日高 万里(ひだか ばんり)
ひつじの涙(ひつじのなみだ)
第01巻評価:★★★(6点)
総合評価:★★★(6点)
高校1年生の圭の目標は、同級生の男子・神崎の部屋に入ること!! 何度断られても諦めない圭には、ある事情があって…。一方、静かな生活を望む神崎は「学園では部活に全員加入」という決まりがあることを知り困惑するが…!?
簡潔完結感想文
- 入学早々、ヒロインがクラスメイトに男子生徒に部屋にあげてもらいたくて猛アタック。
- ヒロインの過去や痛みがテーマなので、ヒーロー側のトラウマは序盤で ほぼ消化される。
- ヒロインは探偵にして犯人。ヒーローは病みヒロインの助手。自作自演の学園探偵 開幕。
彼らが本当に所属している部活は、学園ディテクティ部、の 1巻。
あまり作者の作品と合わないという先入観があったけれど意外にも面白かった。おそらく作者の中で私は一番 好きなのではないかという予感がある。
相変わらず狭い世界の話で、10代女性の周囲を20代の男性が取り囲むという『世界でいちばん大嫌い』と同じような作者好みの設定と、選ばれた人たちによる意識の高い物語に思えた。この作品でも親の存在を上手に排除していて、真の大人は登場しない。作者が描ける最高年齢が20歳代の男女なのかもしれない。そこが作者の創作物の限界であるように思えて、悪い意味で また同じような世界観なのかと辟易した。兄弟・昔からの友人・血縁、新しい出会いのない狭い世界である。
内容は序盤からトラウマ全開の話で、本書の場合 そのトラウマが心身に影響していて話が重い。でも本書の場合、作品世界の狭さが謎を限定していて純粋に深めていくし、その窮屈さはヒロインの息苦しさとして感じられた。
そして内容は激重になりそうで ならない。その要因は本書のキーパーソン・諏訪 駆(すわ かける)という男性にある。作中で不在の彼だが、彼の思想はヒロイン・圭(けい)を通して作品を覆っており、諏訪の明るさや思想、慧眼があるから本書は闇色に染まらない。手は届かない存在だけど そこにある、太陽のような存在に思えた。


圭は心の つかえ になっている指輪紛失事件の前に諏訪と知り合っており、その時に自分の顔を上げる方法を学んだ。だから圭は過去を悔やむばかりでなく現在も行動するパワーを持つ。ただし その諏訪を傷つけたのが圭自身だから悪い方向に進むのだけど…。
それでも全体的に皆 前を向いているし、一歩進もうと もがいている。現に圭の言葉で もう一人の主人公・神崎(かんざき)は救われるし、その逆も然り。どうしても自罰的になってしまう人を他者の言葉が救っている場面が多かったように思う。似たような境遇の人たちが反響し合いダウナーに進むのではなく、似た境遇だからこそ その人の痛みを的確に察知し理解し、そして的確な言葉を伝えている。
連載前から終盤の構想が固まっていることもあって、全体の構成が盤石。作者が好きそうな高校時代を共に過ごした20代の男女のエピソードなど個人回による水増しが後半は目立つ気もするけど、ハイテンションだけでなく、かといって暗くなり過ぎない絶妙な雰囲気が最後まで保たれていて良かった。基本的に高校を舞台にしているため、普通の青春を味わっている感覚もあった。
序盤から読者を引き込む工夫がされており、ヒロインがいきなり男性の部屋に上がり込むことを熱望する謎から始まり、どんどんと物語の核心に迫っていく感覚が味わえて先を読みたくなった。ヒーロー側の問題が序盤に登場するのも少女漫画ではイレギュラーな構成と言える。
そうなるのは本書の問題はヒロイン・圭側にあるから。彼女の抱えている問題も出し惜しみせず、早々に明かせるところまで明かしている。その上で残った謎を主人公の2人が追うというミステリのような内容も良い。本書は基本的に学園探偵が事件の真相を追うという内容になっていて、そこに少女漫画読者(ましてや白泉社)が好きなトラウマが味付けされている印象だった。追う事件とトラウマが連動しているので重めの心理描写も さほど苦にならない。
