蒼井 まもる(あおい まもる)
さくらと先生(さくらとせんせい)
第01巻評価:★★★★☆(9点)
総合評価:★★★★(8点)
高校一年生になったさくら。学校までの坂道を自転車で登っていると、とても爽やかで優しそうな先生が追い抜いていった。さくらはその先生の姿がどうしても忘れられなくて……!? 桜舞う坂道で恋をした。先生に片想いラブストーリー、第1巻! 「別冊フレンド」にて大人気連載中!
簡潔完結感想文
- 『1巻』冒頭で坂道を上る男性に目を奪われ、巻末で坂を下る その背中に恋をした。
- 教室に君臨する支配者でもなく、容姿も背の高さも一番でもない、その人に恋をした。
- 立場を代わりたい男子生徒にライバルだと公言出来ないから教育的指導で八つ当たり。
ピンチを救ってくれなくても先生は私のヒーローだ、の 1巻。
ヒロインの さくら が教科担当の藤春(ふじはる)先生を好きだと自覚するまでを描いた『1巻』。私にとって初の作家さんでしたが、『1巻』の丁寧に作られたエピソードの数々や場面の切り取り方、台詞の少ない中で絵で感情を伝える技術が見て取れて私は一気に作者のことが大好きになった。早くも作者さんの作品を追うことが確定しました。
教師モノというジャンルは、掲載誌「別冊フレンド」らしいシチュエーション重視の設定だと納得する部分もあったけれど、掲載誌を調べなければ分からないほど「別冊フレンド」らしくない作品だと思った。本書では特別なことが何も起きない。分かりやすく放課後2人きりになるとか、ピンチを助けてくれたとか。そういうドラマティックなことが ほとんど起きない。
そんな普通の世界観だからこそ、世間の常識が発動しそうな緊張感が ずっと漂っている。読者は2人の様子を温かく見守りながら、いつか2人の特別な関係性が発覚するのではないかという恐怖に震える。愛しさと恐怖の両方向から泣きたいような気持ちになるのが本書の秀逸なところだと思う。
その空気感が素晴らしい。エピソードの一つ一つに説得力があり、ヒロインが10歳年上の先生を好きになってしまうのが よく分かる。そして よくある10代の女性の憧れの対象である年上の男性への気持ちが単純な憧れやアイドル化・神聖化ではなくて恋心に移行していく様子が本当に丁寧に描かれている。
きっと一つでもヒロインが先生に落胆するようなことが一つでも起きたら、10代の女性は この想いに早々に自己消化したかもしれない。でも『1巻』ラストでヒロインが好きという気持ちを確定させるまで、彼女は先生に落胆することはなく、それどころか もっともっと先生のことを好きになる。
それは運命的であるように感じられる一方、実は先生が早い段階でヒロインを気に入っていた証拠でもあるだろう。気持ちが途切れなかったのは偶然の重なりではなく、先生がヒロインのことを記憶し観察し心配し動揺していることをヒロインが感じるからだった。自分が先生の視界に入っている、そう思えたからこそ先生を忘れられない。
中でも先生がヒロインに彼女の有無を答える3話は、今回のタイトルにもしてけれど、自分から彼女がいないことを話すことで藤春先生は さくら に自分を諦めるなと言っているのだろう。彼女に希望を見い出させることで彼女に自分を追わせ続ける。自分から好意を口に出来ない藤春先生の精一杯の さくら の繋ぎ止め方のように見えた。10歳差の年齢差は ないようである。さくら の先生への好意は自発的なもので間違いないが、その維持には先生のテクニックが駆使されている。なかなかズルい大人である。


ここまでのヒロインの気持ちの芽生えと自覚を『1巻』丸々使うという大胆な構成は近年では珍しいものだ。どうしても読者の目を惹くために派手または早めの展開にしてしまいがちだけど、作者は ゆったりと連載を使う。そうすることで好きという感情の説得力が生まれており、読者も登場人物たちの惹かれる様子を見て彼らを応援したい気持ちが生まれる。これは余程、漫画を読ませる技術に自信がなければ出来ないことだろう。編集部が何も起きないに等しい内容を許すのは作者の高い実力を認めているからではないか。
本書は2017年連載開始の作品だけれど、軽く20年~30年ぐらい前の作品だと言われても全く不思議ではない。絵柄もそうだが、作中でスマホは出てくるけどヒロインと先生の間で使われるツールではない。これが彼らの接触を学校内、直接的なものだけに限定していて、他の人を欺いて2人でコソコソ秘密の関係を楽しんでいる、という優越感のある立場から脱却している。また絵と作風がマッチしていて人や周囲の温度が伝わってくるようだった。
