こうち 楓(こうち かえで)
LOVE SO LIFE(ラブ ソー ライフ)
第01巻評価:★★☆(5点)
総合評価:★★★☆(7点)
身寄りのない中村詩春(16歳)の、将来の夢は保育士さん! 夢を叶えるため保育園でアルバイト三昧だが、訳あって双子のベビーシッターをすることに。バイト先は爽やかが売りのTVアナウンサー・松永政ニの家だが…!?
簡潔完結感想文
- 読切短編から全17+4巻の大長編。ヒロインと作者の成長を感じられる佳作。
- 「親殺しの白泉社」が発動して悲劇のヒロイン物語の序盤は正直いまいち。
- 序盤は双子や疑似家族がヒロインが過去をやり直す装置のように感じられる。
良い意味で寄り添い、良い意味で突き放す物語の 1巻。
実は早々に読書を諦めてしまおうかと思った作品だった。その理由は後述するが、端的に言えば、全てがヒロインを聖女にするための物語に思えたのだ。彼女の不幸も忍耐も、関わる子供たちも全てはヒロインのための装飾品に思えて、それが下品だとすら思った。
しかし賢明な作者は、連載が長期化していく中で設定は残しつつも、段々とヒロインの立ち位置を変えた。ヒロイン中心の世界観ではなく、世界の中に偶然に出来上がった疑似家族として彼らを扱い、そして とても勇気ある決断をして物語の方向性を変更した。そうして序盤から一転、物語に縦軸が生まれた中盤からは貪るように読み、そして終盤はヒロインの心境が手に取るように分かって彼女と同じ気持ちで感情を開放していた。最後まで読んで本書が多くの人に読まれる理由が分かったし、これからも多くの人に読んで欲しいと思った。素敵な物語を ありがとうございました。
以下の『1巻』部分の感想文には手厳しい言葉が並びますが、中盤以降は作品を悪く言う言葉は減少していくので、未読の方は それを信じて作品を手に取ってみて欲しい。
賛辞に比べて批判的な文章が長くなってしまうけれど、私が当初 苦手意識を覚えた要因を分析したいと思う。
最初から大変 言葉が悪いが、最初は本書の設定全てがヒロインを健気な聖女に見せるアクセサリにしか見えなかった。両親が相次いで亡くなっているから可哀想でしょ? 気難しい赤ちゃんも彼女にだけ懐くなんて心が清らかでしょ? というヒロインを称賛しろと言わんばかりの無言の圧力が苦痛だった。後に作者も反省しているが、子育てに関してもリアリティがなく、おそらく経験者からは どこの異世界の話かと思われていたのではないだろうか。
私が気になった部分が、ヒロインとは逆に親が健在で、子育て経験もない10代の読者にとって、自分を悲劇のヒロインだと陶酔させる魅力的な舞台装置に見えるのも分かる。健気なヒロインに加え、ちょっとした有名人である男性アナウンサー(イケメン)と疑似家族を展開し、自分の存在や孤独が彼らによって肯定される。これほど読者の承認欲求を満たす設定は ない。でも だからこそ安易に不幸を振りかざしているのが嫌になるのだけど。不幸が正義、苦労が人格を整える、みたいな一方的な描き方に思えたのだ。
そもそも冒頭から「親殺しの白泉社(勝手に命名)」が発動して、読切短編の時点でヒロイン・詩春(しはる)の両親、そして双子の母親の計3人の命を奪っている。ヒロインの特殊な環境を際立たせるために そこまでして親世代は邪魔なのかと思うし、作者も読者も幸福でありながら彼らの不幸や特殊な環境に少し憧れるような歪んだ意識が苦手だった。その後も特に序盤は何度も自分たちの不幸を強調するようで、その不幸を背負う者だけが正しいみたいな偏った印象を受けた。
本書の作者も含めデビュー間もない作家さんが このような設定を作ってしまうのは、それが白泉社のスタンダードで、事実 このような設定の作品が読者に好まれ、売れるからなのだろう。売れる定石があるのなら それを使い、その成功例を模倣して また似たような設定が繰り返される。こうして抜け出せない白泉社メソッドが完成していくのだろう。
