《漫画》宇宙へポーイ!《小説》

少女漫画と小説の感想ブログです

屋敷の扉を開放するのは覚悟と勇気、そして男女が手を携えて創る 未来という名の鍵。

彼女はまだ恋を知らない(5) (フラワーコミックス)
藤沢 志月(ふじさわ しづき)
彼女はまだ恋を知らない(かのじょはまだこいをしらない)
第05巻評価:★★★☆(7点)
 総合評価:★★★☆(7点)
 

姫との秘めゴト禁断LOVE、遂に完結! イギリス留学を命じられた空太(そらた)と唯一の身内である祖父を亡くした杏奈(あんな)。それぞれの転機が2人を分かつことに!? そんな中お互いが決断した行動って!? お嬢様との禁断の恋物語、遂に完結です!

簡潔完結感想文

  • 彼女と檻から出ること、そして再び檻に戻ること。2つの勇気が空太には宿っている。
  • やはり神は全知全能で どこまでも寛容。神を信じ切れなかったことが彼らの背信
  • 一番長く屋敷という檻に囚われていた瀬能は幾つもの真実を知ることで解放される。

にとっても地獄だった場所が本当の楽園になる 最終5巻。

表紙で いきなりネタバレしているが、杏奈(あんな)と空太(そらた)が めでたく結婚してハッピーエンドである。ただ この結婚式の場面で、物語上の主役は彼らではない。

何もかも悪循環に陥っていた屋敷が、2人の有言実行によって好循環へとサイクルを変える。

影の主役は瀬能(せのう)だろう。杏奈の祖父である旦那様の完璧な秘書として登場した彼だが、残念ながら彼は本書において「間違い」の象徴とも言える人である。彼のせいで一体 何人の人が不幸になったのか。そして彼自身も目の前にあったはずの幸せを失い、そして その愛すらも罪悪感で上塗りされて生きてきた。最初は空太の地獄を描いていた本書だが、瀬能は ゆうに その2倍の時間を地獄の中で過ごしていた。

だが結婚式というハレの日に、彼は欲していた幾つもの真実、そして望外の喜びを知り、無事に結婚式を迎え晴れやかな表情を浮かべる空太や杏奈を差し置いて誰よりも号泣していた。それは彼が背負ってきた罪と罪悪感が浄化された涙だろう。

ネタバレになってしまうので、注意して欲しいけれど、この結婚に辿り着いたことで空太は あらゆる面で「父」を超えたと言えよう。最初はウジウジと行動しない空太にとっての地獄が描かれていた本書だが、そんな彼が直面する地獄や罪は瀬能もまた経験したこと。そして瀬能が自分を誤魔化し続けてバッドエンドに突入ルートしたのに対して、空太は自分と向き合ってハッピーエンドを手に入れた。
そして空太がハッピーエンドに辿り着くことが、父親の、そして その人を息子のように思っていた旦那様の大願が初めての成就となっているのも感動的だ。瀬能は自分の罪だけでなく、旦那様亡き後に背負っていた責務からも解放された。空太の頑張りと勇気が前の世代にも影響している構造になっているのが とても素晴らしい。

本書の中盤からは物語が二重構造になっていて、杏奈の母親の恋の顛末、そして杏奈自身の恋の顛末が語られ、そこかしこに共通点が潜んでいる。その潜ませ方が絶妙で、水と油だった空太と瀬能が実は同質の人間であることが徐々に明らかになる。こういう冷静な筆運びは、もしかしたら定期連載ではなく増刊号での掲載で、1回1回 作者が作品を客観視できるぐらい立ち戻って物語を構想しているからではないだろうか。固定読者が付きにくいとか、単行本の発売が年単位になるとかデメリットもあるだろうが、落ち着いた作品作りで良書が増えるのなら こういう連載形態も大いに支持したい。

そして最後まで屋敷自体を主役に据えている構成も良かった。最終回では数ページで少なくとも数年の時間が流れているが、それは駆け足によるダイジェストじゃなくて、この屋敷の外で起きたことだからという考え方も出来るだろう。神の作った楽園が、なぜか人間にとって檻になってしまった悲劇が、2人の勇気によって扉ごと未来に開かれているという終わり方も とても良かった。


