
アサダ ニッキ
月読くんの禁断お夜食(つくよみくんのきんだんおやしょく)
第06巻評価:★★★☆(7点)
総合評価:★★★☆(7点)
【きっと、これが最後のお夜食になる。】ついに正体を明かし、そよぎのもとを去った月読。いつかは来るとわかっていた別れの日を静かに受け入れ、魔法の解けた日々を過ごすそよぎのもとに、一通の葉書が届く。それは、ひとり新しい道を歩む月読の唯一の手がかりでーー。
簡潔完結感想文
- 特別な夜を もたらしてくれた相手との別れで どちらか ではなく どちらも迷子になる。
- 誰かの飼い犬である印を捨てることが再会の条件。それが兄の優しさだとしても…。
- 一緒の食事を食べること、一緒の朝を迎えること、その当たり前の幸せを あなたと。
君が夜の迷子になっているなら 私が迎えに行くから、の 最終6巻。
最後まで読者の心を満たしてくれた作品に感謝。それぞれに夜の迷子になっていた2人が同じように安心して新しい朝を迎えられるようになったことは読者の喜びだ。ヒロインだけがヒーローに救われるのではなく、その逆もしっかりと成立しているところが良かった。
また この『6巻』はメニューの並べ方が良かった。2人の お別れの夜は、月読(つくよみ)が『1巻』2話で迎えた そよぎ との最初の夜で作ろうとしていたポトフ。その時は そよぎ の空腹を一刻も早く満たすために別のメニューに変更したけれど、今回は たっぷりと時間をかけて、というよりも別れを先延ばしにするかのように、時間のかかる一品を作っている。鍋に向き合う時間で月読は何を考えたのか。後悔か、偽りの関係が終わる安堵か。


その後、紆余曲折あって再会した2人は初めて同じ食卓を囲み、同じ料理を食す。それは在り合わせで作るシンプルな料理。これまでは名前を聞いても想像が出来ない料理で、それこそ月読の そよぎ への(過剰な)サービスだったのだけど、再会して嘘偽りのない関係になったことで ありふれた、生活の中で作る一品となっているのが良い。特別なメニューじゃなくても同じ時間を、同じ食事を共有できることが幸せなのだと教えてくれた。
そして最終回では作中で初めて そよぎ の手料理を月読が食べる。それも ありふれた朝食。でも それが新鮮。同じ朝を迎える関係になっていることだけでなく、日の光を浴びる月読の姿からして珍しい。月読が兄にプロデュースされた格好で、本音と表情を隠して自分を演じていた時には夜は特別な時間だったけれど、これからは昼夜が問わず いつもの毎日になる。そのハレとケの移行の中に幸福がじわーッと染み出しているように思えた。
最終的に主な登場人物全員の心のバランスが整えられていく感覚があって清々しかった。
そよぎ は仕事に関しては一流なのに そんな自分を認められず反省ばかりの夜を過ごしていた。月読は純情を隠して ぶっきらぼうに そよぎ に接触する。彼女の引き抜きという仕事を名目にしなければ そよぎ と接点を持てなかったのは彼の内気と勇気の無さが原因だろう。そして公私の混同が やがて限界を迎えた。2人は お互いに相手を癒やす存在で、相手が自分の弱さをカバーしてくれる理想的な関係と言える。演技や欺瞞がなくなれば、あとは幸せになるだけだ。
月読の兄・朝日奈(あさひな)は実は弟が大好き。彼もまた ぶっきらぼうにしか弟を援助できず、自分の本当は優しい思い遣りが伝わりにくい。勿論、月読は ちゃんと兄の思いを受け取れていたが、兄が与えたネックレスという名の飼い犬の首輪で彼は心のバランスを崩していく。朝日奈は弟にだけは冷徹になれなくて、だから失敗する。自分でもバランスを崩しそうになる過剰な弟への愛情を上手に伝えられるようになるには時間がかかりそうだけど、そのための時間は たっぷりあるはずだ。
弟の行方が分からなかった時期、そよぎ が朝日奈を食事に誘って、彼に本音を引き出させ心のバランスを取らなかったら、今度は朝日奈が夜に怯えてしまったかもしれない。そよぎ が わざとらしくない範囲で女神になっている場面が本当に好きだった。
