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「生まれる前から俺の嫁」だった鈴の、絶望の中の希望となる春時の理想ルートが開通

明治メランコリア(7) (BE・LOVEコミックス)
リカチ
明治メランコリア(めいじメランコリア)
第07巻評価:★★★(6点)
 総合評価:★★★☆(7点)
 

すべての記憶を失い、津軽(つがる)、春時(はるとき)の顔も覚えていない鈴(すず)。一方、2年ぶりに鈴と再会した津軽は、鈴であり、鈴でない彼女に焦りを感じ、彼女を傷つける行動に出てしまう。以後、鈴は津軽を避け、傍にいてくれる春時に心を寄せるようになり…。

簡潔完結感想文

  • 記憶喪失その1。津軽の有利が消滅し、春時と地位が逆転。彼女が誰かのものになる時、津軽は…。
  • 記憶喪失その2。先入観なく祖父と交流し、連載初期の「さがしもの屋」が始まり声なき声を届ける。
  • 記憶喪失その3。平賀が婚約者候補から辞退し、鈴が暗躍する愛染の顔を忘れたため婚約者昇格。

られたくない/見たくないものには何重にも細工をしよう、の 7巻。

記憶喪失という飛び道具を使ったことへの賛否両論はあると思うけれど、それによって『7巻』は読者が見たかった男性たちの表情が見られる内容になっている。

その1つが兄のリミッターを外した春時(はるとき)の顔。『7巻』は春時ルートで ずっと春時のターン。表紙も巻末の番外編も春時の天下である。
元々、春時は遊郭に鈴(すず)を避難させ、そこで必然的に男性や閉鎖社会に絶望した頃に自分が彼女のヒーローとなって身請けする予定だった。彼女の救いになることで春時は兄ではなく一人の男性になれる、というのが春時が描いた理想。しかし津軽(つがる)が鳶(とんび)が油揚げをさらうように、春時の準備中に鈴を救出し、彼女のヒーローになってしまった。

けれど今回 鈴が記憶喪失になることで その手遅れを挽回する好機に恵まれた。鈴が頼ったのは馴れ馴れしい津軽ではなく、誠実に自分を心配する春時だった。しかも記憶喪失中の鈴は春時を兄として見ようとする邪魔なフィルターがない。鈴にとって春時も一人の異性になったことで、春時の理想のシチュエーションが完成する。年齢的にも春時の計画の中の鈴と同じぐらいだろうし、鈴が16歳までは春時も「兄」として振る舞っていたが17歳の鈴は その自分の制限も解除された状態。

ずっと邪魔だった「兄」という立場を鈴も春時も取り払った状態いられるのは記憶喪失中だけ。しかも津軽が鈴を救った実績や順番も関係がない。春時が自制や遠慮せず感情を解放するのを見られるだけで読者は嬉しくなってしまう。

鈴の救いになり、自分が用意した家に迎え入れる春時の理想が一つずつ実現する

して珍しい表情が見られるのは津軽も同じ。
意地が悪いのは承知しているけれど、津軽が負けていることに私はカタルシスを覚えてしまった。上述の通り、津軽は鈴を救ったヒーロー。早い段階で鈴は津軽を好きになって、9歳から8年間、ずっと津軽にとっては鈴に好かれているのが当たり前になった。だが今回 春時が兄でなくなったように、津軽は鈴の好きな人ではなくなった。この日常の崩壊に津軽は唖然としている。自分が向けられてきた鈴の笑顔は春時に向けられ、かつて春時が眺めていた鈴と津軽の姿のように、今回は津軽が2人の姿に羨望を感じる。そんな津軽の表情が見られるのは記憶喪失展開でしか ありえない。まさか津軽が「メランコリア担当」になるとは思いもしなかった

河内(かわち)の言う通り一種 生まれついての傲慢だった津軽が その余裕を失う。そして それにより津軽が鈴を追うターンへと変化しているのが読者として嬉しい。余裕をなくして いつになく強引な津軽の行動も見られる。
また今の状況は かつて恋人だった ひな が別の男性と結婚すると聞いた時の再来。今回、妙齢となった鈴が誰かと結婚する事態になった時、津軽は ひな の時と同じように自分が身を引いて見送るのか。その分岐点に津軽は立たされている。

ただ津軽も可哀想なのは確か。2年前に自分の気持ちに気づいて両想いになって、それから2年間 会えなかった大切な人に一方的に別れを告げられたような状態なのだ。アラサーの失恋は堪えるだろう…。余り表情に出さないようにしているけれど、津軽らしくない津軽が見られ、そこに彼の動揺の大きさが見える。

※少し先のネタバレになってしまうけれど、鈴の津軽への嫌悪に実は理由があるのも上手い。無意識に忘れたいことがあるから津軽を思い出したくない。だから単純な都合の良い記憶喪失ではなく、鈴側に忘れたいという願いがあることが後に判明する。ひな による記憶操作や催眠術といっても過言ではないだろう。


の記憶喪失による展開が自然に広がっている。中でも平賀(ひらが)の婚約者候補辞退からの愛染(あいぜん)の昇格は上手い。この手法でしか愛染が鈴に近づくことは出来なかっただろう。愛染・ひな組に有利すぎる展開だけど、一石四鳥ぐらいの記憶喪失展開の一つなので受け入れられる。

記憶喪失展開で割を食っているのは平賀だろうか。せっかく婚約者候補になり『メランコリア』の当て馬枠になってきたのに、物語が津軽と春時の一騎打ちになったため平賀は出番がない。鈴の一大事だからこそ彼が身を引く決意が固まったのだろうけれど。