能の他にも、サブキャラクターたちの使い方が秀逸だった。
『4巻』の感想文で神として評した旦那様。どうも彼は優しさという真綿で人の首を絞めるような人だと映ってしまったが、そうではなく、やはり神は どこまでも慈悲深く、寛容であることが明らかになった。だからこそ瀬能の悔恨と罪悪感は一層 濃くなってしまうのが皮肉なのだけど。

そして人の子には分かりにくかった神の御心を伝えるのが、旦那様と同年代で共に この屋敷の推移を見てきた空太の祖父。彼によって旦那様の娘・孫への思いは引き継がれ、そして空太にとって祖父の存在は厳しい目を向けられた駆け落ち後の救済となっている。祖父がいなければ空太は逆風の中 立ち続けることが出来なかったかもしれない。

また屋敷内でいえばメイドの麻実(あさみ)の存在感も光る。最初は恋のライバルと目されていた彼女だが、最後は これ以上ないほど杏奈の味方になっているのが良い。彼女の行動を支える動機となったのは杏奈への信奉、杏奈自身のカリスマ性や言動が彼女の未来を切り拓いているという構造も素晴らしい。

杏奈の婚約者として登場した龍也(たつや)も最初は空太のライバル的立ち位置だったが、杏奈の本当の幸せを願う側になっている。これも杏奈が龍也の過去の悔いを消失させるキッカケをくれたからだった。最後の働きも とても印象に残るもので、物語に毎度 登場した意味も分かったし、彼もまた家という檻を飛び出して自由を掴み、幸福を掴んだことを嬉しく思った。

全5巻と決して長くない物語の中で、とても印象に残る物語と人々を生み出した作者の手腕に感心した。こういう実力者が順調に売れてくれると非常に嬉しい。今後の作品も楽しみで仕方がない。


敷を出たのは杏奈だけでなく空太もだった。元々 イギリス留学のために まとめた荷物を持って彼らは駆け落ちをした。屋敷から出来るだけ遠い場所に2人は向かい、辿り着いたのは1件の民宿。追跡の可能性を恐れてスマホを置いて、完全に2人は屋敷と隔絶される。

しかし すぐに杏奈は空太に隠れて泣いているし、空太も杏奈には見せないが、自分が彼女を守り通せる力を持っていない無力感に襲われていた。彼らがしたのは逃避で、その先に明るい未来は待っていない。

杏奈が民宿の息子と話をする機会がある。この会話で読者だけが この男が20年前に杏奈の母・杏子(きょうこ)と駆け落ちした男であることが分かる。天文学的確率の偶然で ご都合主義だが、こうでもしないと20年後の絵描きの姿は描けないのだろう。そして彼が淡々と杏子のことを話すことで見えてくるものもある。

その夜、元・絵描きは空太と話し込む。この会話では20年前の駆け落ちの真相が見えてくる。杏子は絵描きに恋したのではなかった。そうではなくて自分の愛する男を守るために姿を消した。絵描きは頼まれて それに同行したに過ぎない。おそらく杏子は仮想の駆け落ち相手として旅する絵描きを選んだだけ。そして その後は杏子は独力で生活したようだ。20年の時間が過ぎた後も、絵描きは自分の行動が軽率だったのではないか、彼女に対して逃げる以外の選択肢を提示できたのではないかと後悔している。


描きの後悔はきっと将来の空太が辿り着く場所。その予感が彼を襲う。
だから彼は正面から清和家と向き合う覚悟を決める。それが本当に2人で長い時間を一緒にいるために必要だから。そして許されるなら予定通りイギリス留学をして今度は自分の力で杏奈を守れる男になろうとする。その空太の決意に杏奈も同意する。彼女もまた屋敷に、祖父の愛情に背を向ける生き方は心苦しかったのだろう。

