
篠原 千絵(しのはら ちえ)
天は赤い河のほとり(そらはあかいかわのほとり)
第28巻評価:★★★★☆(9点)
総合評価:★★★★(8点)
時空を越えて、古代ヒッタイト帝国にやってきた少女・ユーリ。運命に翻弄されながらも、皇帝との愛を一途に貫き、皇妃として生きる道を選ぶが…?大型歴史ロマン、アナトリアの大地で堂々完結!!番外編として、本編では語られなかったエピソードや、カイルとユーリ以後の時代の物語を豪華収録。
簡潔完結感想文
- 本編は1話のみ! けれどユーリが個人として幸せを手にする大切なプロポーズが描かれる。
- ユーリが存命中は国全体がイシュタルの輝きに包まれる。けれど没後は その加護は得られない。
- ユーリ・カイル・ラムセスの3人の遺伝子は夕梨の中に宿る!? 最終巻が第1話に繋がる可能性。
最終巻の表紙に知らない人たちが いるんですけど! 最終28巻。
どこまでも作者の作家性の高さに驚かされる作品だった。それは最終巻でも変わらず、本編が まさか1話しか収録されていない衝撃も内容の充実で忘れることが出来た。
まず本編の最終話のカイルがユーリに改めてプロポーズする場面に胸打たれた。これはカイルが皇帝として正妃・皇妃に望む姿ではなく、自身が愛するユーリ個人へ伝える結婚の要望である。突然 知らない世界に飛ばされたユーリは帝国の中でキャリアを重ねて女性の最高位にまで到達したけれど、同時に私生活でも幸福になったことが証明された。これは前タワナアンナのナキア皇太后が得られなかった境地で本書唯一の絶対的な幸福となっている。


最後の最後で残されたユーリの日本の家族のことを描くと どうしても悲嘆に暮れる場面となり、完璧な幸福のノイズになるだけだ。ユーリが絶対に戻らない意志を持ち、かつ依代(よりしろ)となる服を消失して戻れない状況になったのなら それを描く必要がない。大切な人の行方がある日 突然 分からなくなった人たちの心情は容易に想像できるのだから描く必要がない。
同じように この作品ではユーリとカイルこそヒッタイトの最盛期の象徴であることが明確に描かれている。彼らが存命中は国が反映するけれど、没後は静かに凋落が始まることが示唆される。推定で本編から7年、12年、50年後の3つの番外編が収録されているのは、ユーリたちが育てた子供の様子と、ユーリを知らない孫世代から国力が衰退していることを表すためだろう。同じ理想を見ていたユーリたちの目が黒い内は平和だったけれど…、という話である。
カイルの治世は約30年だというからユーリは本編終了から約25年ぐらい生きたことになるのか。現代日本の観点からすると それぞれ短命の気がするけれど、今から3400年前の平均寿命は このぐらいなのだろう。ユーリがカイルの前年に亡くなることで、彼女を失ったカイルは本当に心身を崩すことが証明されたと言える(ユーリが行方不明だった『19巻』の健康不良状態が続いていたら彼の命を奪ったという推測になる)。
そしてユーリは先に亡くなることで、ナキア皇太后やエジプトのネフェルティティ王太后のように夫王が亡き後も皇太后として君臨して権力に固執したりしない、そんな清廉潔白な人生を送った証明にもなっているように思う。ユーリの死が描かれるのは悲しいけれど それがカイルの永遠の愛の証明になり、ユーリの反面教師と同じ道を歩まない、国民に愛され続けた状態での逝去だったことが分かる。
また番外編のユーリの名を継ぐ孫娘の新天地が、沈みゆくヒッタイトではなく太陽が昇る東の地であることも重要な事実だ。東西世界の中心とも言えるトルコで彼らが選んだのは東、それもユーラシア大陸の最東を目指す。
国を捨て愛に生きた2人は太陽が昇るところ、すなわち「日出づる国」を目指した、と読み取ることを作品は許してくれている。夕梨からユーリになった皇妃、その孫のユーリは いつか鈴木 夕梨(すずき ゆうり)に繋がる可能性を示唆している。つまり最後の番外編が第1話に繋がる円環を生み、そこに完璧な美が宿ったような気がした。この物語の端と端にユーリが君臨している。徹頭徹尾、ユーリというヒロインを描いていることに圧倒される。
また孫ユーリが選んだ相手がエジプトの王子という点も見逃せない。これはユーリとカイルの孫、そしてラムセスの ひ孫の恋愛で、その彼らが東の地を目指し、子を宿し、その血脈が続いたのだとしたら夕梨は この3人の3400年後の血縁者という可能性が出てくる。勿論 長い年月で他の遺伝子が占める割合の方が多いのだろうけれど、3人の血縁は永遠に続き、そして夕梨に辿り着くという考えは少女漫画読者、特に三角関係に夢中になった読者を歓喜させる想像となる。
