音 久無(おと ひさむ)
黒伯爵は星を愛でる(くろはくしゃくはほしをめでる)
第03巻評価:★★★★(8点)
総合評価:★★★☆(7点)
お邸恒例のクリスマスパーティー!伯爵・レオンの妻として取り仕切る初めてのことに張り切るエスター♪そこへ吸血鬼・クリス様からの手紙が…。「あんな男に奪わせない」とレオンに無理矢理キスをされたエスター!しかもロンドンで偶然クリス様と会ってしまい…!? 2人の距離が縮まる…!?ハーフ吸血鬼のシンデレラストーリー、第3巻!
簡潔完結感想文
- 冒頭の傷を見せない拒絶と嫉妬を隠すキスから巻末は傷を見せる信頼と愛情を表すキスへ。
- 傷を負ったレオンが自宅療養という名の留守番だから出来る男性3人に囲まれるハーレム回?
- いつ最終回を迎えてもいいようエピソードゼロを早くも公開。ここから面白くなるのが凄い。
ラストダンスに続いてラストキスも私に、の 3巻。
『2巻』のラストから続くレオン負傷巻で、1回のヒーロー行動以外 レオンは ずっと病床にいる。そのせいでエスターとの仲が険悪になった後にフォローすることが出来ず、これまでで最長の行き違いが起きる。レオンが不在は本書初で、それが やや飽きてきたテンプレ展開から上手く脱する機会になっているのが良かった。


驚いたのは早くもレオンのトラウマと言える両親の惨殺事件後の幼き日のエスターたち母子との出会いを描いていること。まるで最終回付近のような物語の核心と2人の恋の運命性を描いたエピソードで、まさか こんなに早く披露されるとは思わなかった。これは作者のコメントにある通り、連載が いつまで続くのか(いつ終わっても おかしくない不安定な状況だから?)描きたいことを先に描いて悔いが残らないようにしているのだろうか。
ただし今回 描かれているのは「事件後」。吸血鬼の王・クリスが関与していると疑われる事件そのものは概要しか語られず、犯人や動機の面は不明。このフーダニット・ホワイダニットが本書という長編ミステリの謎として残されている。エスターの双子の兄・アルの謎の行動と その動機など本書には まだまだ語られていない部分があるからこそ、先に語っていい部分が多いのだろう。そういう内容の充実度の高さが私は好きだ。
『3巻』単体で見ても構成が素晴らしく、レオンがトラウマとなっている事件の傷をエスターに見せることを拒否することから始まって、傷を見せるまでを描いている完成度の高さには唸るばかり。更に上述の通り 今回のレオンは負傷による療養中で、肉体的に弱った彼は精神的に追い詰められ、いつもならしないエスターを傷つけてしまう行為をしてしまう。それが2人の距離となり、しかもレオンはエスターを追って弁明することも叶わないという話の自然な流れ方が上手い。
そしてエスターを傷つけたキスが、巻末では2人の相手への好意を感じる行為になっているのも素晴らしい。『2巻』での2人がダンスを踊る一幕のように、1巻分のラストに向かって目標を きっちりと作り、それを しっかりと終える技術力の高さに驚くばかり。私にとって溺愛モノは1話の流れが同じで飽きてしまうものだけど、作者は話にバリエーションを用意してくれているのが嬉しい。エスターがレオンの愛情を信じられる気持ちのグラデーションの付け方も上手くて、物語のどの要素も前進しているという実感を得られる。
そういえば てっきりエスターはレオンが初キスの相手だと思っていたが、既に経験済みなのは、レオンの愚行でエスターが非常に傷つくことを回避しているのだろうか。初めてでなければ良い、というのも乱暴な理論だが、2回目なのでエスター側の傷は少し浅い。これはエスター・レオン双方のためであって、互いに禍根を残さないための前例なのだろう。
そしてラストのキスも、その最初の相手の上書きとレオンのクリスマスの記憶の上書きという2種類の上書きが実行されているのも良い。そしてエスター側は このキスは慣例によって行われたもので、まだまだ愛情を100%捧げていないというキスの完璧度の不足が、今後の本物への期待になることも読者として楽しみが残っている。
これまでは他貴族の邸での交流だったが、今回はレオンの家が主催するクリスマスパーティーという違いがある。レオンが負傷したため その準備にエスターが深く関わることで、このパーティーは夫婦の共同の催しとなっている。エスターが この家の妻として責務を負おうとしているという彼女の態度の違いも丁寧に描かれていて好感が持てる。
