音 久無(おと ひさむ)
黒伯爵は星を愛でる(くろはくしゃくはほしをめでる)
第10巻評価:★★★☆(7点)
総合評価:★★★☆(7点)
「私は生来 情というものを持ち合わせていなかった」 叛逆の吸血鬼・アーサー、今際の果てに明かされるその本懐とは──? そしてすべてが終わり、穏やかな日々を取り戻すエスターとレオン。幸せの一方で、エスターはとある葛藤を胸に秘めていた…。「あなたはこのスコットランドで父君と過ごしたらいい」 レオンが告げた言葉の意味とは!? あの日の少女は、淑女となって 今宵、伯爵の隣へ── ハーフ吸血鬼(ダンピール)のシンデレラストーリー、第10巻★
簡潔完結感想文
- 事件解決によって新郎新婦の心残りやトラウマが浄化される。完璧な結婚はもうすぐ。
- これまで会ったことのなかった父娘が、嫁入り前の実家同居生活で関係性を構築する。
- クリスがエスターにだけ語るのは、レオンは もうクリスの真意に辿り着いているから?
いつまでも幸せに暮らしましたとさ、の 10巻。
童話でも少女漫画でも結婚式はピリオド。特に少女漫画ならば もう これ以上 当て馬もライバルも登場しませんよ という恋の終戦宣言になる。本書も ある一点を除いては ここで完結しても問題は無い。このハッピーエンドから更に初期設定の数々を活かすのが作者の力量だろう。
他にも凄い手腕だな と感心したのは、事件に巻き込まれた今回のスコットランド編でエスター・レオン双方の両親の問題が解決していること。通常の少女漫画のクライマックスはヒーローの家庭問題に着手し、ヒロインが それを解決に導くことが多い。けれど本書が特殊なのは両家の問題を扱い、そして自分の家の因縁は個人で解決している点だろう。余計な仲介や お節介が無かったのが とても印象的だった。結婚前に2人が それぞれ抱えていた疑惑や わだかまりを解消することが完璧な結婚を演出する。


例えば私が この設定を貰って物語を作るとしたら どうしても、仲違いをしているレオンとクリスの関係の修復にエスターを使ってしまうと思う。ヒーローの家庭問題に土足で踏みにじるのが白泉社ヒロインの礼儀作法だし、そうすることでヒロインは作品最高の聖女になれる。
でも本書は それをしない。レオンは自分の思考と推理によってクリスが両親の事件に関わっていないことを導き出している。同じように父・ギルモア侯爵の危機に際してエスターはレオンに手助けを求めない。これはレオンが投獄されていて不自由だからという状況もあるが、ギルモア侯爵を救ったのは完全にエスターの力によるものだ。2人がそれぞれに自分の中にある葛藤や憎悪を乗り越えている点が彼らの人間的な成長を感じ、一人の人間として自立していた。作者は この凛とした姿を結婚前に描きたかったのではないか。
犯人のアーサーはエスターの母親、レオンの両親を死に追いやった存在。その相手に対して2人が きちんと彼に刃物を突き刺していることが読者のカタルシスに繋がっていると思えた。2人が負わせた傷は吸血鬼にとって致命傷ではなく、アーサーのとどめはギルモアが責任者として実行しているのも良かった。
ここで疑問に残っているのはエスターの母親・メグの死にアーサーが関わっていることにエスターとギルモア侯爵は知っていたかということ。前者は知らない可能性が高いが、後者は思い当たることがあったかもしれない。だから最後は自分の手で彼を断罪したのか。エスターが知らなくても一撃を加えることで復讐を果たしている。暴力や復讐を肯定している訳ではないけど、この一撃があったから それぞれの親は夢の中で笑顔を向けてくれたという面も少なからずあるのではないか。
アーサーの起こした事件の概要、また事件の解決は やや お粗末な部分があると思うけれど、アーサーという存在を使って2人の両親の問題を一気に片付けてしまった手法に やっぱり驚きを隠せない。
