
七尾 美緒(ななお みお)
ペン先にシロップ(ペンさきにシロップ)
第05巻評価:★★(4点)
総合評価:★★(4点)
あたし…いつのまに先生のこと、好きになってたんだろ?「最初からじゃない? っていうか、俺のこと好きにならない方がおかしくない?」「だって冷静に考えて、俺がキミに片想いするハメになったことが変だよね?」「若くてイケメン、頭脳明晰。才能にも恵まれ既に社会的地位も名誉も手にしてる俺を、ブスでメガネで頭も悪い、なんの取り柄もないキミが拒み続けていたことが変だったわけで」…先生ってホントにあたしが好きなんですか?「…疑うの?」だって…「キミのそのめんどくさい性格が好きだ」「いつも貧乏クジばかり引いてしまうところも好きだ」「そのブスな顔も好きだし。…なに着てもオシャレになれない感じも可愛い」「ああ…コンタクトを上手く入れられないからメガネってのにも実は萌えてる」「…キミの好きなところ全部言うためには、一晩どころか一生かかると思うんだけど…聞いてくれる?」
お待たせしました! メガネブスの編集者が、ついにイケメン漫画家に陥落します! シロップ多めの最終巻!!
簡潔完結感想文
- 伊吹は自分の弱さを克服し、菜花の弱さを許容する。それが愛すること。仙川との違い。
- 仙川への気持ちを二次元的な憧れで処理して、三角関係を意味のない遠回りにする徒労感。
- 義父との関係に続いて大急ぎで母親の伏線を処理。せめて最終回の1つ前で処理してよ…。
完璧ヒーローにポンコツヒロイン。それが彼らの愛の形、の 最終5巻。
最後までヒロイン・菜花(なのは)は成長しなかった。これは読者の肩透かしであるものの、作者の計画通りであることが分かる。本書の一つのテーマは「ダメなまま愛される」ことなるからだ。高校生にして非の打ち所がない能力とキャリアを積み上げつつある伊吹(いぶき)が、自分では非合理的だと思いながらも恋をして愛してしまう。そういう ままならない感情を理解することで伊吹は成長した。
普通なら恋愛対象にならない良いところが見つかりづらい女性の、その全てを愛する伊吹の姿は少女漫画の中でも最強の存在と言えるだろう。他作品のヒーローでは ちょっと菜花を好きになるところが想像できない。
てっきりヒロインの菜花が恋愛を通して成長し、最初はダメダメだった仕事もこなしていく物語かと思っていたけれど、仕事の幅を広げたのは恋をした伊吹の方だけ。菜花は最終的に、キャリアを積んで仕事を熟知した漫画家に お情けで担当に拾ってもらっているだけ。なぜ最終回では2年が経過して結果も出していない菜花が編集者でいられるのかは謎だが、菜花が仕事にあぶれないように、伊吹は連載を増やしてまで出版社に利益を与え続けたのかもしれない。出版社は伊吹が生んだ利益で、お荷物社員を1人雇う余裕が生まれたということか。少しも成長してない、仕事の出来ない菜花に読者はイラっとするけれど、伊吹にとってはアバタもエクボ。そこすら好ましく思うことが深い愛の証明になっている。
ただ途中で仙川の指導による成長の予感があったので、最後まで変わらないのは望んでいない結末だ。お荷物だけど幸せです、という結末は あまりにも お花畑な結論で、最後まで菜花は成長できていない証明である。作者は菜花に愛情を注ぎ切れたと言えるだろうか。


もう一人のメインキャラクター・仙川(せんかわ)は全く動かなかった当て馬だった。作中で その理由も用意されているけれど、盛り上がりに欠けたと言わざるを得ない。ただ仙川が少しでも動いたら菜花は あっという間に伊吹を裏切っただろう。そういう人間だ。これ以上、読者に嫌われないためにも仙川は1mmも動いてはいけない存在だったのだろう。
菜花の仙川への想いも雑に処理されていて、それでいいのかと思わざるを得ない。最終巻は構想していた内容を詰め込むことに忙しく余韻がない。
そもそも菜花の伊吹への気持ちも自発的とは言えないもののように思う。自分の過去も性格も欠点も全てを肯定してくれる存在で、自分を救ってくれるから彼に好意を抱いたように見える。菜花に伊吹のどこが好きか聞いたら、漫画の内容に口出しする時のように要領を得ない答えしか返ってこないのではないだろうか。
