
篠原 千絵(しのはら ちえ)
天は赤い河のほとり(そらはあかいかわのほとり)
第11巻評価:★★★☆(7点)
総合評価:★★★★(8点)
濡れ衣をきせられたユーリを助けようと、ユーリの侍女・ウルスラは自ら暗殺犯として名乗り出る。ウルスラが処刑されたことで、カイルはすばやく皇太后の私兵を鎮圧するのだが…!?
簡潔完結感想文
- 膠着状態の暗殺事件は皇帝即位の障害。カイルの擁立を願う人たちが犠牲を容認して お膳立て。
- カイルとユーリが犠牲に関与しないために計3回目の誘拐状態。カイルのアキレス腱が露出する。
- 暗殺事件終結まで紳士的だったラムセスが性暴力者に変貌。性描写はノイズにも引きにもなる。
性暴力はヒーロー登場の前触れ、の 11巻。
『11巻』を一言で表すと「3」だろうか。
具体的には3回目と3人目、そして3人が相手の気持ちを理解した上での三角関係。
3回目はユーリが誘拐された回数。これまで操られたザナンザ、黒太子・マッティワザの誘拐劇があったけれど、今回の犯人はエジプトのラムセス。この3回とも誘拐の結末はユーリの貞操の危機。男女がいれば そうなることは必至なのだけど、少女漫画の読者への引きとして利用されている側面も大きい。語弊のある言い方なのは承知しているけど、助かることを前提とした性暴力は読者の受けが良いのだろう。性暴力シーンの開始は場面転換の前触れでもあって、3回中2回はヒーローであるカイルが必死な形相で登場しているし、残りの1回もカイルとの再会が近づいていた。しかし以前も書いたけれど、ユーリに性暴力を働く3人の男性は いずれもイケメンで身分が高い。そういう男性になら多少強引にでも迫られるのは やぶさかでない、というのが読者の本音なのだろうか。
今回のタイトルにもしたけれどユーリは誘拐されることでヒッタイト帝国の国境地域に連れ出されている。そこは首都にいるユーリが本来なら見なかった地域かもしれない。ユーリは人に連れられることで その地域の風土や実情を知り知識にしている。それは一風変わった現地視察で、ユーリの後の人生の重要な礎になるのかもしれない。


そして3人目は犠牲者の数。ティト、ザナンザ、そして今回の犠牲者によってユーリは この世界への関与を強めていく。彼らの望み、彼らの望んだ世界の実現がユーリの宿願になっていく。今回の犠牲者、※ネタバレするとウルスラの特徴はナキア皇太后の陰謀に巻き込まれたのではなく、ナキアの企みを阻止するために自分から動いたという点ではないか。愛する人との暮らしという自分の将来像よりも国家の未来を夢見たウルスラの心持ちはイシュタルのようで、偽イシュタルとして贅沢や名誉を欲していた彼女は もういない。ウルスラは聖女となって この世を去った。この自爆テロや殉教といった印象のある働きによってナキアは排され、カイルの皇帝即位が近づく。
ザナンザは上述の通り操られていたとはいえユーリに性暴力を働こうとした者。そしてウルスラはユーリを偽物と断じて嘲笑した者。そのヒロイン様への正しくない行いが死という罰となって返ってきたという考え方も出来る。ユーリは絶対不可侵な存在なのだ。ただ一方でティトだけが何も悪くなく、彼の死はユーリ自身の罰となる。
この3回目の誘拐劇と3人目の犠牲者はリンクしている。3人目の犠牲者はユーリとカイルが望まないにもかかわらず出てしまった。その要因となったのが3回目の誘拐。この誘拐劇は作品的にはユーリとカイルを首都から引き離すために起こされ、その2人が不在の間に最小限の犠牲で最高の結果を得ようとカイルの部下たちが動く。主役の2人の手を汚さないまま綺麗な状態で皇帝即位を迎えるためには こうするしかなかったのだろう。清濁併せ呑むのはカイル臣下たちで、カイルが担えない濁の部分を背負うことで事態を動かす。のちに臣下に政治的な判断があったことをカイルは認め、それに報いるため粛々と事態に対処する。
また3人目の犠牲者が確定したことで3回目の誘拐劇にも性暴力が解禁されている。ラムセスは まるで遠く離れた地のウルスラの死を感じ取ったかのようなタイミングでユーリに欲情する。これはウルスラの死を際立たせるための方策だろう。ウルスラが命を賭けた行動に出ている中でユーリがキャーキャー騒いでいたら読者の彼女への心証が悪くなる。そうならないようにラムセスは当初 紳士的できたのに急に野獣に変貌する。そして それがカイルの登場の合図となる。
オリエントの2大大国となったエジプトと最初に剣を交えたのはカイル。それは国同士の覇権を賭けた戦いではなく飽くまで私人としての戦い。この誘拐劇でユーリとカイルはラムセスのユーリへの恋情を明確に理解する。この『11巻』からが長く続くエジプトとの、ではなくラムセス個人との三角関係の正式な戦いの始まりになっている。
カイルの皇帝即位への道筋がついたのと三角関係の正式発足は無関係ではないだろう。一つの夢を叶えてゴールが見えた作品に三角関係という争点を与えることで読者の興味を引き続ける。中盤になっても決して中弛みすることのない構成に改めて驚かされる。
