
リカチ
明治緋色綺譚(めいじひいろきたん)
第09巻評価:★★★(6点)
総合評価:★★★☆(7点)
運命の糸が解け始める――。鈴(すず)を守ろうと遠峰(とおみね)家に忍び込んだ津軽(つがる)は、ある思い切った行動で遠峰を牽制する。一方、鈴は兄・春時(はるとき)と再会。兄から伝えられた言葉にショックを受け――!? 動揺を隠せない鈴。物語は予期せぬ方向へ!!
簡潔完結感想文
- 遠峰邸の長すぎる一日。探偵業の家宅捜索から銃声が鳴り響くクライマックスまで。
- 特に恨みはないが遠峰が狙うのは この場の男性3人を絶望する最大の成果をあげる標的。
- 知力で遠峰に勝ちうる津軽と春時のコンビが結成され、佐之次が物語の最後の鍵となる。
佐之次、佐之介、六郎。君の名は? の 9巻。
表紙が佐之次(さのじ)であるように『9巻』は冒頭から巻末まで佐之次巻となっている。
『9巻』までで表紙に複数回登場したのは津軽(つがる)の3回に続いて2位。現時点では春時(はるとき)よりも多いことに驚く。佐之次が表紙になった初回の『3巻』は鈴(すず)の知る佐之次だったけれど、今回の髪を上げた佐之次は佐之次なのか本名の六郎(ろくろう)なのか。佐之次は これまで作中で3回素性を変えてきた。1人目は鈴と暮らした頃の優しい佐之次。そして2人目は春時の手駒の佐之介(さのすけ)。3人目は遠峰(とおみね)の家に仕える六郎。
3つの顔を使い分ける「トリプルフェイス」の佐之次だけれど、彼は自分から望んでスパイになった訳ではなく、生来は優しい性格だこそ この3つの顔に心が千々に乱れる。その佐之次に対して鈴も津軽も春時も彼の決意による人生の選択を望んでいる。
これまでの登場人物は津軽が知性、河内(かわち)がコネ(笑)、春時は動機を抱えている(春時の良い特徴が浮かばなかった…)。そこに武力の佐之次が加わることで鈴の「味方」は完成するのだろう。佐之次が遠峰の家にいる限り彼は何度でも鈴たちの前に立ちはだかる。しかし佐之次が味方になれば鈴の言う通り「無敵」になれる。佐之次の決断が最後のピースという流れが良かった。また佐之次が義理堅く優しいからこそ物語を ややこしくしているのも納得が出来る。彼らが完璧なチームとなった時 どうやって遠峰を追い込むのか今から楽しみだ。


今回、佐之次が春時を邪魔しなければ遠峰編は幕を下ろしていたはずだ。しかし佐之次が邪魔をしなければ春時の将来は断たれた。自ら将来を断つのか、それとも裁かれることで断たれるのか。そのどちらも鈴の望まない結末であるため佐之次は動いた。遠峰を守るというよりバッドエンドの回避のためと思いたい。
春時が幕を下ろそうとしたように遠峰が物語の行く末を握るシーンも良かった。作中に動きが生まれ緊張感が一気に漂うのと同時に、誰を標的にするかで遠峰の性格が出ていたように感じた。遠峰が瞬時に狙ったのは鈴。これは鈴が絶命することが その場にいる自分以外の3人の男性を一瞬で絶望させられる と遠峰が見抜いたから。それは自分に背いた春時への断罪よりも遠峰が見たい心躍る可能性のある選択というのが彼らしくて嫌な場面なんだけど心地良い。やはり虚無を抱える遠峰はラスボスの魅力に欠けるけど、津軽が少しずつ彼の余裕を剥がしていったのがカタルシスに変わった。
ここまでで春時が少しずつ頑なだった心の内を見せていったように、佐之次も何重にも呪縛された その心の奥の奥にある自分の心を見つめ直していく。津軽がチートで平和なキャラだから、春時・佐之次コンビに少女漫画読者が好きそうな心の闇が付与されている。
作品的にも やや停滞していた遠峰邸での場面が一気に動いて息を呑む場面の連続となった。そして津軽に注意されたにもかかわらず鈴は単独行動して次の舞台へと移動する。予告によると男性宅を転々とする流浪の幼女ヒロインは次もまた新キャライケメンに出会うようだ…。ただ この鈴の単独行動は春時を孤独にしないためだろう。自分の人生を畳むことすら考えていた今の春時を一人にしておけない。そうやって鈴は無自覚に春時の支えになる。
冒頭は佐之次(さのじ)の回想。
癇癪持ちで自分の機嫌で他者に手を上げる遠峰(とおみね)家の長男・宗顕(むねあき)。彼は家で預かることになった六郎(ろくろう
(ろくろう)こと佐之次を子分のように従えて時に暴力衝動の捌け口にする。これによって恩恵を得たのが次男の宗継(むねつぐ)。自分たちへの暴力の減少を佐之次の働きだとし、佐之次には武道を習わせて鍛え上げることでケガを減少させようとする。そして佐之次本人に彼が実家で口べらしにされたことを伝えて心を折った後に役割を与え我慢を強要する。永続する望まない現状は佐之次は心を黒く染める。
