
篠原 千絵(しのはら ちえ)
天は赤い河のほとり(そらはあかいかわのほとり)
第10巻評価:★★★★(8点)
総合評価:★★★★(8点)
ヒッタイト帝国の正式な皇太子にカイルが選ばれ、継承問題は解決したかにみえた。だが、ナキア皇太后は新たな陰謀を企てていた。ある日、元老院の議長の娘・ギュゼル姫が1人の子供を連れてやってくる。なんとそれはカイルの子だというのだ。本当だとすれば、息子・ジュダを帝位につけるというナキア皇太后の望みは遠くなるはず。陰謀の目的がつかめず不安な夕梨だが、そんな時、皇太后が密かに外国から毒薬を手に入れたことを知る。カイルが子供の問題で手間取っている間に皇太后は皇帝を暗殺し、罪をすべてカイルに着せようとしているのだ。なんとかして計画を阻止しようと、夕梨は単身、王宮へ急ぐのだが…!?
簡潔完結感想文
- 皇帝毒殺の情報を手にして その阻止に動いていたはずなのに暗殺犯にされるユーリ。
- ナキア皇太后がウルヒを手駒にしているのではなく、ウルヒがナキアを動かしている?
- ナキアが一見 無関係な2つの事件で計画を隠したようにカイルは犯人告発に2つを利用。
再びナキア皇太后が犯人だと名指しされる 10巻。
作者は大長編を支えるために短期間で作風を意図的に変えている。基本となるのはユーリとカイルの愛を描く恋愛パート。しかし それだけでは読者の求心力を支えるには足りないから そこに様々な側面を加える。ユーリの民衆の心を掴んでいく様子を描くイシュタル伝説だったり、カイルの理想を手にするための必要悪として描かれる戦争パートだったり。直近では偽イシュタルを登場させて地方の平定をする水戸黄門的な展開があった。
今回は「ヒッタイト殺人事件」と名付けたくなるようなミステリの側面が見られる。この殺人事件の第一発見者はユーリで犯人はウルヒ。犯人が最初に分かる倒叙式ミステリは、犯人を追い詰める証拠がなく、逆にユーリが容疑者に仕立て上げられてしまう。カイルは自分の立場を危うくしながらもユーリを庇い続け、逆に黒幕側のナキア皇太后を追い詰める…、という内容になっていて目が離せない。
ナキア皇太后が犯人として名指しされるのは2回目。1回目の『8巻』ではユーリが被害者 兼 告発者だったが、今回はカイルが探偵役となる。
『9巻』の偽イシュタル編で独断専行した割に思うように結果が出なかったユーリは1巻分のユーリの自粛状態となる。カイルに釘を刺されたことも影響しているけれど自分の気分が浮上しなかったと思われる。しかしカイルが膠着状態になっていると知って いよいよ動く。殺人事件の第一発見者、そして容疑者という派手な展開は用意されているけれど、ユーリ自身の動き的には作中で最も地味と言えるかもしれない。


降って湧いたようなミステリ編だけど、計画は その直前の隠し子騒動編と連動していること、その上 カイルがナキア皇太后を追い詰める際にも その騒動を利用する構成になっていることに深く感服した。読者にずっと楽しんでもらうために質の高いエンターテインメントを用意しようとする作者の気概を感じる。
このところ悪だくみの切れ味が鈍っていたように見えるナキア・ウルヒ コンビだったけれど今回は犯人側である彼らの計画が よく練られていた。相変わらずウルヒに都合が良い展開が続くし、結局のところ意外と好戦的なウルヒの凶行に終わっているけれど…。
気になったのがナキアとウルヒの力関係が変化しているように見える点。これまでは立場的にナキアが圧倒的に上でウルヒは彼女の意向に従う手駒に過ぎなかった。けれど今回は計画通りにいかないことに焦りを覚えるナキアをウルヒがコントロールしているように見えた。人を操る魔力を持つナキアが実はウルヒの操り人形だった、という結末もあり得るかもしれない。
今回のラストで犯人側のナキアの動機が明かされる。これもまたナキアの退場フラグかと訝しんでしまう。距離的に近いからこそ衝突しかねない隣国・近隣国との恒久的な平和を願う政略結婚に巻き込まれたナキアは ただでは起きない。ナキアは嫁いだ国で母国の血が引き継がれることを復讐とする。これはヒッタイト帝国からすれば不純物の混入になるのだろうか。息子・ジュダを帝位に就けたナキアは母国を優遇する政策を連発させることでヒッタイトの内部崩壊を目論むのだろうか。こうなると次の皇帝にジュダかカイルの どちらが選ばれるかは国の行く末に非常に重要な分岐となりそうだ。
ついこの間まで皇太子の地位を巡る対決だったのに、その直後に皇位対決が起こっている。これは史実の通りなのだろうか。それともカイルを若い内に(20代で)帝位に就かせるための創作なのだろうか。
隠し子騒動はナキア皇太后の企み。ただカイルに息子がいても皇統の継承となりマイナス要因にならないのでナキアの動機が見えてこない。