伊吹という「男ヒロイン」が絶対に不可能だと思われた恋愛を攻略した、という見方は出来るけど、2人の気持ちの温度差があって読者が望む完璧な両想いを感じられない。伊吹と菜花に愛することと愛されることを託している部分もあるから これでいいのだけど、菜花は全肯定してくれる男性に誘導と洗脳されているという疑惑は キチンと晴れない。上述の仙川への気持ちを処理する前に物語上で両想いが成立しているのも読者としては しこりが残る流れで、もう少し整理して提示して欲しかった。これも仙川が自分で白旗を上げ、想いを自己処理するために必要だったのか。
それにしても誰が書いているのか知らないけど、あらすじ の「メガネブス編集者」はデリカシーが無さすぎる。確かに菜花は笑顔も泣き顔も美しくなかったので、作者は狙い通りの画を描けているのかもしれない。一方、男性は美化し過ぎで鼻も顎も尖り過ぎだ。この特徴が出過ぎている男女の顔は これからも続くのだろうか。
そして本書における作家とは変人である。漫画家だけでなく最後に登場した小説家も変人だった。ギャグになる変人ならいいけれど、どの人も自分は悪くないと責任から逃れるだけの存在でしかなかった。
また何が嫌って全体的に伊吹(もしくは仙川)を格好良く描くための作品であること。そのために周囲を性格や能力に難があるように描いている。伊吹以外の漫画家が そうだし、何と言ってもヒロインであるはずの菜花もそう。ヒーローを頂点に立たせるための物語でしかないことが、作品の一番の欠点だと思う。
菜花の重い過去も伊吹の愛の大きさの証明に必要であるだけで、菜花が成長すること、成長を阻害している要因にすらなっていない。全ての少女漫画でトラウマの解消が成長や恋愛解禁の合図になるべきとは思っていないけれど、菜花は向き合うことで成長することなく、許されることで現状に甘んじるだけで終わった。コピーをミスするのと同等の欠点として菜花の大きな罪が語られていることに不快感を覚えた。作者としては当初から考えていた設定だったのかもしれないが、もはや菜花が主人公でない この物語に こんな大きな闇は必要なかった。律儀に伏線回収した結果、最終回で幸福と不幸が入り混じる微妙な読後感を生んでしまっていた。
本書より後の作品では作者の持ち味を堪能できるのだろうか。長編2作目を読むのが今から心配である。
何も出来ない自分を全肯定されることで、「必要(いら)ない」と自己否定を繰り返してきた菜花は救われる。そうしてトラウマが解消されたことで菜花は一気に伊吹との恋愛に傾く。仙川への気持ちにけりをつけないまま、目の前の優しい人に ころっとトキめいている。
菜花は両想いになった伊吹との同居が重荷に感じ、脅迫から逃げる漫画家の尾宅(おたく)が仙川宅で匿われると知り、そこに便乗して伊吹から逃げようとする。賢明イケメンの仙川は菜花に何があったか お見通し。菜花の仙川への気持ちは本人の中で どう処理されているのかが不明のまま、話は進んでいく。
一度、逃げてから誠意を見せようとするヒロインは伊吹の嫉妬の炎に焼かれる。でも菜花の中では浮気や裏切りではなく、ずっと伊吹のことを考えていたらしい。伊吹のアプローチが功を奏したということなのだろうけど、仙川が一時の気の迷いでしかなく、機能していない。この両想いに対して何の感慨も湧かず、疑問だけが残る。
両想いになった伊吹は菜花のトラウマの根源と向き合うことになる。義父である男から受けたDVは菜花の身体に痕を残していた。菜花が義父と暮らしていたのは小学校3年生までで そこからは母方の祖母と同居していた。彼女の精神年齢も この辺りで止まっていると考えられるか。
その傷も伊吹は愛おしく感じ、2人の間に濃密な気配が漂う。しかし『4巻』での未遂と同じく尾宅からの電話が行為を中断させる。その後、伊吹は仙川の家から逃亡した尾宅の滞在を許し、自分は菜花と一緒のベッドで眠る。この時に尾宅が持ってきた小説の作者・榊木 諒(さかき りょう)が菜花の義父であることを伊吹は突き止める。菜花がDVに関して何か秘匿していると察した賢明イケメンの伊吹は、自分で調査を進め、真実に辿り着く。