そよぎ の後輩・司(つかさ)は真面目と不真面目のバランスが上手く取れたのではないか。そよぎ に きつく指導されることで彼女を好きになり、彼女を好きなライバル・月読の登場で一層スキルに磨きをかけた。月読に足りなかった同性同世代の親友役まで担ってくれて、感謝するばかりだ(何目線なの??)。司と一緒にいる時の月読の表情や言葉は、そよぎ でも引き出せないもの。作中の特別な夜が長く続いたのは司が月読の事情と本音を聞いてくれたからに違いない。
月読のトラウマの原因にもなった元ストーカーの遠野(とおの)も どうやら回復したらしい。少なくとも作中では遠方に飛ばされて、月読の前に頻繁に現れることは少なくなった。ただゼロではないので怖いところ。そんな読者の心配を軽減するためか、遠野は月読にとって橋渡しの役割を担っていた。兄のもとから羽ばたこうとする月読を援助し、弟の消息を知りたい朝日奈に勤務先を教え、それが巡り巡って そよぎ の行動を促している。
登場人物の多くない作品だから最後に遠野が色々な役割を担い過ぎている感もあるけれど、急な新キャラが出てくるより分かりやすい。月読が頼れる人は世の中に そんなに多くないという説明もつく。そして最後に作品上で損な役回りだった遠野に活躍の場面を持たせることで読者の中で悪い方にバランスが傾いていた彼の評価をフラットに戻しているように見える。
最初から複雑な話ではなかったけれど、一人一人の気持ちを丁寧に描くことで誰の心理も分かる良い作品になっている。白黒はっきり つけてしまったり、相手を一方的に糾弾するような若さや青臭さがなく、自分でもズルいと思いながら自分も騙して関係性を継続しようとするところが成人した男女のリアルな心理に思えた。
月読が そよぎ に作った料理はお洒落なものに見えるけど、それが食べられている地域では、日本人にとっての味噌汁に相当するような料理が多いのも良かった。読者に これなら作れるかも、これを作ってみようと思わせる絶妙なバランスだろう。全6巻の どこを切り取っても無駄のない楽しい作品、ごちそうさまでした!
予感していたとはいえ、月読から彼の素性を聞かされ そよぎ は惚けてしまう。湧いてきたのは怒りやショックではなく、月読に もう会えないのかという心配だった。しかし すぐに月読は訪問する。けれど そよぎ の胸に これが最後の夜になるという確信が去来する。
この日のメニューはポトフ。そよぎ の認識上の最初の夜に月読が作ろうとしていた料理。そよぎ は何も言わず いつも通りの夜にしようと努めるし、月読も いつも通り自分は食事をしない。
そよぎ が一口 食べた直後、月読は謝罪する。けど実質的な被害は何もなく、あるのは2人の間に流れた豊かな夜だけ。でも それなら騙しきって欲しかったのも そよぎ の思い。この夜が終わってしまうことに そよぎ は涙を流すが、彼女に触れる資格は月読にはない。
月読との夜が終わり、そよぎ は髪を切る。ジムは司がSNS上で人気になり、体験入会の女性客が増えた。そのSNS人気も後輩が発信に力を入れたから。これは このジムを自分たちで支え、そよぎ がチャンスに対して自由に選択できるように、という後輩たちの心遣いでもあった。これは そよぎ の最終回での決断に影響することだろう。
月読がいなくても夜は必ずやって来る。残業続きの そよぎ を見ていた司は彼女のためにフィンランド料理・ヘルネケイットを作る。料理は月読が作りそうなメニューを司がイメージした。そうすることで月読の不在の隙を狙っている。当て馬として正しい行動だ。月読と同じことをしても そよぎ は司を好きにならない、という証明になっているのも良い。そよぎ は司に事情を話す。司からの連絡も月読は既読無視しているという。好きな人、親友の手を離して月読は どこにいるのだろうか。
そよぎ は月読との嘘の上に築かれた関係は必然的に壊れたと思っている。それを無視して無理矢理 継続する関係は きっと どちらかの/どちらもの 心を壊してしまう。現状では2人が等しく安らかな夜を迎えることは無理だったのだ。


月読は兄に退職願を提出し、家も出ていく。兄が工面した母親の入院費や学費も少しずつ返済するつもり。アサヒナの飼い犬の象徴だったネックレス、自分を演出する指輪を外して、兄から最初にもらったピアスだけを持ち出し月読は自分の人生を歩み始める。兄は行き詰まった時は援助するという言葉を わざとキツい言葉に変換して別れの挨拶とする。
