
鈴木 ジュリエッタ(すずき ジュリエッタ)
神様はじめました(かみさまはじめました)
第20巻評価:★★☆(5点)
総合評価:★★★(6点)
「今しかない思い出を大事にしたい」という奈々生の気持ちを理解できない巴衛だったが、初めて人間の命の短さを目の当たりにする。奈々生と生きる時間の流れが違う…その悩みが巴衛を突き動かし!? 「俺が人間になったらお前どう思う?」人間になりたい…巴衛がとった仰天の行動とは!?
簡潔完結感想文
- 長かった過去編から日常回に戻ったと思ったのに未来編の準備。残念な修学旅行編終了。
- 500年前の人間化の契約で呪い死にしそうになった巴衛は、今回も拙速な人間化計画失敗。
- 巴衛は飼い慣らせない危険な男の雰囲気が色気だったのに、すっかり漂白されて白い狐。
カラーイラストの使い回しで表紙と内容が一切関係ない 20巻。
海回もなく、名所巡りもなく修学旅行編終了。作品の狙いは分かるけれど、学校生活のイベント回を楽しみにしていた読者には肩透かしとしか言いようのない内容。おそらく作者にとっては沖縄への修学旅行は沖縄の妖怪を出せる機会で、この修学旅行全体が未来編とも言える次のピリオドへの足掛かりになっているのだろう。
それは分かるんだけど、長い過去編を終えて、出雲編辺りから無かった学校生活が戻って来たのに修学旅行感がゼロなのは受け入れがたい。これなら別に奈々生(ななみ)の友人たちを含めた女性3人と仲良し妖怪とで沖縄に行けば良かっただけ。修学旅行という大イベントを消費してまで描くような話じゃない。作品の終わりが見えてきて日常回のギリギリ境界線である このタイミングで修学旅行を入れなければ、ということなのだろうけど楽しくなかった。パパラッチ的な女子生徒のエピソードは何の意味があるのか。どうも作者との呼吸が合わない。序盤は奈々生の成長を捨ててまで早々に自分の最初のプランである学校生活に舵を切ったのに、その学園生活を捨てたように「神様」の話に焦点を当てる。奈々生に作ってあげた友人たちを放置していたのに急に戻して学校編を再始動したけど上手く機能していない。作者と呼吸があんまり合わないように感じる。
今回の修学旅行は奈々生の友人たちに事情を明かすのが目的。それ以上でもそれ以下でもないから修学旅行の内容はどうでもいいのだろう。
そして巴衛(ともえ)が人間と妖怪の時間の流れの違いを再度 痛感し、500年前の雪路(ゆきじ)という名の奈々生ではなく、今の奈々生と共に生きる道を模索し始める。この巴衛人間化への道筋を示すために修学旅行は使われる。また もう一つの道である霧仁(きりひと)≒ 悪羅王(あくらおう)も修学旅行中に現れて、次のエピソードに繋がるようにしている。修学旅行編は名所巡りよりも、この後の話のプロローグに使われた印象が強い。


巴衛の手には血の匂いが染み込んでいたはずなのだけど、作品は まるでそんな事実など無かったというように彼の洗浄を続ける。今回も奈々生が巴衛と悪羅王の違いについて他人(ひと)の痛みがわかると定義しているけれど、過去だけでなく奈々生に出会った直後も巴衛は妖怪を殺していた。その辺の巴衛を無理に漂白しようとする動きが あまり好きではない。奈々生が世界における正しさの体現みたいになっているように、巴衛も妖怪の中で優しい存在だとする動きが少々 気持ち悪い。
これは一般作品における俺様ヒーローが暴言を吐かなくなり、すっかり丸くなるのと似ている。強烈なキャラだったから読者の注目を集めたのに、卒業で学校というヒーローを称賛する仕組みが機能しなくなるから、ヒーローは社会への順応を義務付けられ、ありふれた男へと変貌していく。巴衛の場合は人間社会に迎合する必要があるから まだマシな部類なんだけど、それでも過去の罪を奈々生が塗り替えようとするような試みに見えるのは残念。
そして悪羅王問題も上位の神々が対処することで、奈々生が関わる必要性のないのが残念。バトル漫画のラスボスじゃないんだから作者が思うほど読者は悪羅王問題を重要視していないよ、という温度差があるように思う。
冒頭は少女漫画(白泉社作品)によくある好奇心旺盛な人により作中の秘密が第三者に漏れる危機(紅茶の王子でも花ざかりの君でもあった)。秘密を追求する者から主人公たちが逃れるスリルと緊張感を作品の価値に変換しようとする仕組みなのだろう。
そういうパパラッチは最終的には自分で好奇心を抑制させるのが得策。今回もクラマの秘密を探りながら、落ちていたクラマの羽を触ったため異界に入って、その窮地を巴衛に助けられる。恐怖体験からパパラッチ業から足を洗ったようだ。修学旅行前半から物語の種を植えていた割に収穫が雑。描かない方が良かったというレベルだと思った。
