日高 万里(ひだか ばんり)
ひつじの涙(ひつじのなみだ)
第05巻評価:★★★(6点)
総合評価:★★★(6点)
紫ノ塚学園の一大イベント・文化祭。その出し物のため、圭ともども神崎までカワイイ衣装で登場☆ お祭り騒ぎの中、圭の弟扱いから一歩脱出する神崎だが、一方でその様子をみた凌から目をつけられてしまい——!?
簡潔完結感想文
- 鈍感ヒロイン・圭の中に神崎への特別な感情が芽生え始めていることに神崎は鈍感。
- 凌の仮想敵は諏訪だったが、視野が狭くて見えなかったが本当の敵は目前にいた。
- 諏訪の二度目の来訪。神崎は このまま探偵役で全キャラの秘密を把握しそうな勢い。
表紙は犯人の手配写真、の 5巻。
作中の出番は多くないし、台詞も極端に少ない凌(しのぐ)が ここにきて最重要人物になった。どうりで登場が遅いはずだ。また彼は一種 傲慢な存在と言える。それが圭(けい)に対する意地悪でしか愛情表現が出来ない部分、そして自分の知っている事実を彼女に話さない部分である。ネタバレになるが、今回 凌が所持していることが発覚した諏訪(すわ)の指輪は凌にとって諸刃の剣と言えよう。この指輪を圭が発見しない限り圭は諏訪への想いを持ち続ける。けれど圭が指輪を持ったら彼女は諏訪に会ってしまう。その どちらも凌にとって認めがたい現実だからこそ、凌は圭に現状維持への絶望による、諏訪を忘却する第三の道を取って欲しいのではないか。そして その道が自分に続いていれば尚 良い。
この凌の こじらせた感情を理解する友人で生徒会長の海響(あおと)は、そんな彼に視野が狭いと忠告する。そして今回 実際に凌の視野の狭さが発揮され、凌がアメリカ留学で不在だった1学期、そして2学期に復学してからも存在を認知しなかった神崎(かんざき)が いつの間にかに圭の日常に紛れていることを発見する。


凌は復学した初日から神崎と顔を合わせているのだが、ずっと神崎を透明人間のように扱っていた。凌には圭しか見えておらず、彼女の周囲に神崎がいることを少しも認識していなかった。ちょっと視野を広げれば神崎は圭と同じクラスで しかも たった2人の研修部員。これだけで接点が一番ある男子生徒だと警戒すべきところなのに、凌は圭を自分のテリトリーに入れることばかり考えていて圭のテリトリーのことを考慮していない。凌にとって神崎は気づいた時には増殖しているゴキブリのような存在なのかもしれない。
そして凌の狭すぎる世界を見て、友情とは秘密を共有していくことなのかもしれない。凌は自分の圭に対する秘密を海響(あおと)とは共有している。それは凌にとっても大きすぎる秘密が抱えきれないからだろうか。孤高を貫いているように見える凌だが、ちゃんと見守ってくれている人がいることが優しい。
また圭の兄・彩人(さいと)は記憶を失った諏訪に自分の過去を再インストールしている。それもまた友情の証で、他の誰にも言えないことを知っておいて欲しかったからかもしれない。この彩人の情報はラストで双子の兄・理人(りひと)にも ほとんど与えられる。それは11年以上の時を経て2人の関係が再構築されるということなのかもしれない。
本書はオトナ組にとっては11年前に、もしくは感覚的に11年前壊れてしまったもの、コドモ組にとっては3年前に壊れてしまったものの破壊と再生が描かれているようにも思えた。乱暴にまとめると誰もが16歳前後で抱いていた感情から一歩進むことが本書のテーマなのかもしれない。
オトナ組では11年前に こじらせてしまった彩人と理人の兄弟関係(叔母の死が丁度16歳か)、蝶子(ちょうこ)のコンプレックスと恋心、あの頃から始まった諏訪と鳥花(とりか)の関係。コドモ組では圭や凌は事故による入院と留学で1年間の空白があり、実はコドモ組でもある諏訪は記憶喪失によって12歳頃+3年しか人生の実感がない。そして神崎は作中で16歳の誕生日を迎えたことで物語に大きな役割を果たす準備が整ったのかもしれない。
様々な理由で感情が16歳で固定されてしまった彼らのモラトリアムの終焉、または人生における最優先事項の終了が本書のクライマックスとなるのだろうか。
時間の経過で、神崎は圭に諏訪と会ったことを隠している後ろめたさを乗り越えたようで、以前のような気の置けない関係に戻る。そうなったことが圭は嬉しい。それは いつの間にかに彼女の生活の中に神崎が不可欠な要素になっている、という意味なのだ。
続く文化祭回、圭たちのクラスはコスプレが出来る写真館をする。イベントごと、まして憧れていた高校の大きなイベントに圭のテンションは高めのまま。そして今は神崎への特別な気持ちが芽生えつつある。