漫画家の伊吹が小説家の榊木とコンタクトを取る手段として使ったのは対談。覆面作家で表に出ない榊木だが、オファーを受けた。伊吹側の編集者として同行するのは仙川。『4巻』で伊吹が菜花を解任してから、恋人同士になっても仕事上のパートナーには戻っていないらしい。対談の会場に入れるのは伊吹、榊木、仙川の3人だけ。その会場で仙川は自分の実父が目の前にいることに愕然とする。仙川は父親の言葉に感情を乱されそうになるが、伊吹が仙川が委縮する前に対談を始めようとする。2人はターン制を設けて それぞれ質問し、それぞれ返答する形式を採る。
榊木は伊吹が菜花と交際していることを知りながら彼女を侮辱する。そうすることで感情を乱し、それにより彼の支配を試みようとするが、仙川と違って伊吹は その作戦も想定内。逆に、榊木の支配欲は抑圧された人生が裏にあると言いながら、榊木の人生に価値がないと言わんばかりに興味がないと切り捨て、相手の感情を揺さぶる。
最後に伊吹は自分が菜花に惹かれる理由に言及する。虐待を背景とした優しさが菜花の長所らしい。私には読み取れなかったけれど。そして自分に必要なものを分かっている自分と分からなかった榊木と対立構造を提示し、相手の方が劣ると結論を出す。
伊吹が榊木を挑発できるのは、小説家になった彼は支配の対象を見つけ、そこで快楽に耽っていると同じ作家として分かるからだった。こうして伊吹は榊木が脅威ではないと再確認し、そして同時に仙川にトラウマを克服させる。仙川は過去に菜花を守り切れなかったことを ずっと悔やんでいた。自分を卑怯者と認識していた仙川だが、伊吹は それは菜花を守るための手段でもあると仙川が一方的に背負う罪を打ち消す。
どうやら菜花の中でも、漫画のような印象的な出会いをしたから仙川は「漫画のヒーロー」であって、現実の異性ではないようだ。仙川が菜花にヒーローでないと幻滅させることは、実は恋の入り口にもなりかねなかったけれど、仙川が足踏みすることで伊吹は助けられていたとも言えるのだった。伊吹は菜花に今日の出来事を言わないつもり。同時に仙川も菜花に対して身動きを取らないことを決めた。


最終話では伊吹は19歳の医大生になっていた。当初の予定とは違い漫画家も続けているどころか連載を2本抱えている。菜花は売れっ子作家が面倒を見る形で担当についている。仙川は副編集長となっているが、これは仕事に打ち込むことで恋を忘れたらしい。
伊吹の20歳の誕生日に菜花は婚約指輪を受け取る。その際に菜花は自分の罪を告白する。実父は菜花が3歳の頃に母子を置いて離婚。そこから母との日々が始まるが、小学校入学後に母親が再婚し、榊木からのDVが始まる。仙川の家と同じように母親は菜花への虐待を黙認するようになったが、菜花は母親を悲しませたくなくて耐えるしかなかった。そんな時に仙川と出会い勇気を貰うが、やがて母親へのDVが始まり、菜花は母親を守るために榊木に火を点けようとする。しかし母親は苦しみから逃れるばかりか、自分より夫を選んだ。その絶望で落としたマッチが引火し、母親は死亡する。
仙川が自分の無力さから逃げ続けてきたように、菜花は自分の罪から逃げてきた。そして逃避先だった漫画の世界でも上手くいかず、その現実からも逃げてきた。しかし今、生涯を共にしようとする伊吹には全てを話したいと思い、過去を告白した。
けれど伊吹は全て知っていた。榊木との対談も菜花の過去を知ったからこそ提案したのだろう。彼は榊木がマッチを使った対談を提案した時にも思うところがあったのだろう。伊吹が嫌悪するのは、菜花の過去やマイナスではなく、菜花を苦しめた母親や榊木の存在。菜花を過去から断絶させ、自分との将来に視点を移させる。こうして菜花は完全に救われる。伊吹の自発的な愛と菜花の受動的な愛が描かれていた、ということなのだろうか。これも一つの幸せな形なのは分かるけど、少女漫画読者が望む完璧な両想いとは少し形態が違う気がする。
