斎藤 けん(さいとう けん)
with!!(ウィズ!!)
第04巻評価:★★★★(8点)
総合評価:★★★★(8点)
体育祭を何とか無事に成功させるも、陸に司朗の存在に気付かれ動揺する真砂。そこに黒馬が現れ助けてくれたものの…!? 司朗の四十九日を迎え残された者たちの心境にも変化が。その苦しみながらも前へ進もうとする姿に司朗は…!? アンビリーバブル学園ライフ最終巻!!
簡潔完結感想文
- 空白を抱えていた人生は、その死によって満たされ、だから生への渇望が湧き出す。
- 兄が あの世を越えてくれたならば、妹は この世を越えていく。それがwithという対等。
- 真砂が考える、司朗消失のタイミングは、彼の意志にそぐわないもの。つまりはwith!!
不吉な数字と言われる「4」で終わることも本書に合っている気がする 最終4巻。
最終巻は司朗(しろう)と真砂(まさご)の兄妹が、司朗の「死」を認めるまでを描いているように思えた。これは司朗の霊体が真砂と「with!!」したことで棚上げされていた『1巻』1話の問題を再度 扱っているのではないか。
※ネタバレなので注意して欲しいけれど、最終話で真砂が試みたことは、客観的には自殺という二文字に片付けられるだろう。でも きっと真砂の中では兄と対等な関係でいるために必要な手順だったのではないだろうか。だから意味合い的には自殺というよりも「心中」だろう。ずっと真砂と司朗がwith!!してきたのは、死者である司朗が真砂と同じ世界に存在したから。けれど司朗が消失したのならば、今度は真砂が司朗とwith!!するために世界を合わせなければならない。2人の間に本来あるはずの壁を超越することは1話で司朗が真砂にしてくれたこと。ならば今度は真砂が逆の手順を踏むだけ。社会的に、ましてや少女漫画で認められる価値観であってはいけないが、真砂のしようとしたことは究極の愛の形のようにも思えた。
『1巻』の感想文でも書いたけれど、本書のヒーローは司朗というスタンスを作者は徹底する。そこが良い。真砂にとって司朗だけが命を捧げられる存在なのだ。
だから『4巻』で真砂がキスをした2人の男性(黒馬(くろうま)と陸(くが))は どちらも選ばれない。三角関係を保留したことは少女漫画的には消化不良だけども、画期的な構成のように思えた。
ただし この保留は飽くまでも少女漫画の枠組みにおいての話である。だから物語が終わった未来では どちらかの男性、または全く別の誰かと真砂は恋愛するのだろう。それは司朗の望む真砂の健全な未来でもあるからだ。これからのことは読者が勝手に想像できる。そういう余白が本書にはある。
『4巻』を象徴するのが司朗の「死にたくなかった」という言葉だろう。ともすると司朗が命を懸けて守った真砂への強烈な呪いの言葉に思えるが、もちろん そうではない。司朗は大切な真砂を守ったことを誇りに思っているはずだ。
それでも司朗が この言葉を述べるのは、それが彼が自分の死を受け入れたサインだからだろう。
司朗は真砂の中から見た世界で、鷺沼(さぎぬま)のように司朗が抱えていた虚無を理解してくれる人がいることを発見した。そして自分の虚無を語れる他者として陸がいたことに気づく。自分の死を上手く受け入れられない両親を含め、司朗は自分の死後に初めて自分が見えていなかったものに気づく。彼らとは違う関係性が築ける可能性があり、もっと明るい未来が あったかもしれない。そういう自分の「if」に触れて、司朗は不可逆の生を思い知ったのではないだろうか。
真砂は司朗とwith!!したことで、兄のいた世界を垣間見て、そこに足を踏み入れた。逆に司朗は真砂とwith!!したことで本来は見られないはずの自分の死後の世界を見て、そこに手が届かないことを痛感する。死者は生者の人生に介入してはいけない、そのルールを再確認して、司朗は自分の死を認めたのではないだろうか。
「死にたくなかった」という強烈な言葉は、司朗が人生で初めて抱く強烈な生への渇望の裏返し。そこに到達したことは司朗の絶望であり、そして虚無を抱えていた彼への救済のように思う。
司朗の死は、鷺沼・陸・両親の中で「事実」となる。そうして司朗は周囲の変化から浮かび上がった自分の「死」の輪郭を認めることとなった。
その司朗が吐き出した本音と、自分の中の司朗の存在の消失が真砂に ある行動を起こさせる。