指輪消失事件の犯人はヒロインの圭だという意外な真相も『1巻』で明かされる。そこで2人が追うのは犯人捜しのフーダニット(Who [has] done it?)ではなく、何が起きたかのホワットダニット(言葉として正しいのかな…?)になる。圭自身が思い出せないことを思い出していき、その過程で彼女は自分の過去やトラウマ、障害を乗り越えることになる。ヒロインが他者の事情に介入していくのではなく、自分の内面に潜っていく感覚が面白かったし、自分の事だからこそ その隔靴掻痒が痛いほど伝わった。
中高一貫の私立高に高校から編入した蓮見 圭(はすみ けい)は、同じ境遇の神崎 京介(かんざき きょうすけ)に猛アタックしていた。その目的は恋愛成就ではなく彼が一人暮らしをするアパートに侵入すること。


神崎が205号室の部屋の住人だと知って圭は飛びつくが、神崎としては開口一番 部屋を見たいと言い出した圭に不信と警戒を抱く。また神崎側の事情として、205号室は元々 彼の姉の住んでいた部屋で、バトンタッチしたため女性の部屋そのもの。神崎は圭に笑われたくないので、拒否している面もあった。
圭が神崎の部屋への侵入したいのは、その部屋に なくした指輪がある可能性があるからだった。だから圭は学力的に少々 無理をして試験をパスして入学を果たした。同じく途中編入組の神崎も個人的理由から地元を離れたくて、この学校を選んだ。高校からの編入は全校生徒数の1割弱である。
部活動への参加が原則の学校で、神崎は競争のない部活を希望する。中学ではバスケットボール部に所属していたが、高校で それを続けることに葛藤があるらしい。圭が神崎のことが気になるのは あの部屋の住人というだけでなく、彼が何かを諦めようと努めていることを鋭敏に感じ取っていたからだった。
一般的な少女漫画ではヒーロー側の事情は最終盤に展開されるが、本書はヒロインである圭に大きな問題と謎があるため、本書ではヒーロー側の諸事情は すぐに明かされる。
神崎は左目の視力が極端に低い。そのため距離感が狂うことがあり、中学3年生の最後の大会のラスト10秒の最後のチャンスで症状が出てしまった。そこで神崎はボールを取り損ねたことが彼の黒歴史となる。だから神崎は その記憶から逃げるように遠方の私立高に進学したのだった。そこで落ち着いた学校生活を送るはずだったのだが、圭やクラスメイトは神崎に構い続ける。それが神崎には鬱陶しかった。
でも自分の苦い思い出に向き合い続ける圭には、神崎の姿勢では前に進めないことが経験的に分かってる。だから圭は目的の他でも神崎と接触し続けるのだろう。
一方、圭の苦い思い出とは、神崎の姉の前の住人である圭の知り合いの大切な指輪をなくしてしまったこと。それを見つけるために圭の人生はある。だから彼女は その部屋と ほど近い この学校を選んだ。
神崎は、圭の言葉と彼女の事情を知って、圭を部屋へあげることを検討し始める。その一歩の前進が圭に充足感を与える。圭の家は神崎の住むアパートから10数メートル離れた お向かいさん。そこに圭の兄・蓮見 理人(はすみ りひと)と、イトコで副担任の天馬 彩人(たかま さいと)の3人で暮らしている。
圭は神崎が競争のない部活を望んでいることを知り、部活動一覧に載っていない とっておきの部活を紹介する。それが「研修部」。ボール拾いや草むしり、生徒会の手伝いなど果てしない雑用をこなす部らしい。本来は部活を退部した生徒を強制的に収容して部活必須を徹底させるためにあるらしい。
神崎はバスケットボールへの未練もあり、部活見学をしようとしたり入部に前向きだったが、中学時代の引退試合の記憶はトラウマとなっており、コートに入ると硬直してしまい、ボールが直撃し脳震盪を起こしてしまう。
そんな彼の状況を知った圭は、自炊している彼を、自分の家に呼び、一緒に食卓を囲むことを提案する。圭が神崎の家に行く前に、神崎が圭の家に訪問することになった。