佐之次の成長を見計らって遠峰は兄に反抗することで この日々が終わることを教える。実際その通りで一度 拳を振り上げると宗顕は簡単に崩れ落ちた。こうして支配される日々は終わったが、10年が経過した実家は もうあの頃に帰りたいと願った家とは様変わりしていた。だから佐之次は一層 厭世的になり放浪してたところを春時に拾われた。
そこから春時と約7年一緒に行動し、春時が一家の崩壊前後に遠峰と接触したことで佐之次は遠峰との主従関係が復活する。佐之次は生来 優しく臆病なため春時に拾われてから自分に備わる力を示していない。そのため春時が変態紳士に手をかけられても何もしなかったようだ(佐之次の矛盾のように思えるけど固定された過去なので作品的に仕方ないのだろう)。佐之次は改めて遠峰家による支配を痛感するが、現在の主人である春時は遠峰への反旗を翻そうとしていた。2つの家を渡ってきた佐之次には今の春時は遠峰に及ばないと考えるが、春時に口を挟む公の理由も勇気も佐之次は持っておらず沈黙し葛藤する。
引き続き津軽と一緒に遠峰邸の悪事の証拠を捜す鈴。しかし直前に阿片製造の証拠は撤去されていた。そして再び別離する鈴の賢さを認めつつも それにより危険に足を踏み入れないように注意する。この場面は2人が一緒にいることが大事で探偵業の成果は不要なのだろう。
互いに屋敷内で単独行動をした際に鈴は春時と、そして津軽は遠峰と対面する。津軽は向かい合って表面上は穏やかに遠峰と会話するが言葉による鍔迫り合いが続く。津軽は鈴の帰還は望むけれど遠峰の破滅を望んでいる訳ではない。
春時は鈴を津軽に託すことを考えていた。「大嫌い」な妹を近くに置くとイライラするから今度は二度と会わないという。春時は自分は鈴に殺されるか、鈴と無関係に死ぬかの二択。これは実母が自分を忘れられないように死んでいった経験が色濃く出ている。自分の存在を鈴に忘れさせない権利があるかないか、春時は極端な思考に偏ってしまっている。


鈴に殺されるのではなく鈴の知らない場所で死ぬことを決めた春時は、今度は鈴から自分の記憶や存在を消そうとする。その一方的な決断を鈴は受け入れられないが、春時は佐之次のことを鈴に託し、目の前から去る。
一家を崩壊させて春時は鈴を安全圏に置きたかった。そして父親への復讐のために計画を始動させたが、阿片の味を覚えた父親は勝手に自滅した。遠峰と違い、アウトラインは計画通りでも細部が自分の思い通りにならないのが春時。その差を佐之次は見抜いていた。そして春時も父と実母に阿片を渡したのが遠峰だと知る。遠峰には何の感慨も湧かないと言いつつも、この作られた運命に春時は復讐を考え始める。
春時の誤算は鈴の場合も同じ。鈴が遊女デビューする前に彼女を身請けし、遠峰に存在が気づかれないまま隠すのが春時の計画だったが、津軽の介入、そして遠峰による鈴の認識が起こってしまい春時は遠峰との力量差を埋められないまま動かざるを得なかった。ただ津軽こそ遠峰と伍する、いや勝る存在になり得る。それが遠峰とのチェス対決で示される。津軽はチェス未経験だったが将棋との共通点から遠峰を追い詰めていた。
鈴と別れた後、春時は遠峰が津軽といる部屋に入り、遠峰に銃口を向ける。それは自分の味方である鈴と佐之次の平穏な日々を獲得するために必要な儀式。自分が遠峰の支配から脱却するためではない。
その春時を佐之次が武力で制圧する。その場面に遅れて登場した鈴は遭遇し、佐之次が春時に向けた銃の間に立つ。佐之次は躊躇して動かないため、代わって遠峰が撃つ。遠峰の狙いは鈴。きっと これが この場にいる全員の心を動かす最良の標的なのだろう。だが鈴を守るために津軽が動き、その津軽に鈴を押しやる形で春時が場所を代わる。撃たれたのは春時。足を撃たれ遠峰の指示で屋敷で手当てを受ける形で彼の身柄を確保する。
津軽は佐之次の威圧により強制退場を命じられるが、この家に警察を呼び遠峰が対応せざるを得ない状況を作る。そして2人きりになった佐之次に言葉を浴びせ、呪縛からの解放を試みる。佐之次は津軽にSOS信号を発信しながら、同時に遠峰の支配力の強さを知っているから彼に従うことで目の前にいる人たちを守ろうとする。
佐之次の逡巡を理解しつつも津軽は佐之次に行動を促す。彼が遠峰から離反するなら津軽はその助けになるつもり。しかし今の佐之次は決意が見えない。津軽は遠峰が自分を警察に差し出すと困った状況になるので遠峰が戻る前に屋敷から消える。津軽を見逃した佐之次に遠峰は思うところがあるようだが、佐之次には春時に「痛み止め」を与え、廃人同然の宗顕と同じ道を進ませると告げる。こうして春時の命運をチラつかせ佐之次の支配を強化する。
春時の治療を見守っていた鈴は、春時の強制移動に馬車に潜入することで同行する。その前に鈴も佐之次の覚醒を促す。春時が佐之次を鈴に託すほど彼を大切に思っていること、そして春時が自分の味方で津軽と同じ方向を向いているなら無敵だと佐之次を呪縛する敗北の先入観の無効化を試みる。
