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少女漫画と小説の感想ブログです

10年間の恋に決着が付く前にモラトリアムのタイムリミットが迫る。判断が遅い!

ラストゲーム 10 (花とゆめコミックス)
天乃 忍(あまの しのぶ)
ラストゲーム
第10巻評価:★★★(6点)
 総合評価:★★★(6点)
 

未来も恋も、動き始めるのは、いつも君の隣だった。「―――柳にだけだよ」気持ちを自覚し行動を起こし始めた九条に対し、怯えるやら戸惑うやらの柳。そんな折、帰国した柳父は九条をデートに誘い、柳には将来について迫る…!!悩む柳は銭湯で相馬と語り合い、自分と向き合い始める。そして迎えたクリスマス。10年で初めて九条と共に刻む特別な1日。柳の下した決断は…!?

簡潔完結感想文

  • 父親に評価されたからこそ示される後継者への道。10年前の美琴の言葉が棘となる。
  • 祖父母に続いて父による美琴の身辺調査。両想いの前に親族からの お墨付きを貰う。
  • 尚人に与えられた環境が今の尚人を作っている。それは否定ではなく感謝されるもの。

いにも救いにもなって刺さる君の言葉、の 10巻。

『10巻』は10年前に美琴(みこと)から言われた言葉から尚人(なおと)が解放される。それが尚人は「お父さんが すごいんであって、あなた自身がすごいわけじゃない」という言葉。尚人は この言葉を克服するために10年間もがいてきた。それは美琴から尊敬され、好意を受けるための努力でもあった。

しかし尚人の今の暮らしは住まいも生活費も両親の扶養から逃れられない。それが尚人の袋小路となっていたが、そこから解放するのが美琴の言葉。10年という長い歳月を経て美琴は尚人に好意を抱くようになり、美琴が好きになった尚人という人は彼が与えられた、人からすれば恵まれた出自の上にいる存在。だから今の美琴は尚人を全肯定できる。そして かつて否定された自分自身の価値を美琴本人によって肯定されることで尚人の心の棘は抜かれる。恋の障害になる最後の問題は こうして解決する。

扶養家族である内は完全に自立できないので尚人の悩みは解決されない。しかし『10巻』ラストのクリスマス回のように、美琴にしてあげたいことぐらいは完全に自分の物だと言い切れる金銭を出せる。精神的な自立だけでなく、一定のラインで金銭的に家庭と切り離されているという描き方が本当に良かった。そういう部分を含めて美琴の好きな尚人になれたのだろう。

尚人が忘れられない10年前の美琴の言葉。トラウマ(っぽい記憶)を聖夜に浄化

まぁ正直、いよいよ美琴側の恋愛の準備が整ったと思ったら、今度は尚人の心の準備になって今更それ?? という感じも受けたけれど、両想い前の最後の関門だと思えば我慢できた。もし本当に尚人が その問題に着手するのならサークルに加入せず起業でも何でもするべきだった。最初の美琴の否定を掬い上げつつも大事にせず、精神的に救うという手法は正しいだろう。本当に家庭という背景と断絶した上で尚人が自分の価値を上げるとなると、もう10年必要になりかねないだろう。


して少女漫画では珍しいといえる主人公たちが大学生という立場と将来の問題が切り離せないものであるのも良かった。白泉社作品の後継者問題で、高校生が色々背負い込んでいるのを見ると苦しくなるし、彼らの主張も青臭くなってしまう。でも尚人ぐらい落ち着いていると読者も落ち着いて読める。全力で否定したり全力で反抗したりしないのは、中学時代の反抗期とか、大学進学の際の学部選びとか、彼なりに10年間 自分の将来を考え続けた過程があるからだろう。

ただし大学生主人公でも恋愛模様は高校生以下だし、ギリギリまで行動しないから恋愛を楽しむ時間的余裕が無くなってしまうのだ、と苦言を呈したくなる。でも この特殊な2人の関係には10年の歳月が必要だったし、このルートしか美琴は尚人を視界に入れなかっただろう。お互いが精神的に成熟するのに時間がかかったか。

とても気になったのが尚人の姉の存在が後継者問題で無視されていること。父は後継者に尚人しか考えていないし、尚人も その考え。でも本編で姉が後継者になることを明確に拒否したことはない(はず)。白泉社の御曹司ヒーローは(訳ありの)一人っ子か後継者争いに巻き込まれるタイプの2種類に大別されると思うけど、尚人は どちらでもない。
姉は友人のように将来性有望な上流階級の男性との結婚を考えているだけなのだろうか。そうなら旧態依然としていて引っ掛かる。尚人と違って姉は父親の資産をバンバン浪費して、自分の将来を切り拓かず、父に代わる新しい財布を手に入れる、という人生設計なのだろうか。連載期間は十分にあったのだから姉の将来像も きちんと用意して欲しかった。