この騒動の頃に、偽イシュタルから侍女になったウルスラとカイル軍の部隊長・カッシュとの恋仲が発覚する。ウルスラはカイルは落とせなかったけれど一般的に男性にモテる人間なのは確かなのだろう。
偽イシュタルの事件から連続してユーリに独断専行をさせないためか、ウルスラが危険を冒すことでナキアの企みの一部を知る。そこからユーリ、エジプトのラムセスを含め即席の探偵団が結成され、彼らはナキアがカイルが別の騒動に手を煩わされている間に皇帝の毒殺を計画していると推理する。毒入りのワインがカイルから献上されたものに偽装して完全犯罪を達成しようとしていた。
そこから3人は別行動を取る。ユーリは王宮に入り、毒入りワインを誰も飲まないように遭遇したジュダ皇子と行動を共にする。ウルスラは この一件をカイル邸に報告。そしてラムセスはユーリのためにカイル本人への伝達を頼まれる。推理の内容を聞いたカイルはナキアにしては杜撰な計画に疑問を持つ。同じレベルの頭脳があって初めて相手の行動が読める。カイルの推理は この情報漏洩までがナキアの計画というもの。
ユーリは皇帝毒殺を間一髪のところで回避。この時の接触でユーリはカイルの兄皇帝からカイルの妃になる責任と重圧を説かれる。これがユーリと兄皇帝との最初で最後の場面となる。皇帝はユーリへの贈り物を探すために一人になり、そこでウルヒによって殺害される。第一発見者はユーリ。そのためナキア皇太后の迫真の演技もありユーリが容疑者の筆頭になる。
カイルはナキアが黒幕だと確信し、いよいよ皇帝の殺害まで実行したことに これまで以上の怒りを見せる。ユーリを犯人に仕立て上げようとする犯人グループのナキアと、ナキアの偽装工作を見破る探偵カイルの戦いである。
ユーリは間一髪で犯人候補から逃れたことを後で自覚する。ナキアの誤算は その場にジュダもいたこと。しかしウルヒは そのジュダをユーリ告発の道具に使うことを提案し、元老院(バンクス)会議でジュダはユーリが犯人だと名指しする。久々にナキア皇太后の魔力が発動した。
ユーリは身柄を拘束されそうになるが、カイルが全力で そして強引に それを拒絶。ユーリはカイルの行動を嬉しく思いながら皇太子としての立場が悪くなることを危惧する。この一件で最も責任を感じているのはユーリが王宮に向かう要因となったウルスラだった。
元老院はユーリの身柄を引き渡すようカイルに要求するが、ユーリの拘束はナキア皇太后の罠に はまるも同然。それはユーリだけではなくカイルの死につながりかねないことでカイルは承諾しない。そこでカイルは侍女の3姉妹がユーリを逃亡させたという筋書きでユーリを首都から逃がす。ユーリは『2巻』以来の3姉妹の部族の街を訪れる。元老院は今度は この街の開門とユーリの引き渡しを要求する。
首都・ハットゥサではカイルがユーリ引き渡しの防波堤となる。しかし いつまでも のらりくらりと かわせる問題ではないのでカイルは別方向からナキア皇太后の悪事を日の下に晒そうとする。それが棚上げされていた隠し子問題。ジュダ皇子と同じくナキアに操られている隠し子の母親を正気に戻すことを自分の勝機としようとする。


元老院会議の中でカイルは強引に人を操る「黒い水」を体内から吐き出させる。そして隠し子の父親がカイルというのは自分の願望だったと告白する。離れていったカイルを想って行きずりの相手と情を交わし、そして妄想の中に生きた。カイルが離れたのは目の前にユーリが現れたからだった。
続いてカイルはジュダの操縦を告発し、隠し子の母親にナキアを名指しさせる。だがナキアはジュダの身体検査を、自分への疑義を含めて強く憤りを覚えたとすることで拒否。そして母国のバビロニアとの戦争を ちらつかせる。戦争はカイルが最も望まないこと。そのため膠着状態に突入する。
ナキアは母国の名を口にしたことで郷愁に駆られる。ナキアはバビロニアの平和のための使者としてヒッタイトに嫁いだ。結婚相手は自分の父親と同じ年頃の男。同じくミタンニ王国にも妹・ナディアを送ることでバビロニアは平穏を模索する。
国同士の道具になったナキアは、自分がヒッタイト帝国にバビロニアの血を残すことを宿願とした。そのための道具がジュダというバビロニアの血を引く息子だった。結局 ナキアも子供を道具にしていることに気づいていないのか。
そのためには皇帝暗殺犯とカイルの失脚が必要。だからユーリを引きずりだそうと私兵を投入する。当然カイルはユーリを助けようとするが、カイルが動くと内乱状態に突入するとイル・バーニは矛を収めさせる。そしてユーリがナキア皇太后の手に落ちた場合はカイルの命の危機の前にユーリの自害させることまでイル・バーニは考えていた。ユーリも自分の考えで そこに至っているが それよりも良い未来を描くために自分で道を進もうとする。