こんなに称賛が並ぶ感想文も珍しい。
吸血鬼集団に襲われたレオンは負傷する。彼が無茶をしたことを知りエスターは取り乱す。涙を流すほどの心配は形式上の夫を想う以上の心が見える。
レオンは病床で過ごすこととなり、この家で代々受け継がれている行事であるクリスマスパーティーの準備をエスターが担うことになる。この準備はレオンの母親も担っていたこと。女主人の役目ならば、とエスターは妻としての務めを果たそうとする。レオンはエスターに妻と言われて感無量。ちゃんとエスターは「偽物」の、と言っているんだけどね…。
エスターは彼女持ち前の人柄で使用人たちを まとめあげる。通常の淑女レッスンに加えての業務になるがエスターは楽しみながら こなす。そして怪我をしたレオンの病床を毎日 訪れる。弱っている男を守るのが病気回におけるヒロインの正しい役回りである。
見舞いをしたエスターはレオンに淹れた お茶を彼の服にかけてしまう。そこで彼の着替えをしようとするのだがレオンに拒絶される。どうもレオンはエスターを溺愛しながらも、彼女に入らせない一線を設けている。そこがエスターの不安になる。レオンが自分の理想や強さを固持してエスターを傷つける場面は お約束と言える。一度 落ち込ませてから回復させるのがヒーローの正しい役回りなのだ。
そして この頃のレオンはクリスの登場によって焦っていた。エスターが夢を見る黒髪の王子様が彼なのではないか、という疑惑からクリスの男装エスターへの手紙を勝手に開封し、そして独占欲を爆発させ、エスターにキスをする。身体が弱ると心も弱ってしまうのだろう。
自分の過失に落ち込むレオン。一方 エスターはレオンと距離を置くために、執事の男性のロンドンへのプレゼント選びに同行する。男性との2人旅なんてレオンが聞いたら胃を悪くして吐血しそうなことを平気でするのが白泉社ヒロイン様である。
距離を置いたことでエスターは自分の行動がレオンの評判に関わることを痛感する。だがレオンのキスは「悲しい口づけ」じゃなければ嫌じゃなかった。その自分の気持ちに気づきエスターは赤面する。
このロンドンでエスターはクリスと再会する。今は女性の姿のエスターなのだがクリスは お見通し。それにクリスの傍には双子の兄・アルがいる。色々と事情は筒抜けなのだ。
この時、クリスはアルと同行していたが、今回はアルは女装している。変装してでも妹の様子を見たかったようだ。そしてクリスとエスターの接近に嫉妬するのはアルも同じ。クリスが妹に粉をかけるような発言をすることをアルは許さない。アルは妹が自分と切に会いたいと願っていることを知り、満足する。レオンへの妻発言と同じく、男たちが欲しい言葉を無意識に言っているのがエスターである。
アルが密かに喜びながら退場した後、吸血鬼による事件が起こる。逃走した犯人は まだ近くに居る状況の中でクリスはエスターに吸血鬼ハンターの妻として動くことを促す。その役目を全うしようと思うのもエスターが成長したから。ネガティブな発想に負けず前向きな意思を持つこと、それがエスターの一番の成長なのかもしれない。
吸血鬼を仕留めるのはクリスの仕事だったはずだが、間一髪でヒーローが間に合う。そこでエスターは この前向きさを自分に与えてくれたのはレオンだと実感し、彼の胸に飛び込む。だがレオンの体調と怪我は万全ではなく、すぐに彼は倒れる。ただエスターの家で同然の行動を彼女が気に病まないようにレオンは たまたまなんだからねッ!とツンデレ発言でフォローする。その優しさはエスターは信じられる。
本書で2度目のレオンとクリス、2人のトップの顔を合わせる場面だが彼らの仲は険悪。疑問を顔に浮かべるエスターにレオンの両親が吸血鬼によって殺されたことを教える。
アルはクリスによって仕組まれた再会(未遂)に ご立腹。更にクリスが妹に粉をかけたことも約束が違うと憤る。アルは もう一人のダンピールのである自分がクリスに囲われることでエスターの安全を守ったようだ。ここにもエスターを溺愛する人がいる。最後にアルはクリスの提供する人間の血を嫌々ながら飲んでいることが明かされる。これは何を意味するのか。本書で出色なのはエスター側の事情としてアルを配置したことだろう。


