水野 美波(みずの みなみ)
恋を知らない僕たちは(こいをしらないぼくたちは)
第06巻評価:★★★★(8点)
総合評価:★★★★(8点)
泉にキスをしてしまった英二は、直彦・泉と、いまだ気まずい関係のまま過ごす。瑞穂は、英二が直彦とケンカした理由が気になって仕方ない。それを見かねた太一が…!? 一方、小春は、直彦と泉の固い絆を前に、元彼とヨリを戻すけれど、どこか無理をしていて…?
簡潔完結感想文
- 太一が池澤に、池澤が英二と藤村に影響を与える。正しさや優しさの連鎖が心地よい。
- 不器用な僕たちは間違えながらしか前に進めない。その背中を押すのは愛情や友情。
- リセットされたはずの現状が苦しいのは自分たちが過去から脱却できていないから。
表紙と主役が一致していない 6巻。
『6巻』の表紙は藤村(ふじむら)だが今回は池澤(いけざわ)の巻と言って いいだろう。『5巻』では出番が ほとんどなく、徹底的に排除されている感じがあったが、彼女の活躍の場はここにあった(ちなみに太一(たいち)が表紙の『5巻』の主役は泉(いずみ)だろう)。
作品内で ずっと周辺情報しか入手できなかった池澤だが、それは彼女が部外者だったからではなく、彼女自身が深く踏み入ろうとしなかったからだろう。しかし今回、太一の応援もあり池澤は英二(えいじ)への想いに胸を張ることが出来た。そして一気に英二に近づく。どんな結果になろうとも彼女にとって大事なのは告白、いや その前に自分と向き合い自分を認めることだった。これは どの登場人物にも言えること。弱かった自分や無自覚だった自分に向き合って、それを克服しようとするところに成長の光が見えてくる。
その池澤の心の動きと勇気が、英二と藤村に影響する。それは『2巻』で太一が見せた勇気が英二を一瞬 輝かせたように、人の持つ「本物」の強さは誰かの心に確かに波紋を広げていく。それだけの力が「本物」にはある。1巻に1回は、誰かが誰かに強い影響を与えて、立ち止まっていた人たちが動くような場面があるから本書は清々しい。
英二と藤村に池澤が及ぼした影響は、どうすれば自分が満たされるか、ということではないか。
『6巻』で英二はずっと沈黙を続ける。直彦(なおひこ)とも接触しないし、泉には話しかけもしない。一方、それとは逆に藤村は別れた彼氏とヨリを戻し、自分の心を埋めようとする。だが2人が それぞれに抱えるのは虚無感だろう。何をしても毎日が満たされない。それは自分が「本物」ではないから。
その心に隙間が出来た期間に、藤村に、少し甘くなった元カレが再登場するように、英二には自分を好きだと言ってくれる池澤が登場した。英二の過去は明確には分からないが、少なくとも高校で初めて自分を好きだと言ってくれる存在だろう。その好意に甘えれば、自分は楽になるのかもしれない。藤村と違って、好意があるのなら池澤との交際は偽装ではない。英二は時間をかけて それを本物にすればよい。
でも英二は それをしなかった。彼は確かに強い。そして強いのは泉への想い。異性からの好意を受けても揺るがない心。その根本に泉の存在があるのなら、それと向き合わなければならない。その答えを出すまでが『6巻』である。
英二への好意を発表した池澤が、落ち込む彼を励ますように そっと彼を抱き寄せ、英二は池澤の温もりと頭部に胸の感触を感じる。英二は その快楽に溺れるという選択肢もあった。彼は茶化してはいるが目の前の胸は魅力的に違いない。
ここで英二が間違えないのは、彼は もう間違えているからだろう。泉への過失に加えて、池澤に甘えては もう取り返しがつかないほどの愚か者になってしまう。
一方で間違えるのは藤村。彼女こそ目の前にある温もりに逃避し、そして その逃避が自分を救わないことを痛感している。藤村が ここで元カレに走るのは彼女の「失敗」のためだろう。
『6巻』ラストで英二は藤村に現状を脱却する手段を説明する。ここで大事なのは英二と藤村が=(イコール)のポジションでいることだろう。2人が同じ立場だから、同じような胸の痛みを抱え、英二は藤村の最大の理解者として この灰色の日々を終わらせる方法を提案する。
偽装交際によって直彦と泉を守ろうとした英二だが、結果的に藤村と同じように2人の交際に楔(くさび)を打ち込むような真似をしてしまった。そして自分の したこと/しようとしたことに向き合わないまま英二と藤村の2人は それぞれに気まずい相手(直彦と泉)から距離を取る。そうして自分の過失から目を逸らそうとするのだが、その先の日々には色彩のない世界が待っていた。
共通の痛み、共通の失敗を持つ2人は今、間違いなく同士である。偽装交際中は、藤村がテロリストと英二が監察官、または黒幕と操り人形だった2人の関係が初めて対等になったと言えるのではないか。英二の覚悟が「本物」であるならば、それは藤村にも届くはずである。