そして『1巻』収録の4話は どれも読切として発表されたもので、単発だから毎回 一から設定を振り返っており、だからこそヒロインの不幸が何度もクローズアップされる。単行本派からすると それが不幸の強調に見えるのも良くなかった。
ただし上述の通り、本書は やがて陥っていた自己憐憫から脱却していく。その負のループからの解放が作品の価値を上げた。また途中でヒロイン・詩春が形成する疑似家族にも一つの結論を出すし、子供の描き方も どんどん上手くなって、より可愛らしく見える。
本書では不幸なヒロインだけでなく、ヒーロー側にもアナウンサーという花形の職業で特別性を演出している。これは連載当時の2000年代後半では、テレビ離れが加速する2024年現在よりもアナウンサーの注目度が高く、特に男性アナウンサーにも容姿やキャラクタが求められていた時代で大変タイムリーな設定だったのではないか。
またバリバリと仕事をこなす人が私生活ではだらしなく、それを誰かがサポートするのは近年のドラマでも よく見られる設定だ(昨今は男女の役割が逆だったりするが)。表(実社会)では背筋の伸びた人が、自分だけに見せる ちょっと だらしない素顔は自分の特別性を感じられる設定だ。
そういえば保育士(本書はバイト)としてテレビに出ている人と出会い、そこから恋愛に発展するのは2024年にテレビドラマにもなった 蜜野まこと さん『お迎え渋谷くん』のようである。アラサーの松永さんとJKの出会いは同じ枠の前期の岩下慶子さん『リビングの松永さん』である。
本書は設定上 2歳の子供に役者を演じてもらわないといけないのでテレビドラマ化は無理だろうが、2023年にシリーズ完結巻が発売された今なら、アニメ化の話など浮上しないだろうか。まぁ本書の読切短編発表から完結までの間で、白泉社の赤ちゃん枠は時計野はり さん『学園ベビーシッターズ』が担って、それがアニメ化したので現実味は低いか。それに本書を1クール(12話前後)で まとめても感動は薄いだろう。やはり連載の中で現実時間で流れた時間や、全17巻+4巻という長さが感動を増幅させる。
生まれる前に父親を、そして5歳で母親を亡くした中村 詩春(16歳・なかむら しはる)は児童福祉施設で育ち、将来 保育士を目指して放課後は保育所でアルバイト三昧。そんな時に出会ったのが松永 茜と葵(まつなが あかね・あおい)という双子の姉弟。この双子は母親が事故死、そして父親は妻の死を受け入れられず現実逃避から家出をし、双子は扶養者を失った。そこに彼らの保護を名乗り出たのが叔父に当たる松永 政二(まつなが せいじ)であった。現在25歳の彼の職業はTV局のアナウンサーであった。
職業上の不規則な生活に加え、慣れない子育てで疲弊していた松永が、保育所で詩春が双子に好かれている光景を見て彼女を個人的に家庭のベビーシッターとしてスカウトしたことから物語は始まる。
松永の給料を倍 出すという話は、施設を出た後の進路や生活の面から詩春にとっても魅力的。そこで施設の園長の許可を得て、詩春は松永家に出入りすることになる。詩春の雇い主は直接 松永になるのだろうか。それとも松永は詩春が属する施設の方に支払いしているのか。テレビ局員の松永は高給取りという考えなのだろうが、現実的に考えると実子ではない子を育てる松永に扶養に関する優遇は適用されないだろうから、支出が多かったりするのだろうか。実家暮らしに戻ったので家賃が必要なかったり、松永に浪費癖はないから大丈夫なんだろうけれど。
