかも親ではなく祖父母の伝手で この家に置いてもらっている。その疎外感が ずっと空太に付きまとい、屋敷に住む権利がないと思い込んでいる節がある。
だから空太は自分の最善を尽くし続ける。その第一目標が優秀な成績だろう。学生の本分として、仕事の結果を残すかのように彼は勉学に打ち込む。そうすることで自分が この屋敷に居続ける権利を確保しようとしているのだろう。
一方、正当な この家の お嬢様である杏奈も また少しだけ部外者なのである。この家の元・お嬢様だった彼女の母親は町に来た男と駆け落ちし、その数年後に病を抱えて戻ってくる。やがて亡くなり杏奈は この家以外で生きる術を失った。空太とは違い彼女には この屋敷に居続ける正当な権利がある。祖父の庇護、地元の尊敬がある限り彼女は暮らしに苦労することは無い。だが同時に彼女は この屋敷に居続ける絶対の義務がある。
もし本書が ずっと空太が杏奈を手に入れられない嘆きだったら、それは若い彼の視野の狭さの象徴に見えて、彼を応援できなかったかもしれない。だが作者は周到に、名家に生まれたものの苦悩も作品の中に滲ませる。チャラい御曹司であっても、天真爛漫な杏奈であっても、彼らは金銭的な豊かさの一方で、家という檻に囚われ続ける。
あらすじ では、杏奈に触れられないことを空太の性的な「監獄屋敷ープリズンレジデンスー」のように描かれているが、そうではなく空太と反対の立場にあると描かれる杏奈たち上流階級の人にとっても この屋敷が監獄であることが繰り返し描かれる。
2つの立場から見た屋敷、そして誰もが「家」という概念に欠乏感を抱えているという共通点が しっかり描き込まれている点が とても良かった。
また登場人物の誰もがチャーミングに見えた。空太も年相応の悩みを抱えているし、杏奈も ただのアホヒロインではない。当て馬の御曹司も、堅物の秘書も誰もが人間的な部分を隠し持っていて、絶対的な悪い人には見えない。それは作者の絵が そう見せるのかもしれない。作品内に人の温かさが溢れていることが、この後の作者の飛躍に繋がっているような気がした。
作品の舞台となるのは山に囲まれた小さな町の中で一番 大きな清和(せいわ)家の お屋敷。
主人公は男性で17歳の男子高校生・空太(そらた)。そしてヒロインは この屋敷の たった一人の お嬢様である杏奈(あんな)。もうすぐ15歳の中学3年生。彼女は女性として成熟しつつある肉体に気づかず、子供の頃のまま空太に接する。だが空太は彼女に好意を抱いていて、その距離の近さに戸惑うばかり。
小さな町だからこそ今も歴然と存在する「身分違い」の恋に一人煩悶する空太。そして空太の恋愛成就の可能性を低くするのが、杏奈の母親の駆け落ちの過去。今の杏奈と同じく一人娘だった杏奈の母親は、19歳の時に町にやって来た男と駆け落ちし、そして杏奈が5歳の時に病に侵され、男に捨てられて戻って来たが、彼女の命は もう長くなかった。
杏奈の祖父である旦那様は この過去を繰り返さないために杏奈のために早くから婚約者を用意していた。それは この清和家の旦那様の大願でもあった。元気いっぱいに育つ杏奈の成長、そして杏奈が信頼のおける両家の子息と結婚し、清和家を継ぐこと。そのどちらも娘では叶わなかったことであり、だからこそ娘は不幸な人生だったと祖父は考えていた。だから今度こそ平穏な日々の実現のため祖父は力を尽くす
出会いから10年、唯一 年の近い2人は幼なじみとして過ごすが、やがて年頃を迎えた。幼い頃から空太は彼女を守るために生きていくと誓っていたが、17歳の空太には その時間の終わりが見え始めていた。
だから空太は叶わぬ願いを抱え続けるよりも、婚約者が杏奈を連れ去り、この地獄の日々が終わることを望む。しかし杏奈は無自覚に空太を誘惑し続ける。そして その誘惑に負けて自分が杏奈を傷つけることが空太は怖い。
杏奈の15歳のパーティーで、空太は自分と彼女の距離の遠さを改めて痛感する。しかし杏奈も、臨時で給仕係となった空太の姿を見て、彼が1人で大人になってしまう感覚に囚われていた。彼女が自分たちのような時間の積み重ねのない、恵まれた御曹司に奪われるぐらいなら、と独占欲に支配される。そうして彼女をバックハグして自分のものにしようとした空太だが、前日に雨に打たれた杏奈が高熱で倒れ、記憶も飛ぶ。無自覚ヒロインに振り回されるのが、空太の不遇なのだろうか。
続いて1話のパーティーでは現れなかった婚約者が2話で登場する。東條寺(とうじょうじ)グループ総帥の三男・龍也(たつや)。パーティーの日はアメリカで学会に行っていたという大学院生である。