また、ここ説明しないんだと思ったのは、クリスがレオンに自分を恨むよう仕向けたことをクリスはレオンに種明かしをしない点。
クリスはエスターの疑問に答える形で自分の行動の真意を話しているが、レオンに話した様子は描かれない。これはレオンはクリスの真意を既に自分で分かっているからなのだろう。両親の事件の首謀者がクリスではないと分かり、レオンがクリスに協力を求めた時点でレオンの中でクリスへの不信感や疑問は残っていないのだろう。この時点で信頼は回復しているのだ。もはや自明のことを わざわざ伝えるのは粋ではないから、クリスはエスターにしか説明しない。
エスターが結婚直前の1か月、父親と暮らして最初で最後の独身中の父との交流をしたからこそ、彼女は父親と心から呼べる人とヴァージンロードを歩くことが出来た。同様にレオンはクリスとの行き違いを解消することで、クリスを吸血鬼の代表者として捉えるのではなく、自分が慕った種族や年齢が違う友人として彼を招待することが出来たのではないか。
初夜を含めた結婚式の一夜を完璧にするためにスコットランド編はあった。繰り返しになるけれど、エスターとレオンを同時に救済していることに驚くばかりだ。
冒頭はアーサーの走馬灯。クリスとギルモアは この世界で一番はじめに生まれた吸血鬼と噂されるほど長く生きている。だが彼らは ある時を境に、人間との共存を巡り袂を分かった。後のギルモアの回想で、クリスは実の妹を人間に殺されながらも、報復を繰り返すのではなく、人間と手を結ぶ道を選んだことが分かる。身内を失った時に絶望や憎悪に呑まれるのではなく、愛を貫くクリスの生き様と経験はレオンの それと真逆だ。レオンが その境地に至るには幼すぎたのだろう。その未成熟を見てとったからこそクリスはレオンに対して憎悪を与えたようだ。
2人のカリスマの分裂でアーサーは思想は無かったがギルモアに付く。聡明なアーサーは早々にギルモアの右腕となる。ギルモアに理想を委ねているようでアーサーは、その後もギルモアがクリスと会っていること、そして あろうことかギルモアが人間に恋をしたことに苛立つ。人にこうして欲しい、こうあって欲しいと願うのは憧れという感情である。
その後アーサーはレオンの両親惨殺で人間と吸血鬼の関係の悪化を狙い、更にエスターの母・メグを死に至らしめた。しかしメグの死がギルモアから生きる気力を失わせていまい、ギルモアの排除を計画する。アーサーがメグの母の命を奪ったという事実は なかなか衝撃的な真相だけど その事実をエスターたちは知らないまま。アルが知ったら刺し違えてもアーサーに復讐したのではないか。
だがエスターの行動もあり計画は破綻。最期はギルモアの手によってアーサーは断罪される。この場面、最後にアーサーの一部がコウモリになり逃げてていくが、これはアーサーの生存フラグか。それともギルモアが殺人ならぬ殺吸血鬼をしたという事実を回避するためなのだろうか。
事件が一段落した後、この数日 気を張って頑張り過ぎたエスターは倒れる(連日、父に血を与えていた影響もある)。この事件の後、エスターとレオンは それぞれ夢に親が出てきたという。親は笑顔を浮かべており、それはエスターたちの過去の遺恨が消失したことを意味する。レオンは過去のトラウマを乗り越え涙を流す。ヒーローのトラウマの解消は完璧な恋愛成就(本書の場合は結婚)に必要不可欠である。
レオンはエスターをデートに連れ出し、そこで考えていたエスターを この地に残すことを提案する。彼女が父親との時間を ゆっくり持てなかったことが心残りだと考え、レオンは結婚式までの ひと月、エスターに父と暮らすことを勧める。エスターは、吸血鬼ハンターの妻になる自分が、吸血鬼の父の生存を望んだことを矛盾だと考えていたが、レオンは それが当然の情だと認めてくれる。
それは嬉しい提案だったが、同時にレオンと ひと月 会えないことを意味していた。だから最後の夜、エスターはレオンの寝室を訪問する。今回は邪魔が入らないが、最高の結婚にするためにレオンが我慢する。エスター側の同意を示す最終確認なのだろう。