意した告白が未遂に終わった美琴。それもまた今まで尚人が通って来た道。寝ている相手になら本音を言えるのも同じ。そして自分の不甲斐なさを知って、美琴は これまで恋愛を成就させた人、告白をした人の勇気を知る。

合宿からの帰路、美琴が尚人の実家へ以前の招待の お礼に訪問した際、本編に尚人の父親が初登場する。尚人の父親は愛情表現がストレート。自分が一代で名を成した社長であるが、息子との不和や疎遠とは無縁な人らしい。尚人の情報は家族に筒抜けなので父親も美琴に興味を示す。そこで父子と美琴の3人で食事会の席が設けられる。

まず父親は美琴と2人で尚人のバイト姿を その目で見る(女子大生と密に連絡を取る社長。パパ活か…?)。そして美琴が尚人の容姿やステータスではなく内面を しっかり評価することも確かめる。父親は尚人が惹かれる美琴の人となりを知る目的なのだろうが、美琴にとっては父親のような年齢の男性と一緒にいることで亡き父と久々に一緒に連れ歩いているような感覚が芽生える。

美琴に一瞬だけ社会的地位の差を思い知らせるような白泉社的な格差社会が顔を出すが、父親が美琴の反応を見たかっただけ。一日行動を共にして父親は美琴が尚人の隣に立てる自分であるために努力をする人だということを理解する。

白泉社の庶民ヒロインが直面する社会格差と差別をスパイス程度に効かせてみる

事会の後、美琴を家まで送った後は父子の会話となる。父親は息子が目の前のレールを歩こうとしなかった原因を理解し、その上で自分が願む将来像を伝える。尚人が自分の後継者になるなら、少子化でパイが減少する国内ではなく、海外事業を拡大するための準備としてアメリカに1年余りの留学をするべきと告げる。2025年現在からするとインバウンドで国内観光業の規模は縮小していないようにも思えるけど。

こうして両想いの前にアメリカ行きも可能性になる。美琴が地元に残ることを優先した未来を選ぶなら尚人の方が離れて、少女漫画のクライマックスの遠距離危機を演出するしかないのだろう。


人を一層 悩ませるために、ここにきて美琴が自分を好きなんじゃないか、というターンが始まる。美琴の片想い期の終了を告げるもので、また尚人が思い悩む日々が始まる。

美琴が半歩 踏み出したことで尚人は有頂天になる。今回ばかりは美琴の表情に恋心が滲んでおり、尚人も確信する。しかし今の尚人の頭の中には留学という考えがあり、今度は尚人の身動きが取れない。だから美琴との交流を拒否してしまう。10年間の時間が無ければ美琴の心は動かなかったが、長すぎる時間経過でモラトリアムがタイムリミットに到達してしまった。

尚人の異変に気づくのは嘘の口実にされた相馬。真意を尚人に問い質す時に初めて相馬は美琴への失恋を尚人に話す。今、尚人が躊躇するのは父親の後継者になることは、自分の拓いた道ではないという負い目があるから。小学生の頃に美琴に自分の価値を問われてから それが頭に残っている。美琴の恋を阻害しているのは過去の美琴の言葉とも言える。


間がクリスマス色に染まる頃、尚人は自分と同じような立場の留学経験者の話を聞きに行く。尚人は大学で美琴を追っかけて勘違いしてたばかりではない。ちゃんと経済誌の父親の記事には目を通していたことが窺える。

美琴は勉強中も尚人のことが頭をよぎる。そして珍しく彼女の方から尚人に電話を入れる。その会話で美琴が会計士を目指したのは母との生活や在学中の資格取得だけでなく、亡き父が目指していたものであることが明かされる。それは尚人に美琴も父親の影響を受けて道を選んでいることを知らせる。これは前を歩く親の後を進むことは悪いことではないことを示すためだろう。電話の最後にクリスマスに一緒に過ごすことを約束する。


日、尚人は自分のバイト代で自分の選んだ店に美琴と行くプランを立てる。2人でクリスマスを過ごすのは10年間の交流で初めて。父親の車を使わないのも、尚人が自分の力だけで今日を過ごしたいという意思の表れ。

しかし負の側面だけでなく恵まれた育ちは どこまでも尚人に まとわりつく。尚人は逃げられないものから逃げようとしていたけれど、美琴は家族や環境の全ては今の尚人を形作るものだと肯定的に解釈してくれる。

それは尚人の心を和らげ、そして尚人の人生には美琴という存在も不可欠だということを痛感させる。まだ決着を付けるべきことがある尚人は美琴に告白しない代わりに彼女を抱きしめ、そして彼女の耳元にイヤリングを装着する。それは尚人が言い訳なしで贈りたかった美琴へのプレゼントだ。こうして尚人は自分の進むべき道を自分で決める。