英二との関係修復という目標を立てたものの、距離が縮まらない直彦。直彦から動くと英二は逃げるか、本当の心を隠しそうなので英二からの動きを待つしかない。ここで直彦が英二の性格を熟知し、我慢強く待つことが、この後の池澤との交流や英二が独力で熟考の末の結論を出すのに必要なのだろう。直彦は何もしないのではなく優しく見守っていると言える。
そんな英二と直彦にある距離を池澤は気付くが、相変わらず肝心の情報は何も手に入らない。そして英二と藤村が別れたという情報の入手も遅い。その報せは確かに それは池澤にとって朗報であるが、それを喜ぶ自分に嫌悪を覚える。恋をしているはずの自分が ドロドロした感情に支配される。だから その先の幸せな交際なんて想像がつかない。
学食で会った藤村との会話で、池澤は英二の周辺情報を聞き出す。そこで知ったのは彼らの偽装交際。だが大事な部分を ぼやかす藤村からは断片的な情報しか得られず、ますます英二の動機や行動が分からなくなる。本来ならば嫌いなタイプなのに、好きだから知りたくなってしまう池澤の相反する気持ちが見える。
そんな池澤のことを見つめてくれるのが太一。袋小路に入りそうな彼女に、彼女の性格を踏まえた上での助言をする。その内容は池澤は自分自身と向き合うこと。それは英二への好意を正面から認めることであった。こうして太一は純粋に池澤を応援し、彼女の背中を押すことが出来た。その胸にうずく痛みを隠しながら。
池澤は英二を待ち、一緒に下校する。この時、英二は太一から間接的に池澤の自分への好意を知っている状態。なぜ池澤本人から聞く前に、太一がバラしてしまうのかを考えると、英二が揺らがないためなのかな、と思った。先に好意を知って、それに対するシミュレーションが出来ているから英二は この後、すぐに返答が出来た。もし情報が無ければ英二は動揺したかもしれないし、上述したように もしかしたら弱っているから池澤に甘えたかもしれない。でも英二は ここで間違えてはいけない。それは自分にとって特別な人の幻想を追い求めるのは藤村の担当。同じポジションに2人を置く意味はない。だから英二は、例え池澤の胸に顔を うずめても(笑)、決して単純な欲望に負けず、彼女をハッキリと拒絶必要があるのだろう。
池澤は自分が英二の事情を探っていたこと、藤村から偽装交際情報を聞いたことを話す。池澤には英二という人間が分からないが、唯一 確かなのは自分が英二を好きということ。その一点を最初に伝える。なんと背筋の伸びた告白だろうか。
それに対し英二は太一に配慮するが、池澤は彼の気持ちを知っても英二に惹かれる自分を優先する。そして今の池澤にとって大事なのは英二から答えではない。これは見返りを求めず、それでも自分の気持ちに向き合った けじめ としての告白なのである。池澤が英二に惹かれたのは夏休み中の太一のライブへの道中。あの時、英二は輝いていた。それは英二が あの一瞬だけ一生懸命だったから。その「本物」の輝きに池澤は惹かれた。
池澤の本心を聞けた英二は、自分の本心も吐き出す。大切だった2人を自分が傷つけたこと、我慢が足りず関係性を壊したこと。その言葉で池澤は英二が泉を好きだということを確信する。そして彼を抱きしめる。彼から本心が聞けたことが池澤は嬉しい。「本物」の想いは確かに人に伝わり、影響を及ぼし。相手は誠実に応えてくれるのだ。
池澤は これまでの英二の匂わせ発言を統合し、彼の本心を導き出す。英二は頑張りたいのではないか、と。告白を逡巡する英二に池澤は誠意があれば気持ちは受け取るという夏休みの自分の経験談を伝え、彼の奮起を促す。
その答えを英二が出そうとしたが邪魔が入り中断。電車内でも すぐに降車駅になり話は続かない。別れ際、英二は池澤に「マジ ごめん」と告げる。これは彼女の告白に応えられないという意味なのだろう。だけど池澤は それを受け入れない。といっても未練がましく片想いを続けるという意味ではないだろう。池澤は あのライブの日のような英二の明るい背中を見たい。その背中に惹かれた自分を大事にしつつ、また輝く背中を見届けたいという気持ちが強いのだろう。
共通のバイト先であるコンビニで直彦は藤村と会う。2人はバイトに対して逆向きの考えを持っていた。藤村はバイトを増やすことを計画していた。直彦は逆に遠距離の交通費を捻出するためのバイトだったので辞めようと考えていた。部活とバイトの両立は せっかく近くにいる泉との時間が奪われてしまう。
その藤村は泉を避けていることもあり池澤と話す機会が増える。池澤は先日 藤村に英二に告白したこと、そしてフラれたことを報告する。突然とも言える池澤の行動に藤村は驚くが、池澤の動機は好きと認めたのなら後悔したくないという潔い姿勢だった。その「本物」の強さは藤村に影響を与える。以前よりも優しくなった彼氏と一緒にいても、この人しかいない、とは思えなくなった。これは彼女は自分の過去に後悔があるからではないか。