これもまた真砂が司朗の死を本当に認めたからこそ起こる。最後に司朗の死を認めなくてはいけないのは真砂だろう。葬式まで真砂は その死を受け入れられず、自分の生きる意味を失い、死を願った。そんな その真砂を救いたくて司朗が現れ、彼女は作中の誰よりも立ち直ったかのように見えた。けれど それは真砂が司朗の「生存」を認めたからであって、司朗の死を受け入れた訳ではない。
だから保留にされた真砂が司朗の死を受け入れることが、司朗の2回目の死の後に起こるのは当然とも言える。そこで起きるのは絶望と、死の欲求の再発である。
司朗の死の衝撃から人々が順々に救済されていく物語で、最後に救済されるのは、最初に救済された真砂。そういう構成が素晴らしい。
本書が秀逸なのは、そもそも霊体の司朗という存在が本当に居たのか、というところから疑える点である。少女漫画読者は簡単に そういう設定として乗り越えるが(ましてや白泉社だし)、本当にそうか検証する必要がある。
その視点で読み返してみると、司朗しか知り得ないことを真砂が知っているので、おそらく霊体は本当にいるのだろう。でも母親が考えるように、真砂が司朗の死を認めたくないがために、司朗という存在を頭の中に移管しているという読み方も出来なくはない。そして それでも話は通る。魂の同居というwith!!かと思ったら、真砂による二重人格サスペンスだったという読み方も とても面白い。
また最終話前後で本当に司朗は消えたのかどうかも様々な考察が出来るだろう。1つ言えるのは「真砂が考えているよりも、司朗の消失は絶対に遅い」ということだ。
自殺を試みた真砂が学校の屋上で意識を失ったことは、司朗による無言の抵抗。だからいる。いないけど、いる。
もし本当に消えたのなら私が思うタイミングは、真砂が母親に泣かれて ここ=現実で生きていくことを決めた時。だって司朗は1話で真砂が自分の死を願った時に あの世から この世に現れたのだ。誰よりも大事な人を死なせたくない、それが司朗の最大の願い。真砂が大丈夫になることが、司朗の見届けたかったこと。それは最初の成仏するする詐欺である『1巻』の文化祭でも司朗が言っていたこと。そこから延長戦が始まったが、上述の通り、ラスト1話は『1巻』1話の真砂の葛藤を再発させている。だからテーマも1話に戻って、真砂が本当に司朗の死を認めて、自分の足で歩き出したのを見届けることが司朗の成仏ポイントになると考えられる。
そして逆に それ以外のタイミングで司朗は絶対に成仏しない。なぜなら司朗は真砂のために生きてきたのだから。だから真砂に呪いのような言葉をかけて、自分勝手に消失するなんて責任放棄のようなことは絶対にしない。真砂の人生の傍観者になる。それが司朗が出した新しいwith!!の形態なのだろう。
そして上にも書いたけれど、司朗は本書のヒーローである。その司朗が本当に消えたのならば、少女漫画的に真砂は2人の男性 どちらかを選んでいるような気がする。でも彼女は最終回でも どちらも選んでいない。そのことが作品内には司朗が存在する、というメタ的なメッセージのようにも思えた。
司朗は ずっと妹とwith!!している。これが私の希望的観測から導き出した結末である。
四十九日となり司朗の納骨が行われた。その日、自宅に鷺沼が訪問し、彼女は司朗に祈りを捧げる。今日が四十九日だったことは承知のようで、それを数えているぐらい鷺沼の中では司朗の死が鮮明なのだろう。
司朗は鷺沼の自分への好意を、神(じん)と鷺沼の騒動の存在で知る。神は まだ悲しみを吐き出せていない鷺沼のことが心配だったのだけれど、そこに恋心という私情が入ることによって言葉選びを間違えてしまった。黒馬は生徒会のメンバーの雰囲気の悪さを解消しようと真砂(または司朗)に話をした。
その直後、生徒会室にいる鷺沼を見かけ話し掛け、司朗の好きなところを聞いてみると鷺沼は、司朗が楽しい人だかりの場の中心に居て一人ぼっちに見える時があって、彼の心を知りたかった、自分が そう思ったことを伝えたかった、と答える。自分の決して満たされない心を鷺沼が気づいていることに司朗は心を動かされ、思わず司朗として鷺沼に後ろから抱きつく。だが すぐに姿を消し、自分の代わりに鷺沼を慰める役目を神に託す。真砂の身体だから問題は無かったが、もし司朗の身体だったら両想いになっていたかもしれない。そして今の自分では鷺沼の想いを受け止めることが出来ないから神を派遣した。司朗は自分の中に湧き上がる新しい感情を吐き出すことは出来ない。
