藤沢 志月(ふじさわ しづき)
彼女はまだ恋を知らない(かのじょはまだこいをしらない)
第02巻評価:★★★☆(7点)
総合評価:★★★☆(7点)
杏奈に触れることすら許されない地獄のお屋敷同居生活に、空太の煩悩は今日も崩壊寸前!留学の話が持ち上がったり、理性を惑わすメイドが現れたり…。空太はこの先どうなっちゃうの!?
簡潔完結感想文
- ヒーローの地獄の日々は、きっと お嬢様の覚醒に必要な期間だと信じたい。
- 短期留学で会いたい気持ちが募るが、一緒にいても決して触れられない日々。
- 空太の恋心も悲しみも分かる同じ社会に属する お姉さんは触れてもいいらしい。
10代の3人の登場人物の2歳の差が大きい、 2巻。
最後に収録されている話で本書に19歳のメイド・麻実(あさみ)が登場する。15歳の杏奈(あんな)にとって、17歳の空太(そらた)に続いて、1番 年齢の近い女性。だから天真爛漫な杏奈は麻実に対して あれこれ聞き、そして あれこれ話す。それによって麻実は、60ページあるとはいえ たった1話で彼らの関係性を正確に把握し、そして正確に破壊するポイントを突く。地獄で暮らす空太にとって癒しになるのか ならないのか、麻実の登場によって物語は揺れる。
敵だか味方だか分からない麻実の言動は、同じように立場が不明な男性秘書・瀬能(せのう)に似ている。彼らのような存在に振り回されることで空太は不憫な存在になり、物語に動きが生まれている。
この10代の登場人物たちは丁度2歳差で、その2歳差という人生経験の差が苦悩の深さ、諦観の度合いの違い強く影響しているような気がした。
自分の人生に一定の諦めを見い出しているのが19歳の麻実だろう。彼女は実家に頼れなかった場合の空太や杏奈と言える存在。もし空太が両親の事故死で祖父母を頼れなかったら、もし杏奈の母親が最期の地に この屋敷を選べないほど実家を憎悪していたら、きっと2人も麻実と同じように施設で過ごし、人生を選ぶという選択肢すら与えられずに、ただ生きるために生きていっただろう。
麻実が どこまで彼らの人生を把握しているかは分からないが、物語的には麻実は もう一人の空太たち。空太と杏奈は同じ境遇で、そして安奈の祖父である旦那様の意向で不自由のない生活が与えられている。だから彼らは夢を見ることが許されているが、麻実は自分が泥水に まみれる人生しか描けない。縛られるべき家さえ無かった彼女は、空太とは違う地獄で生きているといえよう。空太を自分の側に引き入れるため、彼女は10代男性が抱える最大の欲望を利用する。まだ宙ぶらりんな彼を満たしているようで、彼に、自分と同様に夢を見させることを止めさせようとしているのかもしれない。
そして本書の主人公、17歳の空太。主人公なので『2巻』でも ずっと彼の地獄の日々が描かれる。短期留学により10年以上ぶりに杏奈と一緒に居られない期間があったり、再登場した龍也(たつや)に上から目線の嫌がらせを受けたり、麻実の策略にはまってみたり、落ち着く暇がない。
しかし17歳の彼は、麻実よりも人生の絶望が色濃くない。それは彼に高校卒業までという短期間ではあるが猶予が与えられ、そして この家の支援があれば まだ将来は確定していないからだろう。もちろん杏奈との関係の進展は望めないが、時間をかけて絶望するだけの余裕はある。だから安易に手を出さない。例えば眠って無防備になった杏奈との、屋敷とは遠く離れた場所での一夜でも彼は決して彼女に触れたりしない。きっと杏奈が覚えていなくても手で触れたら、その温もりを思い出して彼女に対して性急な欲求を抱いてしまうかもしれない。だから彼は その唇だけで そっと触れ、自制している。欲求に負けた時点で地獄であっても、この表面上は穏やかな日々が終わってしまうことを聡明な彼は理解している。
最後は15歳の杏奈。家に生きる自分の宿命は理解しているが、その気持ちと自分の世界との折り合いが一番ついていない。そして杏奈は自分の存在や言動が人にどう影響を与えるかを まだ分かっていない部分がある。空太に対しても麻実に対しても彼らを無自覚に傷つけている。
麻実は杏奈にとって、屋敷での最初の親しい女性であり、そして最初のライバルとなるのだろう。『1巻』で空太の文化祭でも目撃して落ち込んだような、空太が女性といる場面を否応なく見せつけられることになる。でも それはきっと杏奈の心の中にある感情を育成すると思いたい。彼女はまだ将来を考える入口に立っていない。彼女が恋をすることで何かが大きく変わるかもしれない。空太の卒業までの猶予の間に、杏奈が空太への気持ちに気づき、彼女自身が生きる道を見つければ2人の将来は変わっていく可能性がある。まだ若いからこそ無自覚に人を傷つけるが、まだ若いからこそ未知の将来が それだけ待っている。だから長期的に見れば空太の地獄を救うのは麻実ではなく、杏奈になる可能性はある。これからの杏奈の成長に期待したい。