再び高熱で倒れたレオンは悪夢を見る。それは両親が吸血鬼に殺された夜のこと。邸(やしき)に火が放たれる中、レオンは使用人によってロンドンに逃がされる。だが その馬車も吸血鬼に襲撃に遭い、レオンは雪の舞うロンドンの下町で絶望で動けなくなっていた。この間にレオンの髪色が金髪から黒髪に変化している。
そこで出会ったのが幼き日のエスターの兄妹と その母親。彼らに保護されたレオンはジョンと偽名を使い、一家の住む家で世話になる。だが この時のレオンは生きる希望を失っていた。だから裕福とは言えない彼らの食事を分け与えられても拒否し、無力な自分だけが生き残った理由を考え、絶望と罪悪感に呑まれそうになる。涙を見せるレオンを幼いエスターが抱きしめる。その温かさにレオンは救われた。
数週間後、肩に負ったレオンの火傷も傷跡は残るものの良くなってきた。しかしエスターは その傷を心配しつつも見るのが怖い。他人の痛みを自分のものと感じられる心があるのだろう。だからレオンはエスターに傷を見せたくない。この巻の冒頭の着替えの拒否の理由が ここで判明する。
そしてレオンが黒髪になった理由も明かされる。身元を隠すために使用人によって金髪は切られ、その上から黒髪ウィッグを被せられていた。しかし数週間の時間の経過で、黒髪ウィッグから金髪が覗くようになってしまった。その事情を知るのはエスターたちの母・メグだけ。彼女は最初の手当てでウィッグの存在に気づいていた。そればかりかメグは所持品からレオンの出自も分かっていた。メグが貴族の事情に詳しいのは、彼女が出産前は貴族の邸でメイドをしていたから。『1巻』でエスターがメイドに対してレディだと言う認識をしていたように、メイドには一定の身分がある。しかし今の彼女は下町で貧しい暮らしをしている。そこは訳ありだとメグは事情を秘匿する。
時間が経過してもレオンは吸血鬼に対する恐怖が消えない。運動がてら街を歩いても恐怖に呑まれそうになる。その委縮から助けてくれるのが年少の双子だった。
ある メグの帰りが遅くなった夜、雷鳴が轟く。雷が怖いエスターにレオンは一緒に寝ることを提案し、そのベッドの中でエスターはレオンの お嫁さんになることを宣言する。聡明なアルもまたレオンの出自に勘付いているようだが、エスターは無邪気に言う。この夜、穏やかに眠ることが出来たのはエスターだけでなくレオンもだった。レオンにとってエスターだけが安寧に導いてくれる存在なのだ。
その翌日、使用人がレオンの居場所を発見し、彼に伯爵位の継承と家の再建を願う。こうして自分に責務が与えられてレオンは当主としての人生を歩み始める。そして別れ際、別れを拒むエスターにレオンは「きっと君を迎えに来るから」と伝える。それはエスターの記憶の片隅にある黒髪の王子様の約束そのものだった。
その後 レオンは伯爵家を見事に再建させる。しかし一家は行方知れずになり10年が経過した時、下町で花売りをしているエスターの情報を得た。そこでエスターを発見したレオンは一族の決定により しばらく彼女を観察していたが、吸血鬼に怯える彼女の姿を見て、レオンはエスターの前に出ることを決意する。それが1話だ。
エスターは あまりに幼かったのでレオンを覚えていない。その状況にレオンは焦っていたようだが、時間をかけて彼女との関係を築いている。レオンは変わらずにエスターの傍でだけ眠れる。
回想が終わり、レオンは強引なキスを謝罪する。だがエスターもまた、レオンと吸血鬼の因縁を聞いた今、自分の行動がレオンの心を乱すものだと謝罪する。またエスターは拒絶されようと妻としてレオンの面倒を見ることを決意していた。レオンもエスターは もう立派な女性だと認識を改めて初めて彼女に古傷を見せる。今のエスターは傷を恐れるどころか、レオンの胸の痛みが和らぐのなら進んで触る。そういうエスターにレオンは何度も恋に堕ちる。
こうしてレオンは養生の末に怪我を治し、クリスマスパーティーは夫婦で参加することになる。最後にレオンの両親が惨殺されたのはクリスマスだったことが明かされる。レオンが怪我をおしてパーティーを強行しようとしたのは その記憶の上塗りを望んでいるから。
そしてレオンは、エスターの初キスが下町に住む男性だったことを知り、その上書きも試みる。キスを拒絶した冒頭からキスを受け入れる巻末という1巻分の構成が素晴らしい。おそらくエスターに記憶がないのは幼いからと、自分たちの運命性に気づいてしまうと巻末の おまけ漫画のように秒で物語が完結してしまうからだろう。