彼は誕生日プレゼントも忘れずに持参し、豪華なブローチを渡す。それは杏奈と遊ぶために釣り針をプレゼントした空太との大きな違い。だが どちらが杏奈にとって嬉しいかは別だろう。
龍也は次の休みに、空太を含めた3人で釣りに行くことを決める。杏奈が無邪気なのは彼女だけが婚約の話を知らないから。最初に顔合わせをして、その後に婚約の話を推進するというのが祖父の計画らしい。
最初は空太から見ても龍也は申し分なかった。だが申し分がないからこそ、婚約は着実に現実味を帯びる。
しかし龍也の裏の顔はプレイボーイだった。何股もしていそうな軽薄で、それでいてマメな人に見える。その場面を目撃した空太だったが旦那様に告げ口することは出来ない。なぜなら東條寺家との縁組は、杏奈の母親が反故にしてから、代を跨いでの悲願だから。龍也を信じ切っている旦那様に龍也の素顔を話しても、空太に、この家にメリットがない。
龍也は政略結婚だと割り切るし、何なら空太が望むのなら杏奈と愛人関係を続けることさえ許すという。
それでも空太は龍也への警戒心を持ち続ける。
空太は杏奈の良いところを たくさん知っているから、彼女の結婚相手には誠実な人を望む。だから空太は不合格と判断した龍也を排除し、その次の適切な人物が出現するまで杏奈を守ると宣言する。
しかし それは龍也に指摘された通り、それは空太自身のためでもあった。自分の恋心に終止符を打つには、文句のない男性の出現が必要なのだ。諦める理由を空太は第三者に求めている。
そして空太からは何不自由のないように見える龍也は、良家なりの息苦しい生き方を強要されている。自分の願いが叶わないのは空太だけじゃないのだ。
だから龍也は穢れのない お嬢様に対して、自分たちが結婚する運命にあることを意地悪く話す。だが杏奈は精神を乱さず、その事実を淡々と受け止める。無邪気そうに見えて、自分が家に縛られていることを理解しているのだろうか。
けれども内心の動揺なのか、その直後 杏奈は防波堤から海に落ちる。龍也が躊躇していると、杏奈は空太に助けを求め、彼は迷うことなく海に飛び込む。その光景を前に龍也は2人の間には濃密な関係性と積み上げた時間があることを知る。
帰り際、龍也は杏奈への好意というよりも空太への加虐心で次回から杏奈を本気で奪うことを宣言する。
そして2人きりになった杏奈は空太に龍也との婚約の話を始める。やはり彼女は祖父の願いを幼い頃から聞かされていて、どこかで龍也が婚約者であることを予感していたようだ。まだ結婚の実感はないものの、自分の人生が この屋敷という名の檻から出られないことを杏奈は肌で感じていた。それは上に立つ者に課せられた責任なのだろう。
2話目は龍也が登場したが、3話目には瀬能(せのう)という旦那様の男性秘書のようなイケオジが登場する。
彼は使用人の子である空太に対しても寛大。むしろ空太は必要以上に自分を卑下しているように思う。それは上述の通り、彼が この屋敷に住まう権利を正統なものだと思えないからだろう。
だから空太は瀬能の前で自分が杏奈に好意を持っていたり、触れたりすることのないように気を付けていた。しかし気の緩みから瀬能の前で杏奈に触れ、それを瀬能は目敏く感知していた。
杏奈は瀬能たちと一緒に空太の高校の文化祭に行く。少女漫画の文化祭といえばコスプレ。空太は「王子カフェ」で王子をしている。細さを強調する少女漫画界では珍しく全体的に人物は がっしりしている。空太の王子姿は下半身のフィット具合が何か恥ずかしい。
空太の お陰もあり繁盛する王子カフェに杏奈は この高校の生徒も知る お嬢様という特権で並ばずに入れる。この場面でも運転手代わりに同行した瀬能の前で、再び杏奈に触れることになる空太。彼は直接 口では何も言わないが、態度で空太を牽制しているように感じられる。
この文化祭で空太は、自分は王子のコスプレをしているが、杏奈は本物のお姫様であることを痛感させられる。王子の恰好をした自分が まるで杏奈の隣に立つ権利があるかのように見えることが恥ずかしい。どこまでいっても自分は本物ではないのだから。
だが そんな空太は学校で地味に人気がある。成績優秀で容姿も悪くなく、人当たりもよく人気が出るのは当然か。だから杏奈は この学校に来たことで屋敷とは違う疎外感を覚えていた。それは誕生日パーティーの時と同じ気持ちの重なり。例え杏奈が同じ年でも、空太に残された時間は同じ。
しかし学校の片隅で杏奈を抱きしめるような格好となった空太の姿を瀬能は見ており、彼は文化祭で言った「小さな綻びも早めに始末しなければ大切な衣装に傷がつく」という言葉通り、先に手を打つ。瀬能レフェリーによる判定でイエローカードが何枚も溜まり、退場の警告が出たというところだろうか。