そういえば ろびこ さん『僕と君の大切な話』(5巻)で教師モノとは、『学校において「大人の男」という ある意味 特殊な存在と「それに気に入られる私」に憧れがあり』読者の承認欲求を満たすジャンル、という趣旨のことを読んでから、私は教師モノを冷めた目で読むようになった部分が否めない。
けれど本書は その呪縛とも言える言葉から逃れる構成になっていなくもない。まずヒロインが出会った人を教師と認識する前から惹かれているし、そしてクラスを支配する担任ではなく一科目の担当でしかないこと。この2つによって教師モノの成分は薄いと言える。もちろん先生と生徒という関係だからこそ禁断感が生まれるのだけど。
そして藤春先生の造詣が わざとらしくなくていい。藤春先生は15歳である新入生の男子生徒よりも背が低いぐらいの とても標準的な背丈。そして藤春先生は さくら たちの担任教師と同じ年齢だけどルックスは担任教師に軍配が上がる。でも さくら にとっては藤春先生だけが異性となる。この普通の背の高さや、格好いいけど学校中の注目を集めるほどではないという ほどほど加減が素晴らしい。先生は絶対に自分の容姿を武器に感じているようなナルシシストではないところが私は好きだ。
それでも さくら が藤春先生を好きになるのも分かるし、その逆も分かる。またクラスメイトの男子生徒・瀬戸(せと)が さくら を好きになるのも仕方がない。それぐらい誰もが魅力的だし、笑顔が可愛い。中でも瀬戸は良い働きをしている。コマの背景として描かれている瀬戸の姿や彼の視線で彼が何を考えているのか分かるのが良かった。台詞量が少なくても絵で心情を雄弁に語っているのが本書の秀逸な部分だと思う。
藤春先生は教師の中では若い部類に入るが、新入生とは10歳差がある。他の生徒とは若者のノリについていけない部分や慣用句が通じない場面が描かれている。けれど さくら との会話で そういうことはない。それは精神的な温度が似ているからだろう。考えてみると さくら と藤春先生の関係は生徒と教師というよりも、生徒と教師として出会ってしまった(血の繋がらない)兄妹に似ているかもしれない。惹かれてはいけないのに、人としての土台が同じだから惹かれてしまう、そういう近しい間柄の禁忌の方が近いような気がしてきた。
通学初日、期待と不安が ないまぜになった新入生の湊 さくら(みなと さくら)は学校までの長い上り坂を自転車で進んでいた。苦労しながら坂道を登り切ろうとする さくら の横を颯爽と一台の自転車が駆け抜ける。首元のホクロが特徴的な男性の後ろ姿に さくら は見惚れてしまう。


新学期2日目に何気ない会話で友達が出来て、クラスメイトとも交流し始める。その学校生活の中で さくら は すれ違った男性の姿を捜し続ける。その人と再会するのは商業科の さくら たちの簿記の授業。簿記担当が藤春 啓介(ふじはる けいすけ)26歳だった。簿記の教科係の立候補を募った藤春先生に誰も応じないので さくら は挙手をする。藤春先生にフルネームを伝え名前を覚えてもらう。さくら にとっては藤春先生に近づく手段だったが、クラスメイトからは もう1人の教科係の瀬戸(せと)への積極的なアプローチと捉えられる。さくら はクラスで1番背が小さく、瀬戸はクラスで1番背が大きいため凸凹コンビとしてクラスメイトに冷やかされてしまった。
さくら は藤春先生と顔を合わせても彼が初日の すれ違いを覚えていないことに若干の落胆を見せる。しかも藤春先生は さくら の友達の名前はパッと出るのに、さくら の名前は思い出すまで時間がかかる。名前を覚えるのが得意と言っていた藤春先生に覚えてもらっていないことが距離感になる。
ずっと登校時に先生と すれ違わなかったが、さくら が陸上部への入部を決め朝練に参加する初日の朝、さくら は藤春先生と すれ違う。藤春先生は どこかの部の朝練に顧問として参加しているらしく、これまでは時間が合わなかった。そして この時、藤春先生が さくら と すれ違った新学期初日のことを覚えていること、名前を言い淀んだのは名字が出てこなかったからで名前は しっかり彼の中に刻まれていることを知る。こうして さくら の中に芽生えかけてた失望は消失し、あの日の藤春先生の後ろ姿を ずっと忘れない自分に気づく。