また鈴の成長として彼女が単独で連載初期に津軽がしていた「さがしもの屋」を復活させて、祖父と判明した秋山(あきやま)の過去の後悔を慰める展開も良かった。軟禁状態となるも割と自由に動き回れる、という鈴の男性宅でも いつものパターンを踏襲しつつ、鈴が連載初期の津軽と同じような働きが出来るまでを描いている。もう鈴は津軽の助手ではなく同等の存在なのだろう。それは2人が交際できる資格でもあるのだけど、現状の2人の距離は遠いのが悲しい。


から人と場所の記憶が抜け落ちて全リセットが発動。自分の名前も来歴も知らない鈴は春時と一人の異性のように接する。そして慕ってた津軽には胡散臭さを感じる。鈴には遊郭にいたとか津軽が好きだったとか第三者から自分の断片的な情報が舞い込んでくる。それでも今の鈴にとって津軽の態度は好ましいとは思えない。

その鈴の反応が津軽にとっては大きなショック。2年ぶりに好きな人に会ったのに嫌われた。津軽は鈴に好かれて当然だと思っていただろうから、出会ってから初めての鈴の反応に上手く対応できず、焦燥から いきなりキスをしてしまい一層 嫌われる。

この状況で得をするのは春時。鈴が16歳までは兄という自分で課した謎のリミッターが外れかかっており、そこに鈴が自分を兄扱いしない状況が重なり、春時は鈴じゃない鈴に正面から想いを告げる。そして今の鈴が一番 信頼するのが春時だから鈴は当惑することなく嬉しさを示す。それが春時の我慢を壊し抱きつく。津軽のようにキスをしなかったのは賢明だろう。

記憶喪失状態で平賀(ひらが)と遭遇。彼は鈴の状況を知らないから、秋山(あきやま)家のことや婚約のことを鈴に伝え彼女を当惑させる。平賀が自然と鈴の怪我を心配し手を伸ばしているところに彼の意識の変化が見える。ただ『7巻』は津軽と春時の争いに焦点を合わせたため、平賀の出番が大きく削られている。


は津軽への気持ちを好転させようとしても「ひな」の残像が頭に浮かび津軽のことを考えること自体を忌避してしまう。孤立無援の中で いつも自分を助けてくれるのは春時。

記憶喪失前に津軽に注がれていた鈴の信頼や情愛は今は春時のものだと、津軽は痛感する。ひな のように自分の傍から離れようとしている女性を津軽は今回も見送るだけなのかが気になるところ。
この後、津軽の家の犬が縁になり久しぶりに津軽と落ち着いて交流することになる。津軽は鈴の事情を考えず蛮行に及んだ自分を謝罪し、その謝罪を受けて鈴は津軽と向き合い始める。こうして鈴は津軽と出会い直す。

愛染(あいぜん)に鈴の記憶喪失が知られる。街中で偶然 遭遇しても鈴が自分に何の反応も示さなかったことで愛染は事情を察する。悪役は労せず情報を制する。婿候補の一人の平賀は秋山の庇護下から去ることを決めたため、愛染が婿候補になる。本来なら鈴が拒絶するはずの縁談だが、今の鈴には愛染の情報がない。愛染接近に記憶喪失を上手く利用している。

鈴の記憶喪失で一番 喪失感が大きいのは津軽。再び彼女の幸福を優先するか?

は秋山と定期的に会うことで猶予を貰っていたが、記憶喪失ではなくケガを理由にして その約束を守っていなかった。しかし秋山家の再三の要請に応じて鈴は単独で秋山家に向かう。過去の自分の複雑な事情を知りながら津軽の助けなく一人で歩もうとする鈴に一人の女性としての強さが見える。記憶喪失を隠したまま鈴は秋山の話を理解しようと努める。

鈴が男性宅に行くと囚われの身の上になって、その割に自由に行動するのが本書のパターン。今回も秋山家で自分の父親の書斎を探索し、鈴は そこで父が隠していた母の写真や交わされた恋文を発見し、秋山が聞く耳を持たなかった息子の声なき声を聞かせる。秋山に去来するのは後悔。息子の意見を聞かなかった結果と息子の事故死が秋山の中では直結している。その息子への執着を見て鈴は秋山は息子との時間を戻すため、血の繋がりのある跡継ぎ(男児)を欲していると推理する。秋山の心を慰めるため今 目の前にいる孫との関係性の構築を提案する。秋山に拒絶されても鈴は自分なりの方法で距離を詰める。

そんな秋山家で鈴は愛染と再会し、彼もまた婚約者であることを知る。秋山は鈴が何も覚えていないことを確かめてから、鈴に恋をする年の離れた男性を演じる。

春時は鈴が秋山家に向かったと知って気色ばむ。秋山家は争いの火種を抱えており、秋山自身も恨まれているため息子夫婦は事故死ではなく恨みの犠牲になった。その実情を知るからこそ春時は秋山から鈴の奪還を試みるが…。

「番外編」…
『緋色』と『メランコリア』の間の春時の話。春時は「兵役」に行くと鈴たちと暮らす家を離れたが、それは嘘で事業家として基盤を整えるまで東京を離れていただけだった。鈴は持ち前の推理力で いつまでもモヤシ体型の兄に疑問を持ったかもしれない。鈴が津軽の実家で暮らすための段取りのために春時と津軽の母親との間で やり取りが見られる。
ラストは家を出るための別れの場面だけど、それは帰るための家があり、家には待っている人がいることを確認する作業だった。これは『メランコリア』でフランスで別れる際の鈴と津軽と似たような状況だろう。春時は鈴と再会できたが、津軽は自分の知る鈴とは再会できなかった。津軽だってツラいのだ。