そういえば孫ユーリが選んだ相手は製鉄知識を携(たずさ)えている。その知識と共に彼ら一族は生計を立て、彼らの移動と共に製鉄技術が東に広がったと考えるのも面白い。「アイアンロード」と呼ばれるらしい製鉄技術の伝播が一族の足跡と重なったりするのだろうか。となるとユーリの血脈が日本に到着したのは古墳時代ぐらいか。一族の中の女性には時々ユーリという名前が使われるのだ。
本編での現在から過去だけでなく、どっぷりと過去の住人となった読者の視点を番外編で再び現在に戻すことで、往復6800年分の途方もない時間を読者は旅する。それは人類の歴史の長さで そして その中で個人の思いどころか国家の歴史すら埋没させてしまう。そんなことに思いを馳せさせる本書は紛れもなく歴史大河ロマンと呼ぶのに相応しい作品と言える。
そして おそらく『1巻』の感想文でも書いたけれど本書が始まった1995年よりも現在2026年は漫画文化は成熟しているはずなのに、作者のような極めて高い作家性や構成力、作品世界を表現できる画力を持つ少女漫画家はいないような気がしてならない。これはヒッタイトの爛熟を理由とした衰退と重なるような気がしてならない。悲観的に考えてしまうぐらい この30年前の作品は燦然と天に輝き続けている。
全ての事象に決着が付いた結婚式前日、カイルはユーリにプロポーズする。それはユーリが正妃・皇妃になる前に きちんと自分の妻としてユーリを迎えたいカイルの誠心。そんなカイルのケジメによって精神的にも満たされた最良の結婚式を迎えることが出来る。
最後にルサファに振られる形になったネフェルトも ちゃんとユーリを祝福している。ここも大人としてのケジメが必要なのだろう。そして結婚式直前にユーリの妊娠が発覚。そこからヒッタイト帝国の顛末が語られ、現代に時間軸を戻して物語は幕を閉じる。
「番外編 キックリの一日」…
世界最古の馬術調教書の著者として名を残すキックリの話。馬術調教書の内容を紹介しながら本編後の各人の後日談を紹介している。ラムセスはユーリに粉をかけながら、10人以上の側室に16人の子供が生まれている。これだけいればユーリと縁戚関係になれる子供も確保できるか。キックリと双子の一夫多妻の家庭に生まれた2組の双子に加えユーリたちの子供も4人登場する。子供の順番は長男・次男・長女・三男で名前も最後の番外編で分かる。ユーリ夫婦の容貌は全く変化がない。
「番外編 カッパドキア奇譚」…
現在のトルコの観光地・カッパドキアを訪問したユーリは娼館から逃亡した1人の少女・トゥーイを助ける。彼女は客を取る前に故郷に帰りたいと切望しておりユーリは彼女の故郷に向かう。トゥーイは少数民族出身で彼らは別の部族から迫害を受けており、この土地の代官も その部族からの賄賂で潤っているため訴えは通らない。ユーリが身分を隠して世直しに出ようとするが、その前に「皇太子」が到着する。この皇太子デイル・ムワタリが前編「キックリの一日」にも登場していたユーリの男児で12歳に成長していた。ユーリの見た目が変わらないから分からなかったが時間が かなり経過しているという叙述トリックだったのか…。ユーリが単独行動のためカイル皇帝は心配で仕事が手に付かず、元老院(バンクス)の議長となったイル・バーニは頭を痛める。ちなみに愛馬はアスラン3世になっている。
最後に皇太子の恋愛が始まる。彼女が正妃なのか側室なのかは最後の番外編で明かされる。


「番外編 オロンテス恋歌」…
紀元前1296年にヒッタイト帝国とエジプト王国の間で古代史上最大の戦争カディシュの戦いが起こる。平和条約によりヒッタイトの幼い皇女と25歳のラムセス2世の婚姻が約束された。その13年後、いよいよ王女がラムセス2世に嫁ぐことになる…。
物語の軸は単純なガールミーツボーイで、古代オリエント版ロミオとジュリエットか。しかし最初は正体を伏せていたり血縁関係や家系図、1世2世の表記や名前が複雑で、作者の構成力を持っても頭が混乱する。よりにもよって孫の1人にウルヒという名前を付けたのか…?
「ローマの休日」のように短い期間に惹かれた2人は、その映画とは違い最終的に立場を捨てる。それが可能なのは皇女の側に身代わりとなる人物がいたから。彼らの利己的な行動を国際紛争にしないために一人の女性が犠牲になったと言える。確かに本編のエジプト編のラスト(『24巻』)で孫同士が婚姻すると書かれていたが それが誰とは言っていなかった。また読者は『24巻』の1コマ描かれた孫娘の顔で、誰が嫁ぐかは先に推理できるようになっている。ラムセス2世にはヒッタイトの美しい皇女であれば誰でも良いという好色な面も見える。繁殖力の強さ、と言いたくなる この習性は祖父譲りか…(苦笑)
ちなみにユーリとカイルの間に生まれた姫は、ジュダとアレキサンドラとの男児と結婚している。2組4人の夫婦にとって喜ばしい縁談だったと嬉しくなる。