そこで神崎は圭の家の事情を知っていく。圭が同居する2人の男性は兄とイトコではなく、両方とも兄で、しかも一卵性双生児だった。
この双子の兄の名字が違うこと、圭のイトコとなっている理由は、副担任の次兄・彩人が中学卒業後に父の妹夫婦の養子に入ったからだった。その後、叔母である父の妹が亡くなり、数年後に おじ が再婚。再婚相手には連れ子の凌(しのぐ)がいて圭たちと同じ学校の学年である。その凌の登場は遅い。作品側がタイミングを計り、役割を果たす時期まで登場しない。
食事の席で神崎は いくつかの この家の「地雷」を感知する。1つは諏訪(すわ)という名前、もう1つは圭の食事量。圭は小食というにも限度があるほどの量しか用意されていなかった。しかも圭は諏訪の名前を出した後から心身のバランスを崩し、食後には倒れてしまう。
圭は嘔吐した後で平静を取り戻す。2人の兄たちは自分たちが圭の健康管理が出来ていなかったと反省する。
ここで兄たちは神崎を遠ざけるのではなく、彼に圭から直接 話を聞かせる。もしかしたら食事中の妹の様子を見て、神崎といる時に圭が元気に見えることに希望を見い出したのかもしれない。
神崎は圭から、プレッシャーやストレスで体が食べ物を受けつけなくなることを聞く。拒食症である。圭は兄たちの進学や養子縁組で一人っ子状態になり、両親の共働きのために、心配をかけまいと いい子でいようという意識が強くなった。間もなく圭は倒れてしまい、倒れたことで迷惑を掛けたことがストレスになる悪循環に陥る。
その事実を知って兄たちは妹の負担にならない距離感を保つ。そこからの復活を助けてくれたのが同じ病院に入院していた諏訪 駆(すわ かける)という人間だった。諏訪は兄・彩人の高校時代の同級生。そして圭が探している指輪の持ち主。神崎の姉の前の205号室の住人である。
諏訪は圭に色々な話をしてくれた。その中でも圭の記憶に残ったのは諏訪と彩人が通った高校の思い出。それが今の圭の通う高校である。そして入院した夏休み中は孤独を一層感じるから家に帰りたがらない圭に対し、辛いことの乗り越え方を伝授する。頑張り過ぎてしまう圭に涙を流させて、本音を吐露させることが出来たのは兄たちではなく他人である諏訪だった。
圭が、過去に諏訪に自分の抱える事柄を話せたように神崎にも自分の事情を話せている。この時点で圭にとって神崎は特別だと言えよう。
バスケ中に脳震盪で倒れたこともあり神崎の事情はクラスメイト達に共有される。そして彼らは その事実を大らかに受け入れる。それが神崎の気持ちを軽くする。神崎は、自分が一歩進めたことで圭の重荷を軽くする側に回る。
だから彼女に205号室に入ることを許す。だが それは兄・彩人にとって吉報ではなかった。もし205号室に指輪が無かった場合、圭の体調が悪化することが予想されるからだ。その予想通り、指輪は見つからず、圭は登校するが授業に出なくなてしまう。いよいよ拒食も悪化する。
神崎は ずっと圭の笑顔の中に違和感を覚えていた。それは無理していることの表れ。圭も神崎も相手の心理が読み取れる鋭さと感覚を持っている。それは2人が互いに傷ついた過去があるからだろう。
圭の指輪への執着、そして捜索方法や言動にも違和感があるため、神崎は圭が語っていない事情を彩人に聞く。そこで諏訪の婚約指輪は圭が いたずらで隠したものだと知る。でも圭自身に その記憶は欠落している。しかも その後 諏訪は婚約を解消。圭の指輪の隠匿と無関係のことだが、圭は その2つの事象を結び付けてしまっているという。なぜなら圭は諏訪の婚約を快く思えなかったから。圭は諏訪に恋をしていたのだ。
圭にとって指輪を見つけることは、あの頃にあった幸せを取り戻すこと。それが彼女の償いなのだ。205号室に指輪はなかった。だが それは可能性が一つ潰れただけ。圭が犯した罪ならば、圭自身が思い出せば、指輪の発見は可能だと神崎は教える。誰かの言葉は確実に人の心を軽くする。