その圭の変化を目敏く見つけるのが凌。凌は ずっと圭しか見えていなかったし、圭には自分だけを見て欲しかった。でも今の圭を笑顔にしているのは間違いなく神崎。だから凌は初めて神崎という存在を警戒する。神崎は圭からの弟や猫扱いから脱するが、凌はイトコでありトモダチ。彼が願うような諏訪ポジションには一番 遠い存在。視野が広がって見えてきたものに凌は元気を失くしている。
そして凌は ある真実を知っている。それが圭が探している指輪を自分が所持しているということ。そのことを知っているからこそ、記憶が曖昧で思いつくままに諦め悪く指輪を捜索し続ける圭を見ていると凌は苛立つ。それは圭の諏訪への執着そのものだから。
神崎が視力の良い方の目に ものもらい が出来ていまい姉の厳命で学校を休んでいる日中、諏訪が205号室を訪問する。神崎の在室は彩人を通じて諏訪に連絡が届いており、諏訪も圭に会う可能性が限りなく低い日中だから訪問してきた。
この訪問で神崎は諏訪の連絡先と、圭の一家の家族の事情を聞く。この情報、諏訪は この3年間で彩人から聞いたのだろうけど、関係性を再構築した諏訪が知っているとは思えない部分が大きい。高校時代の彩人ならともかく、大人になった彩人が自分の淡い叔母への恋心や圭に特別優しい理由などプライベートなことを諏訪に再インストールするとは思えない。
また諏訪には兄がいたのだが その兄は諏訪が高3の時に事故で他界している。今の諏訪には欠落した記憶で当時のことを覚えていない。ただ この兄の事故死があったから、3年前の圭の事故で咄嗟に身体が動き、どうしても圭を助けたい動機になっていたのではないかと今の諏訪は自己分析する。


諏訪が諏訪らしい記憶を持っているのは、事故後、自分の書き溜めていた日記を読み返したからである。日記を始めたのは小学校時代からで、中学以降の諏訪の欠落した記憶も、日記の中に保存されていると言える。この外部記憶を読み込んで諏訪は彩人たちと似たような記憶を維持しているのだろう。
そして今の諏訪が圭から見つからないようにしつつ離れないでいるのは、圭のための本を作ることを約束していたという記述があるからだった。今の諏訪が、記憶のない つまり 何の責任も負わない圭との約束を果たそうとしているところに神崎は諏訪が諏訪らしいと感じるのであった。
そんな諏訪とメールの やりとりを するようになって神崎は圭に隠し事をする罪悪感と、圭に身近にある諏訪の存在を隠し通さなければいけない重圧に悩む。このメールの やりとり の中で書名である「ひつじの涙」というワードが初めて出てくる。
一方、圭は指輪を隠した日の記憶が少しずつ鮮明になっていく。そのビジョンにあるのは桜と黒髪。桜は指輪を隠した日の季節と合致している。そして黒髪は圭以外の共犯者の映像といっていいだろう。
神崎は圭が何かを思い出しかけていることを知り情報を整理する。当日の行動は圭が205号室に諏訪を訪ねる。彼が電話応対している間に指輪を持ち出す。その後の記憶は曖昧。印象に残っているのは現場に居合わせた彩人と出血した諏訪、救急車と研修部の部室となっている部屋。
だが205号室にも研修部部室にも指輪はない。思い出せない自分に落ち込みダウナーに突入しそうな圭に対し、神崎は先日 諏訪から聞いた言葉を圭に伝える。圭には その言葉が まるで諏訪からように聞こえて驚くが、彼女にとって大切なのは、言葉そのもの と そして目の前で自分を助けてくれる実存在ではないか。
兄・理人(りひと)の風邪回で、諏訪が語った圭の一家の遍歴が詳細に語られる。それは主に彩人が叔母夫婦の養子になるまでの話。これは『3巻』における二卵性双生児の蝶子と鳥花の話に似ている。世界一近い他人についての共通点と差異。
圭にとって諏訪の存在が大きいが、オトナ組の中では諏訪に負けないぐらい彩人の存在も際立っている。諏訪が天然っぽい器の大きい大人ならば彩人は作者が思う一番 格好いい存在で、かなり気に入った存在なのではないだろうか。
理人は勝手に養子に出ていった彩人に対して理解できないところがあり、コンプレックスとしか言いようがない感情を抱いたようだが、やがて2人は再度 分かり合う。違う存在であっても世界一近い、誰も入り込めない領域がある。
そして この2人の経緯と現在地は蝶子と鳥花の関係の予言になっているのではないか。蝶子は理人と同じように鳥花にコンプレックスを抱いて、諏訪との婚約解消後、鳥花は消えた(かどうかは不明だが)。だけど理人が彩人を再度 理解し同居するようになったように、蝶子もまた鳥花と分かり合える日が来る、というのが この事例を通した予言なのではないだろうか。