続くギルモアの回想で気づいたのは、彼は雨の日に運命の日に出会うということ。そして困っている人を見過ごせない優しい吸血鬼だということ。エスターとの出会いも雨の日で、馬車の立往生を助けた。妻にすると決めたメグと同じようにエスターも抱え上げていた。
ひと月の滞在中、エスターはギルモア侯爵に請われて一家の思い出話を語る。ただギルモアのことを お父さん と呼べないのがエスターの悩み。この交流でギルモアは用意したクッキーをエスターに食べてもらって嬉しそうで笑える(『8巻』の おまけマンガでネタにされた心残りだったことだもんね)。
ちなみにアーサーに唆されたとはいえギルモアの お茶に毒を混入させた実行犯である側近のユアンは罪の意識から自殺しようとするがギルモアに説得されて生きることを選んだ。ユアンも間接的にエスターが救ったと言えよう。


一緒に時間を過ごすことでギルモアはメグが ずっと変わらずに自分を想っていたことを知り、娘に自分たちのことを話す。そして この地でメグが見るはずだった景色をエスターに見せる。その心遣いに触れてエスターは自然とギルモアを お父さんと呼ぶ。父の愛情、母の選択を深く理解し、エスターは嫁に行く準備を整える。
またギルモアの事件の事後処理は、この地でも人間との共存を実現させることだった。以前から考えていたことでもあるし、娘や娘婿が安心して暮らせる社会を作りたいという動機が出来たからかもしれない。
エスターの滞在中、クリスが邸に顔を出す。そこでエスターは、クリスがレオンの両親惨殺事件での関与を否定しなかった意味を質問する。クリスの答えでレオンは苦しみ、信じたい相手を信じられない葛藤の中で生きてきた。
クリスの答えは、そこにあった。クリスは早くからアーサーが首謀者だと睨んでいたが彼に繋がる証拠が見つけられず決め手に欠いていた。犯人が特定できずレオンに良い報告が出来ないクリスは、それならばレオンに逆向きの生きる理由を与えようと考えたのだった。クリスが首謀者かもしれない という可能性を匂わせることで、レオンが自分を恨むように仕向け、その憎しみを生きる理由に変換させようとした。でなければレオンは事件に苦しみ、ユアンのように自死を選ぼうとするかもしれなかった。クリスが その恨みを一身に受けるのは吸血鬼の統制を取れなかった自分に責任があると考えているから。クリスは事件を自分の罪だと本当に思っているのだ。
でもレオンには もう一つ生きる理由があるだろう。それがロンドンの下町で出会った一家との出会い。その中でもエスターを迎えに行くという願望は彼の根幹にあり続けただろう。エスターは生きる意味。何という強大な愛なのだろうか。
最後にエスターはクリスから、女装アルからの結婚祝いとして媚薬を貰う。色気のない妹へのアルからのプレゼントだという。「幸せに」という伝言を貰ったエスターはクリスに「彼」への伝言を託す。やはりエスターはアルの存在に気づいていたのだ。
クリスは帰宅し、アルにエスターからの感謝と達者を願う言葉を伝える。またアルはギルモアからも品を受け取る。それは母親の使っていた品と同じ柄のストール。しかしエスターと違いアルは父親と会うつもりは ないようだ。それはアルの個人的な事情が関連しているようで…。
結婚式当日。挙式は夜から始まる。ウィンターソン家の結婚式が夜なのは、参列者の中に吸血鬼がいるからだろう。ギルモア侯爵に手を引かれエスターはヴァージンロードを進む。結婚式の後、エスターは町に住む小さな子を介してアルから一輪の花を貰う。ツンデレ兄さんが近づけるのは ここが限界らしい。
そして披露宴後、2人は結ばれる。時間的に深夜だからエスターが眠ってしまって またまた詐欺に終わるかと思われたが ちゃんと完遂している。単純なシンデレラストーリーは ここで完結している。