鷺沼の司朗への告白を阻止していたのは真砂の存在なのは皮肉である。神に自分にとっての司朗という存在を語ることで鷺沼は号泣する。不器用な方法だったけれど、この涙を神は流させたかったのだろう。これで鷺沼が司朗の死を認めたことは、この後、彼女の髪形が変わったことに表れている。そんな彼女の姿を見て、司朗は また鷺沼を格好良く思う。もしかしたら死後に育ち始めた ほのかな好意かもしれない。
真砂は陸の自分に対する態度の変化に気づく。これは体育祭の日に真砂が眠ってしまって、司朗の存在が陸にバレそうになった際に黒馬が介入して彼による交際宣言が飛び出した、という経緯を知らないから。知っていたら今度は黒馬に対する態度が変わっていたはずだ。
それと同様に、司朗と黒馬の男同士の深夜の逢引で黒馬が真砂に対する好意を口にしたことを真砂は知らない。いよいよ無自覚ヒロインである。ただし司朗は黒馬の情熱が足りないと まだ彼との交際を許さない。
司朗が公園での逢引から帰ると、母親が待ち構えていた。彼女は以前から真砂の異変を気に掛けていて、いつもよりも神経が昂っていたのかもしれない。これまではバレなかった僅かな物音を聞き逃さなかったようだ。
深夜に司朗の服を着て散歩する理由を、司朗は眠れなかったからと理由付けをする。それが母親には兄の死を受け止めきれない真砂の姿に見えたようで、母親は娘と一緒に眠ることを提案する。司朗は母親に抱きしめられ、彼女が痩せたこと=心労をかけていることを改めて知り、謝罪の言葉を述べる。
それを母親は真砂の異常だと捉えた。葬式の時まで慟哭していた真砂は、翌日から悲しみを引っ込めていた。そして学校生活を充実させて、兄のような行動を始めた。母親の相談に乗った父親は真砂なりの悲しみの癒やし方だと考えるが、母親は真砂が司朗になり切って彼の不在を自分で埋めているのではないか、と考えていた。確かに本書は全部 真砂の錯乱による精神異常とも読める。兄ならこうする、兄ならこう言う、という考えに支配され、それを実行するために二重人格が生まれる。
時間の経過と共に生者は前へ進む。そこには当然 真砂も含まれる。それなのに司朗が真砂を守り続けることは、彼女の世界を狭める(特に恋愛面)。
これまでとは逆で陸が真砂という不可解な生き物を敬遠するのだが、彼の行動にルールが見えない真砂が彼を追う。けれど その途中でモップに足を引っ掛け転んでからの水浸しというピタゴラスイッチが発動する。そこで近くに住む陸の家で着替えることになり、シャワーを借りる。こうして陸の家に初潜入すると、陸は止めたはずのサッカーのボールを まだ持っていた。その未練と挑戦しようとしない矛盾を司朗は指摘し、彼の勇気の無さを なじるが、陸は その五月蠅い口を自分の口で塞ぐ。意識的には男性同士のキスである…。こうして押し倒される真砂だが、手近な漫画雑誌を鈍器にして彼を殺しにかかる。きっと こういう時のためのスタンガンだったと思うが、本当の緊急時には取り出せない。
陸に対し、真砂になって兄の真意が伝わらないことに怒りを表明し、陸宅を後にする。混乱の中、泣いて帰宅する真砂。その彼女に司朗は身体を借りる許可を得て、もう一度、陸宅に戻り まずは兄として鉄拳制裁を繰り出す。陸の中で真砂が ますます意味不明な人間になっただろう…。
司朗は陸とのサッカー対決を申し込む。2人の実力は互角。しかし真砂の身体の分だけ、司朗は体力が早く尽きる。そして司朗は息も絶え絶え寝ころびながら、サッカーに対して向上心と情熱を持てる陸への羨望を初めて彼に伝える。
その告白を聞いて、陸は今度こそ司朗を追い越すことを誓う。そうして2人の間にあった すれ違いは解消され、司朗は小学校以来、真砂の前で二回目の涙を見せる(真砂の睡眠中には泣いていたが)。
こうして陸との関係を清算できた司朗は、黒馬のもとを訪ね、彼に真砂との恋愛解禁を告げる。司朗は もう邪魔をしない。選択するのは真砂だと、自分が足枷になることを回避しようとする。本当に自分のいない この世界を念頭に置いているのだろう。
そんな真砂に先に交際を申し込んだのは黒馬ではなく陸。だが真砂は陸が惹かれているのは自分ではなく兄であることを見抜いていた。今の陸の中にあるのは司朗とwithしている女性。陸は それが一種の お断りの言葉に聞こえたようだ。