また詩春のバイト代も、放課後から午後10時まで、そして朝も1~2時間ぐらいは面倒を見てもらっているだろうから詩春に相場の倍の給料を出すとなると、なかなかの出費ではないか(1日1万ぐらい飛んでいかないか?)。1話で詩春が双子と一緒にいる時間を作りたいから朝も働くと善意で言っているが、なかなか したたかに稼いでるなぁとか意地悪く思ってしまった。
テレビでは爽やかな印象を与える松永だが、オフモードの彼は廃人。双子の面倒を見るついでに家の環境を整えることで、すさんだ松永の私生活を間接的に助けるのが詩春の役割となる。
詩春は松永家に出入りして初めて この家で暮らす3人の血縁関係を理解する。詩春は松永家の事情に同情しつつも、それでも施設を出る18歳から天涯孤独となる自分との違いを考えずにはいられない。血縁関係のある人がいるだけで詩春にとっては羨望の対象。詩春には もちろん同情するが、作品内の湿度の高い詩春の感情が苦手に感じられた。
彼女は高校では自分の家庭環境を話していない。だから周囲のクラスメイトたちの普通が自分の普通ではないことを何度も痛感する。そして詩春は5歳まで母と暮らしていた記憶があるからこそ、失われたものの大きさを感じてしまう。
また学校のシーンでは松永が人気若手アナウンサーとして雑誌に出ていることを強調し、ヒーローの格を上げる。こうして詩春はメディアの人気者・松永との交流を秘密にするのだが、これは芸能モノと同じく、秘密が この恋愛の価値を高める意味を持つ。本当に本書は色々と設定が あざとい と思う。
詩春が家に出入りするようになってから、雑然とした部屋は片付き、いつも清潔な状態が保たれる。そして詩春は自分を慕う子供たちのために自分の時間を割いて彼らと一緒にいる時間を出来るだけ延ばす。詩春のその欲求は家族を作りたい、家族でありたいという願望も込められていた。そして そんな詩春をしっかりと受け止める松永に家族のような安心感を抱くのだった。
園長は、そんな詩春の心を的確に見抜く。彼女は自分と双子を重ねすぎて距離がない。踏み込み過ぎると それは仕事の範疇を越えることを詩春に忠告する。この忠告はもっともで、詩春は仕事以上に、松永家を通して自分の欠落を埋めようとする節が見られる。
詩春は子供に懐かれるがプロではないので、時には失敗やミスもある。特に双子を1人で見守らなければならないので どうしても不測の事態は起きる。そこを大人として詩春を含めた未成年者3人を守ってくれるのが松永の役割となる。大人げない大人から守ってくれるのだが、どうも詩春のミスまで周囲の圧力によって帳消しにされている気がする。せめて示談までは当人同士で話し合って欲しいところ。
そしてミスをしても それ以上に詩春が松永家にもたらす効果は大きいことを松永は伝えてくれる。自分を必要としてくれる人たちの温かさを感じて詩春は涙し、そんな彼女を慰めようと松永は詩春に手を出しそうになる。恋愛に発展する可能性を残して読切は終わる。これは この続編を読みたくなる正しい戦略である。
2話目から登場するのが、松永の幼なじみ的存在の宮川 健と真菜(みやかわ たける・まな)の兄妹。真菜という同年代の子供がいることで、子供同士の諍いが描かれ、それが詩春の過去の思い出ともリンクしていくという話の構成になっている。
過去の寂しさから、同じく母親を亡くした双子を無条件に信じ、無限の愛を与えようという詩春の聖女っぷりが描かれるが、どうも不幸な者は被害者であるという一方的な描き方が気になる。子供たちの諍いに松永が理由を聞かないのも悪いが、葵が暴力に出たのを怒るのは普通の事だろう。
そして読切では、ベビーシッター部分と詩春の過去回想、そして松永との通い妻的な 半同棲的なドキドキ生活の3要素が必須となっている。恋愛の進展を読みたい読者にも行き届いた構成で人気が出るのも必定だったと言える。
