
篠原 千絵(しのはら ちえ)
天は赤い河のほとり(そらはあかいかわのほとり)
第09巻評価:★★★☆(7点)
総合評価:★★★★(8点)
ヒッタイトの皇太子継承争いのさなか、カタパの街に夕梨の偽者が現れた。イシュタル(戦いの女神)の名のもとに傍若無人に振る舞う彼女のせいで、日に日に民衆の不満は高まっていく。このままでは皇太子候補のカイルの立場が危うくなると考えた夕梨は、1人でカタパに乗り込む。しかし、誰も夕梨が本物のイシュタルだとは信じない。それどころかイシュタルを侮辱したとして捕らえられ、街外れの”谷”へ放り込まれてしまう。そこは、恐ろしい伝染病・七日熱にかかった患者の収容所だった。この事件も、やはりナキア皇太后のしわざ。夕梨を病死させようという企みだったのだが、不思議なことに夕梨は発病せず…。
簡潔完結感想文
- 単独行動した結果 ウルヒの動きで重病・重症患者と関わる展開は2回目。自作自演っぽさあり。
- もしかして完結後の平和なオリエントにおけるユーリ正妃の功績が先んじて描かれているのか。
- ユーリほどの愛情が注がれていなくても身分と子供の存在で正妃候補が登場。隠し子騒動編。
ユーリ = シンデレラ + 水戸黄門 + 光明皇后、の 9巻。
『9巻』の内容は偽イシュタル編の後半と隠し子騒動編の前半。どちらもユーリというヒロインがライバル女性と戦う内容といえ少女漫画読者が絶対に好きな展開である。少なくとも この前まで続いていた国同士の争いよりも読者の興味のあることだろう。
そして2つのエピソードともユーリが落ち込む場面が用意されているけれど、カイルが愛するのはユーリのみ という読者の承認欲求を がっちり満たす結末が用意されている。ユーリ自身は自分の名誉や立場のために相手女性に敵意を向けたりしない。でもカイルはライバル女性よりもユーリの長所を見てくれている。相手が勝手に敗退し、ユーリは戦わずにして実質的な勝利だけを手にする。戦場でのユーリは戦いの女神・イシュタルとして行動することで功績を上げているが、平和な期間のユーリは女性相手に戦わないことが徹底されているように見えた。カイルが実母の墓所にユーリを案内するなんて実質的なプロポーズである。
偽イシュタル編の最後にカイルが庶民に混じるユーリを迎えに来る場面はシンデレラのクライマックスのようだと思った。そして容姿や立場じゃなく その行動において民衆はユーリの中の美しさやカリスマ性を感じ取る。あなたがイシュタル様なの!? という驚きの展開に水戸黄門的なカタルシスが生まれている。


偽イシュタル編はユーリが置かれた場所で咲く展開で、福祉事業に従事する内容的にも『6巻』との重複が多く見られる。特に今回はユーリがカイルに無断で出掛け、騒動に巻き込まれにいっているから以前よりも同情や共感が生まれにくい。しかも愚直な行動で失敗して落ち込んだ後にカイルの登場によって自己肯定感を回復しているから自作自演っぽさも残る。
勿論、今回の展開にも意味があって以前の福祉事業は敵国であったミタンニ国内のことで、国内でのイシュタル伝説ではなかった。それに自国の民衆がユーリを支持するのは間違いなく自ら動く彼女の働きを見た結果である。ユーリは反省点が多いと悔やんでいるけれど、それは民衆の心を掴む行動があってのことだ。カイルを皇太子にするためには彼本人の支持基盤に加えてイシュタルの人気が加算されることによって、皇太子を争うナキア皇太后側の人気を上回るという2人の人気と功績を描きたかったのだろう。
福祉事業は2回目だけど、もしかしたら これはカイルが望む争いのないオリエントが実現した後のユーリの皇妃としての働きを先に描いているのではないか と思った。※ネタバレ 本書はユーリの正妃となった後のことは詳細に描かれない。その手前が少女漫画的なハッピーエンドだから。
現在のユーリはカイルの役に立つため、彼の理想を現実にするために戦いの女神・イシュタルとして戦場に立つ。ただ恒久的な平和が実現した後に戦いの女神は要らない。そこでユーリが模索する自分の出来ることが福祉事業なのではないか。私はユーリの中に慈善事業で有名な光明皇后の立場を見た。現在の日本の皇室でも保健・慈善事業の要職に就かれているのは お妃様方である。
ここから何十年後もユーリは国内に災害や疫病が発生した時に現地に赴いて自分の手で出来ることをする、そんな未来が予感される国内での福祉事業だった。
自分の偽者だからではなく、カイルの名誉を傷つけることが許せないユーリは偽イシュタルを偽者だと告発するが周囲に嘲笑された上に捕まる。その偽イシュタルは偽者だからウルヒの意向に従うしかなく、自分が想定しているより重い罪をユーリに与えざるを得なくなる。もう この時点でウルヒ-ナキア皇太后ラインはユーリの血ではなく死をストレートに欲している。いけにえ問題を放り投げる理由が見当たらないのが残念。