またカイルがウルスラ問題を感知しなかったのはカイルが自重すべき己の立場を自重できなかった彼のミス。しかも皇帝即位直前の一つのミスも許されない中でカイルは公人の自分を捨てた。臣下の非情と言える判断がなければカイルは皇帝候補から失脚していたかもしれない。少女漫画的には何よりもヒロインを大切にした胸キュン場面なのだけど、それがカイルの数少ない欠点を浮かび上がらせている。


カイル皇子のナキア皇太后への告発も手詰まりになり、内戦という戦争の勃発を予感したユーリは自分が動くことで街を国を守ろうとする。ナキアの私兵が多いため脱出不可能だと判断したユーリはウルヒという扇動者の排除によって隙を作る。この一撃でウルヒは隻眼となるけれど、逆に よく目を失っただけで済んだと思うほど矢に勢いがある。
隙を突いて街を出られたが追手の数が多くユーリは疲弊する。その状態で河に落ちるユーリを助けたのは帝位を目前にしたカイルとは違い自由に動けるエジプトのラムセスだった。ユーリの窮地を救うことで彼もまたヒーローの権利を手に入れた。ラムセスはユーリの願いを聞かず、自分の欲望を優先。ここでラムセスにエジプトの王(ファラオ)を狙う野心があることが明かされ、その中で『7巻』のザナンザのエジプト行きの話の発端となった王妃の再婚の結末が出てくる。国同士、そしてエジプト王妃個人にとってもザナンザの結婚が最良の未来だっただろう。
ラムセスもカイルと同様に頂点を目指す者として、それに相応しい妃を願っており、その相手にユーリを選ぶ。だから彼はユーリをカイルのもとではなく自分の故郷に運ぶ。またもやユーリの誘拐騒動である。
カイルはユーリ救出に政治的な大義もない上に腹心の部下イル・バーニが精神的な抑制を仕掛けて身動きが取れない。そのカイルの精神的な枷を無意味にするのがラムセスのユーリ誘拐情報。カイルが動いてしまったことでカイルの臣下たちは動揺し、そのフォローに必死になる。
そんなカイル邸の混乱を見たウルスラの罪悪感が再燃し、この問題に決着を付けるため処刑という最大のリスクを知りつつも皇帝暗殺犯に名乗りを上げる。ユーリが暗殺犯でないことが証明されればカイルは自由に動くことが出来る。
ただ女官のウルスラの自首はカイルの関与を疑われかねない。そこでイル・バーニはウルスラと阿吽の呼吸でウルスラの背後にはナキア皇太后がいるというストーリーを筋立てする。
その証言を補強するのがウルスラがナキアたちに利用された偽イシュタルの過去。嘘の中に真実を紛れさせることで真実味を補強する。ナキアは旗色が悪くならない内に査問から退室する。この人は結構アドリブ力が弱い。イル・バーニはウルスラの覚悟を無駄にしないためカイルへの報告をせず、皇太后の排除とカイルの皇帝就任を一挙に狙う。
ユーリは誘拐途中でウルスラが犯人に名乗り出た情報を得る。ユーリは一層 強く首都への帰還を願うがラムセスは自由を与えない。ラムセスはユーリを解放しない代わりに乱暴もしない。今回はウルスラの命の危機の演出が優先される場面のため貞操の危機はノイズになってしまうのだろう。ユーリはカイルの能力を信じて首都にいるはずの彼に事態の収拾を託すが、カイルはユーリ救出に動き、ウルスラの一件は彼に秘匿されていた。カイルは首都に戻ることなくユーリのために離れるばかり。
ウルスラの恋人・カッシュはカイルの部隊長という立場を使ってウルスラに会いに行く。そこで彼女の脱獄を計画するがウルスラに止められる。ウルスラの願いはカッシュとの幸福な未来ではなく、忠誠を誓ったユーリの王妃の即位。その第一歩がカイルの皇帝即位。その礎にウルスラはなろうとし、自分の黒く豊かな髪を切り落としカッシュに託す。それが遺髪となる。
ウルスラの処遇が決まった途端、ラムセスに性欲が復活する。その貞操の危機にカイルがタイミング良く到着する。一応カイルがラムセスの足取りを追える理由は用意されているけれど、あまりにも ご都合主義。そして少女漫画の最大のピンチは男性からの性暴力という お約束にも辟易する。
カイルはラムセスと剣を交え、互いの力量を確認する。だがカイルの臣下が遅れて到着したことでラムセスは退却。数の差があっても あっという間に無事に逃げ切る。
ユーリはカイルが何よりも優先して救出に来てくれたことに感謝するが、それと同時にウルスラ問題が放置されていることに気づく。そこにカッシュがカイルの出陣を要請しに到着し、カッシュが頭にウルスラの遺髪を額飾りにしていることが彼女の死の証明になってしまう。
カイルは自分に情報が秘匿されていた事実を呑み込み皇子としての役目に集中する。それがウルスラの遺志を尊重することだと理性が判断したのだろう。けれどユーリには その男性的な政治的判断が理解不能。
カイルが皇太后の暴挙を止めた事実が皇帝即位への理由になるが、ナキアは現場にいたウルヒに責任を押し付け彼を切り捨てることで保身に走る。
事態が収拾した後、ユーリはカイルと2人きりになるが今のユーリにとってカイルは遠い人。逆にカイルはユーリの無事を身体で確かめたいと いつもより強引に迫るが…。