最終話は120ページ。
屋敷に戻ってから その後の全てが描かれる。彼らの駆け落ちは1週間で終わった。実際 生活費を考えたら そうでなくても限界は早く訪れただろう。まず2人は現在の当主とも言える瀬能に頭を下げる。だが旦那様の願望を叶えることを優先する瀬能は厳しい。空太は自分の稚拙さを謝罪するが、だが行動したことで分かったことがあると瀬能に臆せず伝える。そして杏奈を幸せにするのは自分だと堂々と宣言する。

その気迫は その場にいる全員を瞠目させる。男子、三日会わざれば…、ではないが、確かに この1週間で空太は成長した。いや、自分が成長しなければならないことを自覚した というのが正しいか。無力さと罪悪感に苛まれたことで、そこから脱出するための道筋を考え続けたのだろう。

罪悪感に追いつかれる前に引き返す勇気を持った空太は言うべき意見を持つ大人になった。

して今の彼は清和の家を継ぐことも念頭に置いて、その優秀さを武器にして この家に入ることを願う。清和に費用負担させるイギリス留学を念頭に置いた空太の計画は とても厚かましい願い。しかし たとえ厚顔無恥でも空太には清和の恩恵に与(あずか)る道しか残されていない。そして その恩恵を活用する豪胆さが、杏奈との関係を真剣に進展させようという意思の表れである。

これが出来なかったのが瀬能なのだ。彼が清和家に属するのは罪を犯した後。その罰として彼は その身を清和に捧げた。同じように空太も罪を自覚するから、この家に有益な人間になろうとする。ただ空太の場合、この家に決定的な破滅をもたらしていない。彼はあらゆる点において瀬能より勇気ある者として描かれる。

その勇気と覚悟は杏奈も同じ。空太との将来を望みにして、祖父の望んだ進路、祖父の望んだ人格を身につけることを約束する。杏奈まで空太に同調するのを見た瀬能は、話を切り上げる。不安になり空太を見つめる杏奈に空太は堂々と安心を与える。そこが旦那様の葬儀の時の視線の交わりとは違う点である。


奈を連れて行った瀬能は杏子と杏奈が外見はよく似ているが、性格は正反対だと思っていたと初めて彼女たち親子への印象を語る。そして杏奈も駆け落ちした末に出戻った母を どこかで軽蔑していたと吐露する。でも自分が同じ経験をして、それだけのエネルギーが自分の中に生じることを身をもって知った。そして それが母の父への愛情の深さだとも理解する。

その上で杏奈は母親と同じ轍を踏まないことを誓う。しかし そのパートナーとして空太が必要であることは譲らない。それが家を守ること、そして自分が幸せになることを両立する方法だと、彼女も挑戦の意思を固める。

その夜、瀬能は1人になって、再会した杏子との思い出を回想する。病でやつれた彼女は昔の面影から遠ざかっていた。冷たく突き放していた瀬能だが思わず、自分よりも絵描きとの未来を選んだ真意を問い質してしまう。そこで聞き出した彼女の答えの意味を瀬能は20年間 探しているのではないか。これは高校入学前に別れることになった龍也(たつや)と美咲(みさき)の間に残った心の棘に似ている気がする(『3巻』)。

空太には祖母が説教をしていた。だが この家の不幸を見続けてきた祖父は、空太の行動こそ清和の女性を幸せにする道だと彼に託す部分が大きいようだ。


かし今や清和の全権を握る瀬能が立腹しては2人の望む未来はやってこない。2人は以前と同じく軟禁を余儀なくされ、再び接触が断たれる。

空太が屋敷に居続けられるのは、旦那様の友人でもあった自分の祖父という後ろ盾があったから。使用人の孫であって使用人ではないという中途半端さが空太を救っているとも言えよう。そして そのままイギリス留学になる予定。それは駆け落ち前に杏奈が絶望した状況と何も変わらないが、心理的には全く違う。空太には勉強する目的がある。今の努力の先に杏奈と共に人生を歩める未来が到来するなら、今 会えないことは乗り越えられる。


んな清和家の現況を麻実(あさみ)は龍也に横流しする。現状が膠着していることを知った龍也は一役買うことに決めた。そして間もなく、龍也が麻実を連れて駆け落ちしたとの連絡が入る。麻実もまた龍也との駆け落ちを謝罪する手紙を残していた。