ユーリが連行されたのは伝染病・七日熱の重症患者が隔離されている場所。ナキア皇太后の福祉政策は富裕層向けで、重傷者は別の場所に集められていた。一度 罹患して七日熱は抗体が出来れば問題がないが、ユーリは感染必至。一時は感染の恐怖に襲われるが、愛馬・アスランという脱出する手段を得ても『6巻』の捕虜施設と同様に積極的に関わる。ユーリは健康のまま七日間を過ごし感染する気配を見せない。それがユーリの「奇跡の娘」の噂に代わる。ユーリは自分が伝染病にかからないのは現代日本で予防注射を受けていたからだと後に気づく。


その噂から医者へのコネが出来、抵抗力をつけるために薬草や食料が必要だと助言される。そこで その支援を受けるために公的機関への陳情に向かう。ユーリの行動は市民に伝播し民衆たちにデモを起こす。
ウルヒは その騒動の鎮圧を偽イシュタルに命じるが そこで人々が求めるイシュタルの輝きを見せたのはユーリだった。しかしイシュタルが2人いることは許されずユーリは投獄される。なら最初から投獄して難癖をつけて重罪にすればいいのでは、などと思ってしまう。ナキア皇太后もそうだけどウルヒの謀略の切れが鈍っている。
獄中でユーリは実質 政務を取り仕切っているカイルが緊急事態宣言における公的支援を行っていることを知る。ユーリが名誉の回復に拙速に動かなくても市民はカイルの能力と実績を理解していると喜びと情けなさが襲う。
ユーリが投獄されている街にカイルが登場する。彼の目的はイシュタルの迎え。勿論 偽イシュタルではない。カイルが登場することでユーリのウルヒによる処刑は免れた。カイルの静かなヒーロー行動である。
偽者はカイルの寵愛を受けるために色仕掛けに出る。しかしカイルの心は少しも動かず偽者と断罪され彼女の方も捕らえられ、ウルヒは逃亡する。
カイルはユーリが どこにいるか分からないが、その居場所は騒動の中心だと考える。実際、市民がユーリの釈放のために動き、ユーリは脱獄し強制収容施設に戻り、温かく歓迎される。ここでユーリは自然と王妃になれる器だと認められる。
心の美しさを持つシンデレラを王城から王子が迎えに来る。その劇的な場面が また伝説となるのだろう。でもカイルは伝染病に感染するリスクが高すぎるけれど…。ユーリは思い上がった上に何も出来なかった自分を恥じてカイルに顔向けが出来ない。けれどカイルはユーリが確かに人心を掴んでいたことを証明する。
踊らされた人々にカイルは寛容に見逃す。そして偽イシュタル本人に尋問し、事情を聞いたユーリは『3巻』の3姉妹と同じく侍女待遇を願い出る。本当の名をウルスラという彼女はユーリを敬服する侍女となる。
首都・ハットゥサに戻り皇太子争いが再び描かれるが、ユーリが民衆にイシュタルと認められていくように、カイルは自信の人気に加えイシュタルの人気も取り込みナキア皇太后よりも支持を得ていた。
これにより正式にカイルは皇太子となる。この時点でユーリが紀元前14世紀に来てから1年半以上が経過している。季節感の無い作品だと思っていたけれどハットゥサの冬は雪も降る。1年前はミタンニ王国にいたので この地で過ごす初めての冬となる。
侍女に新加入したウルスラは3姉妹以上にユーリとカイルが一線を越えるよう積極的に動く。その成果もあり久々にラブシーンが起こり、ユーリは日本に還ることよりも目の前の快楽に溺れる。しかしユーリが「女」になるのを見てカイルは冷静になる。それは冬の次に来る春がユーリとの別れを意味し、その前に一線を越えると自分がユーリの望みを妨害する存在になると分かっているからだろう。後にユーリは このことをカイルから愛されることは帝国のために生きることと同義になってしまうからカイルはユーリの覚悟の無さを見抜いたから性行為に至らなかったと分析している。
そんな冬の日、カイルに隠し子騒動が起こる。相手は元老院(バンクス)議長の娘。カイルには身に覚えがあり、それはユーリが この世界に来る前のことで浮気でもない。しかしユーリは苦しい。しかも子供が男児であったため第一皇子扱いになり母親の身分も高いため皇族として皇統として認められる。そして その母親はカイルの正妃に相応しい。
カイルは いきなり正妃とはいかないまでも側室に迎える決断を迫られる。そして息子と目される子供にも会うことをしない。それをユーリはカイルの行動が実に政治的で男性的だと不快感を抱く。
そこに出来た すれ違いをカイルは早々に埋める。自分の母親の墓所に連れて行き、母親の前で真実を誓う。カイルが最後に相手の女性と会ったのは子供の誕生よりも1年以上前。それをカイルは覚えているから計算が合わないという自信がある。それでも口が重かったのは彼女の背後にナキア皇太后がいると思っていたから。
カイルが ここに来たのは嘘偽りのない証言だけでなく、ユーリという最愛の人を母に見せるためだった。