その黒馬は、前日に陸が真砂にキスをしたと司朗から聞いて陸に殴りこんでいた。結果的に黒馬の方が重傷で終わったようだが、黒馬が怒ったのは真砂が大事だから。その気持ちを黒沼は真砂に伝え、真砂はアンビリーバブルな現実に昏倒する。最終回直前に一気にモテモテヒロインに仕立て上げられ、恋愛面が大渋滞を起こしているが、これは真砂の第三の選択ために必要なのだろう。馬も猿も等しく当て馬なのである。
帰宅すると両親が揃っていて、父親が仕事に余裕を持たせ、家族3人での再出発を誓った。以前も書いたが、もしかしたら父親は仕事に逃げていたのかもしれない。陸が怒ったように、鷺沼が泣けなかったように、父親も息子を失った自分が何をすればいいのか分からなかった。だから すべきこととして仕事を選び、どうすればいいか分からない家庭を放置した。けど母親から真砂の異常を聞き、現実=逃れられない息子の死に向き合い始めたのだろう。
両親が司朗の不在を認めたことに、真砂は自分の中の兄の存在を教えようと考えるのだが、司朗が意識の主導権を奪い。両親への感謝を述べる。それは司朗の最初で最後の両親へ向けた言葉で、惜別の意図があったのだろう。
そして司朗は、真砂に「死にたくなかった」という言葉を最後の言葉にする。真砂を庇って事故死した司朗からの この言葉は呪いのように聞こえるが、これは司朗の本音で真砂にしか言えない言葉だろう。死者である司朗の この言葉を受け止めてくれる人がいる、ということが司朗の救いになっているのだ。
真砂は黒馬から告白されて微妙な距離を取る。司朗の影に怯えながら その距離を縮める黒馬に対し、真砂は自分から彼にキスをして好きだと伝えるが、同時に さよなら と別れを告げる。
それは真砂の最後の言葉だった。家に帰った真砂は家を出て、親にメッセージを残して学校の屋上にいた。この動機と感情の流れは上述の通り。
真砂を学校の屋上で発見するのは推理力を働かせた黒馬だった。どうやら真砂はフェンスを越えたところで意識を失ったらしい。それは司朗が主導権を奪ったから。司朗は真砂を守るために存在する。そして黒馬は真砂が この世界を好きになってもらえるように、手始めとして自分が彼女を愛することを誓う。
対面した母親が泣き崩れて娘の無事を確認したのを見て、真砂は兄と同じ位置にはいけないことを、いってはいけないことを痛感する。だから真砂は現実世界で司朗と共に一緒に生きる。真砂が忘れない限り、彼女の中に兄はいる。
1年後、真砂は生徒会長になって3年生となった黒馬たちの代に送辞を送る。
この卒業式の前日、司朗・鷺沼・陸がいた小学校のクラスの同窓会があり、『1巻』で司朗が探せなかったタイムカプセルが開封される。将来の夢を書いた紙は司朗が言っていた通り、白紙。その事実を真砂は初めて知る。
それは司朗にとって夢がない、という苦悩の象徴なのだが、もしかしたら真砂には、司朗には将来がないという予言めいたものに見えてしまったかもしれない。
それでも転びながらも前へ進み続けた真砂は兄がいなくても強くなった。それが自分を大切にしてくれた自慢の兄に誓ったこと。そして兄は真砂の中で、大変な時に いつも立ち上がる勇気をくれる。
「猫とヨーコとオレで家」…
父親がネットで知り合った女子高生が、父親が仕事で海外に行っている間に、自宅に乗り込んできた。こうして中学3年生男子である神宮寺 タケル(じんぐうじ タケル)と女子高校生・加納 蓉子(かのう ようこ)の奇妙な同居生活が始まる。
彼らの事情に巻き込まれるタケルのストレスは ある日、臨界を突破し、実力行使での蓉子の強制退去を画策する。だが そこで蓉子の いじめによる男性恐怖症と母親の交際相手との同居という事情が明かされる。そこで矛を収められないのが中3男子。蓉子は家を出ていくのだが、後から蓉子が本当に切羽詰まって この家を訪れたことを知り、父親が彼女の救いになろうとしていたことが判明する。
おそらくタケルは父親と同じ気持ちの過程を辿って、彼女を家に上げる。いや、もしかしたら父親よりも下心の濃度が高いかもしれない。同居すると不可避の恋に落ちるのが少女漫画なのである。
蓉子視点からすると、彼女は神宮寺父子に同じ血が流れていることを知っただろう。ネット上で安心できた父と同じように、息子の中にも優しさを見い出して、彼女は救われる。でも父子家庭の この家に父親が帰宅したら、そこから1人の女性を巡る父子の壮絶な争いが始まるかもしれない。父親は蓉子の容姿を知っているのだろうか。初めて生身の蓉子を見て、15年間のヤモメ生活に終止符を打とうとしたり しないことを祈る。