雨、または雨予報の日は危険なので自転車に乗れない。それは藤春先生の後ろ姿を見られない。それだけで さくら は悲しい。
藤春先生の担当である簿記は予習復習を完璧にするから得意科目になる。藤春先生の授業では さくら は彼の姿ばかり追ってしまう。そして藤春先生も さくら の様子を見ていてくれる。
さくら が藤春先生の姿を追うように、瀬戸は さくら の姿を追っている。その瀬戸は雨の日に傘がなく、部活帰りに一緒になった彼を駅まで入れてあげる。入れてあげてから相合傘になることに気づく さくら。互いに少し意識しながらも気の置けない同級生同士で会話が盛り上がる。さくら にとっては不満のある雨の日だが、瀬戸にとっては嬉しい一日になったという対比が良い。
駅で別れた後、さくら は母親の迎えの車を待つが、車を待つロータリーで藤春先生を発見する。同級生の瀬戸とは会話が盛り上がるのに、一番 会話したい藤春先生は、話しかけていいのかも分からない生徒と先生という関係で さくら は悩む。それは自分が藤春先生を意識しているからだと さくら は気付き始める。
クラスメイトの男女4人で教室での勉強回、成績優秀な さくら は皆の教師役になるが、それでは さくら の勉強が進まないと専門の藤春先生を呼ぶことにする。彼との接触を望む さくら の前のめりな姿勢を どうやら瀬戸は気づいている。好きな人の好きな人ほど分かってしまうという残酷さが苦い。
藤春先生は他の生徒にも呼ばれていたが何とか接触の機会を望む さくら は その後でもいいから、と藤春先生を教室に呼ぶ。先生が生徒に囲まれたらプライベートな質問をされるのが世の常だが藤春先生のガードは固い。個人情報を言うと拡散されたり厄介な事態になるのは経験済みらしい。彼女の有無も答えてくれない。
帰りがけ、一時 藤春先生と さくら が2人だけの時間が流れる。距離の近さから漂う先生の衣服に染みついたコーヒーの匂い、そして交わされる普通の会話。先生の笑顔を見て胸が締め付けられた さくら は もう一度、彼女問題を掘り返す。すると先生はテストで95点以上を取れば教えるという条件を出す。これは得意教科でも厳しめの設定。結果は94点。さくら は手応えがあったし、そうなるように勉強したはず。でも さくら は質問の回答よりも先生に褒めてもらいたくて満点を目指した。好成績で落ち込む さくら を見て、藤春先生は頭ポンで彼女を励ました後、彼女がいないことを伝える。上述の通り、これは藤春先生が さくら に自分への興味を持ち続けて欲しいという願望に由来する言葉だろう。
藤春先生は確かに自分のことを見てくれている、それが さくら の中の藤春先生への想いを継続させる。
瀬戸は藤春先生にとっての確かな当て馬になる。そして瀬戸も藤春先生をライバルと認定している。だから わざと彼の前で さくら と一緒に帰る約束をしたことを聞かせる。


けれど瀬戸は一押しが足りない。そこが可愛い。約束通り一緒に帰るが瀬戸が忘れ物をしたため さくら は一人になる。そこで さくら は茂みの中に犬を発見し、自転車を置いて犬と接触する。その さくら の自転車を藤春先生が発見し、不審者の目撃情報があることで彼女の身を案じる。藤春先生は自転車の色形だけで その持ち主が分かる。茂みの中にいた さくら を心配し、彼女の手を取り その場から離れる。力強い先生の行動に さくら は手を払い状況を説明しようとする。全ては藤春先生の勇み足。心配と不安で上手く説明できないほど混乱していた。
さくら は自転車だけで持ち主が分かった先生の心を知りたかったが そこに瀬戸が戻ってくる。そして藤春先生は さくら を夜道に置いて行動した瀬戸の軽率さを責める。それは好きならば ちゃんと男として さくら を守れ、という同じ気持ちを持つライバルへの叱咤にも見える。さくら を危険から守るためならライバルも利用する。それが手を出せない藤春先生の彼女の守り方なのだろう。教育的指導をしている振りをして彼女と同じ立場である同級生の瀬戸への嫉妬による八つ当たりにも見える。なかなか大人げないのが藤春先生なのだ。
この日、朝とは違い下り坂で遠くなっていく藤春先生の背中を見て さくら は彼への好意を明確にする。