2話目の最後に詩春は松永家の鍵を渡され、いよいよ家族の一員のようになる。5歳から施設育ちの彼女にとって鍵は初めて手にする物。かつて母親から贈られた鏡と同じように、これは彼女の宝物になる。
続いてはクリスマス回なのだが、ここでも詩春の不幸が語られて辟易する。この回も新キャラが登場する。詩春と同級生で、同じ施設で育った、家族であり幼なじみ的な関係の直(なお)という高校生男子。2話目で松永川に健たちを登場させたので、今度は詩春側の世界を広げようという意図なのだろうか。後に三角関係の一角になる直を こんなに早い段階から用意しているのが凄い。虎視眈々と連載化を狙った陣容に思えてならない。
25日に松永家でクリスマスパーティーの開催を約束していた詩春だったが、出発前になって施設の子が熱を出す。詩春を慕う妹的な存在の子に一緒にいて欲しいと せがまれ、詩春はパーティーに行けない。やがて薬が効いて その子の熱が下がった時点で松永家に向かおうとするが、夜10時を過ぎており詩春は園長から外出許可が出ない。詩春は最年長として施設に迷惑はかけられないと思い止まろうとするが、かつて母がクリスマスの夜遅くに帰ってきた安心感を思い出し、双子に会いに行く。双子も松永も迷惑な時間だろうに。
どうでもいいが、2歳児の双子が、松永の「24日 深夜まで仕事」という言葉を、24日のパーティーが不可能と一瞬で理解しているのが ある意味で笑える。24日という日付の概念、深夜や仕事という言葉の意味と、その言葉が意味することを推論できる2歳児は、天才というか むしろ怖い…。
詩春が到着すると双子はまだ起きており(寝かせろよ、松永…)、そこからパーティーが始まる。双子からも松永からもプレゼントを貰い詩春は望外の喜びを得る。しかし松永は この時点で女子高生の詩春に手を出す気満々なのが笑えるし笑えない。本書では年の差や社会的立場ということが あまり本題ではないからなんだろうが、松永の未成年者・高校生に惹かれることへの悩みは深く掘り下げられない。松永は どうしても詩春が好みのタイプなので年齢は気にしないという感じである。
詩春が施設から抜け出したことを松永と一緒に謝罪する場面は1コマで終わり、あまり お咎めがあるようには見えない。詩春も自分の行動で かえって松永に迷惑をかけていることに気づいているが、その反省はなく、全てが美談で語られてしまっている。読切短編部分なので仕方がないが、連載であったならば詩春の松永家でのバイト1週間禁止などの罰が与えられただろうか。
クリスマス回の次は初詣回。詩春は初詣に行きたがる双子を連れ、松永は詩春の心配をして、初めての4人での お出掛け回となる。
この回でも新キャラが登場し、松永の大学の同級生である及川(おいかわ)が登場する。ただし及川は作品に必要か微妙なキャラである。健と役割が被っている部分もあるし、特に後半は長きに亘って登場しなかったような気がする。健の知らない松永の大学時代(主に恋愛関係)を語られる人として配置されたのだろうか。
半分 有名人である松永が顔バレしてしまい、神社は ちょっとした騒ぎになる。詩春や周囲に迷惑がかかると松永は一旦 退避するが、そこで詩春と はぐれてしまう。「家族」の詩春や双子と別れたことで、双方に辛い過去が思い出される。
やがて詩春が男性からナンパされているのを松永がヒーロー的に救出し、いつも通り家族が再集結して、失われた家族ではなく今の疑似家族で仲良く暮らしましたとさ、という終わり方となる。
こうやって何度も詩春の辛い過去の記憶の傷を松永が手当てすることで、やがて詩春が過去を あまり振り返らなくなり、そこに囚われなくなるために必要な展開と、考えられなくもないが、不幸の強調は やっぱり苦手である。