弟の行方は朝日奈でも分からない。そよぎ は引き抜きを正式に断るために取った朝日奈とのアポで それを聞かされる。これで大人組2人が合う理由がなくなるはずだったが、弟の自立に寂しさを浮かび上がらせる朝日奈の表情を見て、そよぎ は彼を食事に誘う。引き抜きの話抜きで、ただ一緒の時間を過ごす。それが寂しさを持ち寄った食事になるとしても朝日奈は断らない。
気持ちが弱っているからか朝日奈は泥酔する。月読への施しは朝日奈の罪滅ぼし。再び離れて暮らそうとする弟の姿が兄には辛い。その朝日奈の心情を そよぎ は性格に理解してくれる。朝日奈が引き抜きの件で結果を出さない月読を黙認していたのも弟への配慮だった。月読は そよぎ の引き抜きを わがまま言って担当させてもらった。その わがまま を朝日奈は許したのだ。大人組は同じ人を失った寂しさを共有する。
月読は遠野(とおの)の紹介でビストロで料理人(仕込み担当)として働いていた。本格的な食の世界で働くことに充実感を覚えている月読。遠野は改めて生活を立て直し、もう月読への依存心は消えているようだ。その証拠のように彼は札幌で新しい仕事をするらしい。遠野は まるで一般的な少女漫画の女性ライバルのように、もう迷惑を掛けないことの証明として作品外に放出される(でも東京に頻繁に出てくる。怪しい…)。
ただ遠野は朝日奈の同期であり、彼に情報をもたらすためのキーパーソンなのだろう。最小限の人数で人間関係に過不足がない。
仕事は充実していたも、精神的には喪失感の方が大きく、今は月読が夜の迷子になっている。その未練に区切りをつけるためにも月読は仕事に邁進する。寒さが到来する頃、月読は お店の開店10周年のコース料理で初めて前菜を任される。これはシェフに賄いの腕を認められたから。相手を喜ばせるという心配りが月読の料理人としての資質のようだ。
月読が勤めるビストロの案内状が そよぎ の勤め先に届く。宛先が自宅マンションではなく勤務先なのは差出人は そよぎ の自宅の住所を知らない、ということなのだろう(差出人の正体は単行本のカバー下で明らかになる)。
そよぎ は店の前で来店した遠野と会話している月読の姿を認める。月読が消えたなら、そよぎ が会いに行く。それが2人の関係なのだ。もしかしたら案内状は月読からのメッセージだと期待していた面もあったが、それが会話で打ち崩された。『1巻』での疎遠期間のように、ビストロの閉店時間まで店の前にいた そよぎ は店員、そして月読に発見されてしまう。
自分の未練が表れた行動に羞恥して そよぎ は逃亡。月読は それを追いかけ 自分に会いに来たのではないかと問う。言い争いをしながら走り続けるが、ヒールの靴を履いていた分 そよぎ が不利で確保されてしまう。それで観念した2人は、真面目だから相手のことを考えすぎて言えなかった一言を告げて素直になる。
月読=料理という観念のある そよぎ の お腹が勝手に空腹を訴え始めたので、そよぎ は月読が現在 暮らすアパートで お夜食を振る舞ってもらう。あり合わせで作る肩肘張らない料理。本来の お夜食が提供されることで、これまでの お洒落メニューの数々は月読の頑張りだったことが証明される。そして今回の お夜食は2人分。初めて月読も食す。今の月読は相手が自分に魅了されてほしいと思っている/思えているから我慢する必要がない。
半年後、2人は そよぎ の部屋で同じ朝を迎えていた。朝食は そよぎ が作る。実は月読は朝が弱いという裏設定があったようだ。まだ同棲をしている訳ではなく、この時点では お互いの部屋を行き来している関係性。夜を超えて、朝が訪れても一緒にいられる、一緒に歩けることが2人の新鮮な幸福になっているようだ。
そよぎ は新店舗(祐天寺)のチーフを任されることになった。彼女に西新宿店の心配をさせないために、司たち後輩も逞しく成長している。そして司は今の月読の部屋に入り浸る生活をしているらしい。司は月読の友人として彼の幸せを祝福できるまでになっていた。そよぎ が司と物理的な距離が出来ることは月読の安心になるだろうか。
最後の料理は豆乳鍋。多人数で食べると美味しさが増す料理である。この夜、月読は そよぎ の異動を知り、これを機に同棲を提案する。司は2人の愛の巣にも入り浸るつもりなのだろうか。おまけ漫画では互いへの愛情ゆえに新居が決まらない2人の様子が描かれる。