こうして東條寺家との念願の縁組は またも果たされずに終わる。20年の時を経て どちらの家も無礼を働いたことで、両家の関係は完全に ご破算となるというのが龍也の描いた筋書き。
この行動によって龍也は東條寺家の一員の座から外されることになるが、それでいい。龍也は三男だし家としては あまり問題がないだろう。それなのに家に縛られていたから龍也は苦しかった。そして何より敬服する杏奈のために行動したかったのだろう。

きっと麻実が龍也の誘いに乗ったのも同じ理由だろう。杏奈は その天真爛漫さで人の心に深く入り、それにより人との関係が濃密になる。この無茶苦茶な行動が麻実の中で満足感に変換される理由は杏奈への友情と借り、そして忠誠だろう。


者たちにとっては都合の良い破談だが、瀬能にとっては旦那様の遺志を崇高できなかった悔恨となる。憔悴した彼は神であった旦那様の部屋で救いを求める。
だから瀬能は東條寺家に代わる次の婚約者候補の選定に躍起になる。

そんな彼にブレーキをかけるのは空太の祖父。空太の身内というだけで憎々しさが湧く瀬能に対し、祖父は瀬能は空太を認めることを願う。それは杏子の二の舞を避けるため。そして瀬能に旦那様が瀬能と杏子の関係を知っていたことを伝える。

この屋敷の神であった旦那様は2人が同じ本を読んでいることで2人の秘密の関係を勘付いていた。そして もしそうなら娘の幸せのために東條寺家の縁談を自分が頭を下げて収めるという意向を示していた。
それは あの時、瀬能が勇気を出していれば、違う未来が到来したということだ。瀬能は愛する人と この屋敷で暮らせたし、彼女が早世することもなかったかもしれない。彼の不甲斐なさは自分だけでなく周囲の人を不幸にした。

だから20年前の関係者として今の若者を再び不幸にする訳にはいかない。それは瀬能の神である旦那様の意思でもあるのだ。


発前の空太に改めて瀬能は覚悟を問う。真っ直ぐに瀬能に答える空太に対し、瀬能は結果を出すように求める。それは間接的な許可だった。

それが旦那様の意思であることを知った空太は彼の墓前に向かう。亡くなってしまったけれど、自分にとって旦那様が「祖父」になる日の実現を空太は誓う。そこに杏奈も現れ、2人は胸を張れる大人になることを墓前に誓うのだった。2人は改めて自分たちの意思を確認し、永らく会えない日々を乗り越えることを互いに約束する。ここで杏奈が墓前に参れるのも瀬能の警戒レベルが落ち着いたからではないか。


敷が舞台で、屋敷が主役の話であるから、屋敷の外の時間は早く流れる。あっという間に、杏奈は高校、そして大学に進学し、空太はイギリスで学問を修め、そして彼らは目標であった結婚式まで駒を進める。

バージンロードを歩く杏奈をエスコートするのは瀬能。これ以上の適役はいない。
その理由は結婚式に参列した麻実によって明かされる。彼女は『4巻』の爪みがきのエピソードで瀬能と杏奈に血の繋がりがあることを予知していた。瀬能は この日、初めて杏奈との関係を、そして杏子がなぜ駆け落ちをしたのかを知る。

彼女はずっとずっと自分のことを愛してくれていた。その遅すぎた発見に瀬能は涙する。
そして瀬能は自分とは違い、愛を貫き、愛を信じた若者に杏奈を、娘を改めて託す。空太は この屋敷から、そして杏奈の父親から認められた。真実を知らない若者たちは、無邪気に瀬能に これからもよろしく、と彼の存在に感謝を示す。

神の意思、時には呪いとなった願いは成就したことで消滅する。そして この日、名実ともに この屋敷は杏奈と空太のものとなる。神の時代が終わり、この屋敷の新たなる歴史が始まろうとしている。

ちなみに麻実は龍也と結婚したらしく一児を もうけている。龍也は この結婚の陰の立役者ながら元婚約者であるために参列は控えたようだ。見たところ左ハンドルの自動車に乗れるぐらいは龍也は儲かっているように見える。