ウナリの件を収束させた礼を沖縄の精神世界を司る人間の大王(おおきみ)が奈々生たちに礼をし、返礼として巴衛がミカゲ社の お使いをする。この大王=島の巫女には巴衛は過去に会ったことがある。そして巴衛にとっては完璧な お使いが出来ず、自分が聖神使(せいしんし)ではないために入れない領域があることを痛感させられたエピソードとなった。
数十年ぶりの再訪で、少女だった人間の巫女は歳を取っていた。その人間界の時間の流れに巴衛は愕然とする。しかし巴衛にとって苦い経験であった2人の邂逅は、少女にとって巫女ではなく人間としての最後の楽しい記憶だったことが判明する。この経験で巴衛は理解できなかった奈々生が時々抱く思い出という感慨に考えを巡らせるようになる。
この沖縄での経験は巴衛に人間になるという考えを芽生えさせる。
奈々生には唐突な考えで何も言えなかったが、それが巴衛の本来の寿命を縮める行為であるという意見を友人に聞き、巴衛の人間化に反対の意見を持つようになる。その実現性の低さに奈々生は何も言わなかったが、巴衛は人の学校に通い、人の創る芸術に触れていて、彼の本気度は高い。
巴衛が人間になるチャンスは驚くほど早く やって来た。それが修学旅行でクラマが手に入れた「進化の水」。その水は一度 生命を原初の状態に戻して、人間になる薬。それを知った奈々生は自分たちの決断が目の前にあることに焦る。数年後の自分の判断に委ねようとしていた奈々生だったけれど、今の未熟な自分が巴衛の将来を決めなければならない。その重荷に耐えられず奈々生は久々に主として神使に命令して進化の水を取り上げる。
巴衛は奈々生と共に歩く人生に価値があると思っているし、奈々生は巴衛が自分と同じような長さしか生きられないことが耐えられない。その2つの価値観の違いは どちらも相手への愛情が根源にあるのだけど。巴衛は呪いのリスクがあった契約をしてまで人間になろうとしてなれなかった500年前の後悔を繰り返したくない。
奈々生の考えが変わるのは、ミカゲに連れられて神の葬式に参加した時。自分たちと同じように人間に恋した神は、恋という毒に侵され、姿を変え、そして長い間苦しんだ。成就することなかった恋は、変わらない恋慕と相手の不在という苦痛を残した。成れの果てとなった姿は果たして幸福なのか、奈々生は考える。
奈々生が置いていかれた方の死に直面したように、巴衛は少女だった巫女を見送る置いていかれる立場を疑似体験していた。刻一刻と死の足音が近づく横たわる奈々生を前にしても種族の違いから同じ思いを抱けないことは不幸であると巴衛は感じた。
そうして互いの気持ちを持ち合い、2人は一緒に生きることを決めた。奈々生は進化の水を巴衛に返却するが、それを使用するのは卒業まで待って欲しいと伝える。それは1年ほどの短い時間だけれど、その1年で奈々生は自分を可能な限り成長させることを誓う。リミットのあるモラトリアムは自分の力を溜める成長の期間となる。…はずだったのに、巴衛は二度と失敗したくないため、進化の水を一気に飲み干す。
しかし妖怪が人間に進化する訳ではないので巴衛は狐の姿になってしまう。ミカゲに相談するも、全てを知っていたからこそ万能だった過去編とは違い、彼にも手が出せない領域となる。巴衛は自分の拙速な対応が この事態を招いたことに落ち込む。ミカゲに懐くが、奈々生には合わせる顔もないらしい。
そうして出来た2人の距離に登場するのが霧仁。奈々生の精気を吸ってから調子のいい霧仁は いよいよ黄泉国(よみのくに)の自分の身体の奪還に動き出そうとしていた。今回の2人の再会は互いに500年前に会った人物だと分かってのこと。奈々生は霧仁 ≒ 悪羅王(あくらおう)であるという警戒心を持って霧仁に接する。そして今の彼は悪羅王を殺した巴衛のことには それほど関心がなく、自分の身体を取り戻すことだけを考えていた。


霧仁は奈々生が自分を拒絶することが分からない。それを奈々生は巴衛は、悪羅王と違い命の奪い合いのない世界で生きていけると定義する。けれど悪羅王は巴衛に殺されたといい、信頼を置いていた巴衛に殺された悪羅王に奈々生は同情してしまう。
巴衛に悪羅王のことを聞き出すのは怖いけれど、隠し事をしないと決めた奈々生は話そうとするが話さない(いつも通り)。そんな奈々生の異変を感じた巴衛は奈々生の寝所に入る。狐の姿だから可能なシーンだろう。巴衛は念話のような感じなのだろうか。そこで奈々生は悪羅王の名前は出さず、巴衛の口から過去の交友関係を聞く。そして巴衛が悪羅王を殺した事実はあれど、それが暴力から発したものではなく、巴衛に憎しみが残っていないことを確認してから悪羅王の話を切り出す…。
「神様はじめました 番外編」…
ミカゲが20年間 社を出る前に過去のトラウマを思い出しそうになる巴衛の記憶に蓋をする話。1話開始の段階で巴衛の記憶が ほとんど残っていないことの後付け設定にも読める。