自分が杏奈と一緒に居られる猶予は卒業までと思っていた空太だったが、半強制的な留学によって、杏奈と引き離されようとしていた。用意された場所はイギリスのケンブリッジ。取り敢えず、地球の裏側での夏休みの短期留学を勧められる。
空太は この屋敷で宙ぶらりんな存在のため、与えられる物に拒否権は無い。このまま短期留学から長期留学に移行し、杏奈の縁談の完遂まで屋敷に近づかないようにするのが瀬能の考えなのかもしれない。
こうして あっという間に会えない日々が始まる。環境が変わった空太は何とか その年に順応しようとするが、家に残った杏奈の方が心身のバランスを崩す。幼なじみで何でも頼ってきた存在の空白は大きすぎたようだ。
この杏奈の体調不良はメイドたちに空太の噂を広げ、そして旦那様である杏奈の祖父は、病弱だった娘と孫を重ね心労を増やす。
また、この家の歴史を旦那様と見てきた空太の祖父は、杏奈の母親の駆け落ちに思いを巡らせ、瀬能と意見を交わす。空太の祖父は瀬能に何か思う所があるように思える。
微熱が続き、回復に至らない杏奈は、メイドの提案で空太に手紙を書くことにする。メールではなく手紙で、今の自分の心境を書き綴ることで、杏奈は自分の心の整理をすることになる。空太の帰国直前に手紙が届き、その内容を読んだ空太は帰国を強く望むようになった。流されるのではなく意志を示した。
だから旦那様と瀬能に高校卒業までは この町にいることを頭を下げて願い出る。こうして空太は また少しだけ猶予を手に入れる。杏奈の隣に居ることが自分の生きる最低条件だと空太は痛感する。
空太の帰国後は、いつも通りの夏を過ごしていた夏休み後半、杏奈は、祖父から龍也(たつや)の誕生日パーティに自分の名代で参加して欲しいと要請される。龍也より空太との時間を優先したい意向を示す杏奈だが、それを見越したかのように龍也は空太の参加も認めていた。
こうして2人+同行者での東京旅行回が計画される。空太は龍也の隣に立つ身分でないと気を揉むが、それを見越して瀬能は杏奈との共同としてプレゼントを用意して、空太が委縮しないように気を遣ってくれた。敵でもあるが味方でもある、不思議な人間である。婚約者である龍也と並ぶ杏奈は見たくないが、今は一緒に居られる幸せを甘受したい気持ちもある。
龍也と一緒にいると水辺の場面が多く、今回は宿泊する東條寺(とうじょうじ)グループのホテルのプールで一緒に遊ぶ。龍也の見立てで杏奈に布面積の少ない水着が与えられる。これも肉体的には龍也は中学生の杏奈を女性として見られるという傍証かもしれない。
パーティーでは空太の戸惑いだけでなく、東條寺家から見た杏奈や清和家の評判なども語られる。そして この家の子供たちの不自由さや孤独感、華美な世界の中に潜む孤独も。こういう多角的な面から物事を語るのが、本書が大人っぽい雰囲気を纏う一因だろう。
杏奈はプールではしゃぎ、パーティーで飲食を堪能したため おねむ。そんな彼女を龍也は部屋まで お姫様抱っこで運ぶ。メイドは自分たちで解決しようとしたのだが、龍也は婚約者として出て行き、メイドを下がらせる。
部屋に連れ込まれたら何をされるか分からない状況に、空太が遭遇する。しかし龍也の行動に反対する権利は空太にない。その無力感を味わわせた後、龍也は杏奈を空太に返す。それどころか杏奈との関係の進展すら許容する。恋愛や結婚が思い通りにならないことは、龍也も空太も同じなのである。
でも、立場的に年齢的に それを理解できない空太からすれば自分は価値のない人間だと思う。龍也は婚約者、そして上流階級の人間だから余裕があり、自分は彼の酔狂の道具。留学から帰って、この町での猶予をもらって、杏奈の隣にいても、自分の状況は少しも変わらない。空太にとって地獄の日々だ。
学校が新学期になった頃、この屋敷に新しいメイドが登場する。森里 麻実(もりさと あさみ)。年齢は19歳。麻実はメイドの中でも杏奈や空太と年が近く、特に杏奈が積極的に接触するため、この屋敷の中の力関係や人物配置を急速に把握していく。
情報は時に力になる。麻実は何もかも知ることで、何か暗躍しそうな雰囲気がある。そして安奈の無邪気さは麻実を傷つけ、彼女が杏奈に憎しみを抱かないかも心配だ。
麻実と空太の2人の接近に杏奈の心は波立つ。しかし これが本来の形だと瀬能は訴え、空太と徐々に距離を置くことを進言する。杏奈の母は、生粋の お嬢様として、同じ屋敷に居ても自他の身分が違うことを自覚していた。けれど杏奈は この屋敷や立場には途中参加で、空太を窓口にして この屋敷に馴染んだから少し入口や感覚が違うのだろう。
空太が杏奈のいる社会に入れないように、杏奈は空太たち下々の世界に入れない。それが麻実の歓迎会で鮮明に浮かび上がる。そう杏奈に分からせたのは麻実だった。
そして麻実は策を弄して空太を自室に引き入れる。そこで空太の方に身分の差を改めて強調して、触れられない女性より触れられる自分を選ぶように仕向ける。確かに空太は性的に煩悶としていたようだけど…。