太一はずっと良い人。池澤に好きな人がいると分かったら その恋を応援する。ただ それが無理に繋がっている。彼女を心から応援しながら引き裂かれるような痛みも抱えている。そんな太一のことを見てくれるのは軽音楽部のバンド仲間の野島(のじま)。だから野島は完全に お節介だと分かっていても池澤を呼び出して、太一のことに応援がいらないことを話して、と願う。それは彼が太一のことを友達として心配しているから。弱っている人を助けてあげる人たちがいるこの世界は温かい。
少し前までの池澤なら あなたに関係ない。何で そんなことを言われなきゃならないのよと強情な態度を示しそうなところだが、野島の心配は「本物」で、そして池澤も このところ英二を通して友情について考えているので理解を示す。
その2人の応酬を陰で聞いていたのは直彦。素直に人のために動く野島を見て、自分と英二とのについて考えさせられる。
その日、下校しようとする英二に藤村の彼氏が声を掛ける。どうやら藤村が つかまらないらしい。そこで連絡の仲介を頼まれるが、英二の連絡は絶対にスルーされる。そこで英二は共通の知人の顔を思い浮かべる。藤村が絶対に反応しそうなのは直彦。だが彼には英二自身が連絡を取りづらい。なので まず太一に頼むが空振り。彼氏のしつこさもあり英二は直彦に連絡を取る。だが直彦はスルー。彼氏は諦めて その場を去るが、英二は その彼氏と下校が一緒にならないように時間を潰す。
すると目の前に直彦が現れる。視線を交わすが お互い無視。だが既に連絡をした痕跡が残っていることで英二が観念し、直彦に久々に声を掛ける。直彦は部室で着替えていたため連絡に気づかなかっただけ。ブロックされている事態も考えていた英二は安堵する。英二が事情を説明すると直彦は自分は部活ついでに学校外を見回るから、英二に学校内を探してあげれば と提案する。普通に会話が出来たこと、そして直彦の優しさを目の当たりにして英二は また自分の小ささに落ち込む。
この場面、藤村の今の彼氏が英二と直彦の会話の間接的な功労者なのが面白い。英二が嫌がるほどグイグイきて、仕方なく直彦に連絡を取らざるを得なくなった。取ってしまったから話しかけないのは不自然。そうして直彦も無表情で驚いた英二からの声掛けが成立している。
以前なら藤村の落ち込んだ心を拾い上げてくれるのは直彦の役割だっただろう。だが学園祭で その役目を直彦は やんわりと拒否している。もう藤村には中途半端に優しく出来ない。そして藤村は直彦の姿さえ自分の運命を惨めだと思う。
今の自分に疲れ果てている藤村は彼氏に嘘をついて逃げて、そんな自分に嫌気が差す。辛い時に藤村が会いたいのは誰か。それが彼女の心の安らげる場所、求める人なのだろう。
その問いに藤村が答えを出す前に英二が声を掛ける。藤村がいたのは校庭が見渡せるベランダ。彼女は直彦の姿を見て元気を出そうとしていた。彼のことをあきらめると言っていた気持ちは本当だが、心の落ち込みを ずっと救ってくれた直彦に今回も救われたかったようだ。
藤村は直彦への恋をリセットして、それ以前の彼氏との生活に戻ったら感情も元通りになるかと思っていた。しかし彼氏といても以前のように笑えず苦しくなるばかり。ここ最近の藤村がバイトのシフトを増やすのは彼氏への貢ぎ物のためだとばかり思っていたが、どうやら彼と一緒にいない理由を作るためだったらしい。以前とは目的が まるで逆なのである。
彼は以前より優しくなったのに、自分は彼の気持ちを素直に受け入れられない。それは藤村が直彦への恋を経たからだった。直彦を好きだった時は辛くなかった。だから直彦の姿を見て精神安定剤にしようとしたようだ。でも直彦の姿は見えない。彼からの連絡もない。近くにいるのに遠い存在。それが悲しく、それが辛い。
藤村の心の動きが英二には手に取るように分かる。なぜなら英二は泉への恋心から目を背けるために ずっと心の底から好きでもない「先輩」という好みのタイプを追っていたから。今の藤村にとって彼氏は直彦の代替品でしかない。そうやって捏造された恋心には無理が生じる。そして充足感のない日々は息苦しい。生きるのが苦しい。
この英二の指摘は恐らく正しい。その証拠に藤村は羞恥を覚えているし、自分を誤魔化すために強い反論を試みる。英二は そんな藤村を見ていられない。今のままでは藤村は直彦を忘れられない自分と向き合わないままになり、抜け出せなくなる。自分と同じように。それは とても苦しいこと。そして さすがの藤村も英二みたいには なりたくないらしい…(笑)
英二は もう そこからの脱出方法を知っている。それは告白である。泉を守るという一方的な正義感や義務感で気持ちを封印した英二が袋小路に入ったのなら、告白をして「本物」の諦めを自分たちは手に入れなければならない。勿論 英二は藤村に一方的な要求をしない。自分も泉に向き合う覚悟を持つ。