川上 ちひろ(かわかみ ちひろ)
後にも先にもキミだけ(あとにもさきにもキミだけ)
第01巻評価:★★(4点)
総合評価:★★(4点)
新鋭・川上ちひろが描くイマドキ17歳のラブコメ事情。傍若無人な彼氏・速人(はやと)に振り回される主人公・芙美(ふみ)。破綻しそうでハラハラしていたのに、なぜかちょっとずつ進展しているみたいな不思議で痛い恋愛コメディ。
簡潔完結感想文
- 経験豊富な俺様ヒーローがヒロインにベタ惚れの王道展開。だが浮気はする。
- 過激な描写は少ないが、身体を重ねれば全ての問題が解決する快楽第一主義。
- 家に異性を連れ込んでも朝帰りしても旅行しても お姫様抱っこ で万事解決!?
見渡す限り 頭の悪そうな人しか存在しない 1巻。
少女漫画界の2010年前後は空前の「俺様ヒーロー」ブームだったようだ。元々 私には少しも理解できないジャンルだが、八田鮎子さん『オオカミ少女と黒王子』をはじめ、この頃に大ヒットを飛ばした作品は俺様ヒーローであることが多い。
俺様ヒーローが もてはやされた要因は、彼らが非常にキャッチーな存在であるからだと思われる。ネット社会の成熟とともに世の中に新しい情報が溢れ続ける中、たった1話で読者に関心を持ってもらわなければならないことが「俺様」のような極端な性格が好まれたのだろう。
本書も その流れに乗った作品の1つで、当初は読切だった短編が好評につき連載化した。これは作者がデビューから1年ほどで掴んだ大きなチャンスで、連載となったことで一層「俺様感」を強化したため、2話目からのヒーロの言動は一層 過激さを増す。
そして序盤からフルスロットルの「俺様」が生み出したのは、ヒロインと交際中に浮気を繰り返すという前代未聞のヒーロー像なのだろう。これは通常の、ヒロインと出会うまでは不特定多数の女性との交流をしていたヒーローが、ヒロインと出会ったことで彼女以外に眼中がなくなる。これにより分かりやすく この世界で一番 価値のヒロインという構図が生まれ、読者の承認欲求を満たす。
だが本書のヒーロー・有村 速人(ありむら はやと)は違う。ヒロイン・直江 芙美(なおえ ふみ)と交際した後も、自分の都合で他の女性と体の関係を持つ。それが彼の流儀である。
これが俺様戦国時代の少女漫画界の中で、後発で新人の作者が生み出したサバイバル術なのだろう。穏当な作品で この世界で埋もれてしまうぐらいならば、多少の批判に晒されても注目を浴びようと必死に もがく。
いわば少女漫画界の「炎上系作家」を目指したのだろう。
批判も多い本書だが、それだけた作品よりも注目を浴びたのも事実。もし1巻も手に取って貰えなければ、作品としては文字通り 一巻の終わりなのである。
きっと読者が「こんな少女漫画ありえないんだけど!」「浮気する男にヒーローの資格なし!」なんて いくら怒っても、話題になることは読者の裾野が広がることになり、作者や編集側には それほどダメージはないだろう。なので私は浮気に関しては怒らない。これはヒーロー・速人のキャラづくりだと思えば腹が立たない。だが速人は俺様なんかではない、と このジャンルが嫌いな私も違和感を覚える。彼は ただの お子様だ。自分で何の責任も取らず、甘やかされた世界の中で自分勝手に生きるガキである。
私が怒るとすれば、速人という怪物を生み出した作品世界の不快さに対してだ。
そして俺様ヒーローは先天的な欠陥を抱える。それがモラハラとの兼ね合いだ。最初は こんな男に翻弄されてみたいと思う読者たちも、ヒロインが彼に隷属するばかりでは辟易とし始める。
そこで起こるのは男女の力関係の逆転である。最初はヒロインがヒーローに没頭していたのに、いつの間にかヒーローがヒロインと離れがたくなっている、という変化が起こり、それによって女性の地位が上がり、読者はイケメンを精神的に支配する感覚を堪能する。
本書でも ある事件を契機として速人は浮気を止め、一般的な少女漫画の王道展開へと進む。他の漫画に比べれば遅いぐらいの善人化で、速人の これまでの横暴さは罰を受けることなく、この恋愛は真実の愛になっていく。
芙美たちの交際は1話目から始まっているため彼らの出会いは後付けで、しかも一目惚れに近く、読者が気持ちを没入させるような要素はゼロ。告白のドキドキ、初めてのキスの緊張どころか、性行為すら1話と2話の連載の谷間で あっという間に終わっている始末。私の「少女漫画4分類」では間違いなく「Ⅲ類 男女交際型」である。
2000年代初頭の小学館漫画のような過激な性描写はないが、1話につき1回は性行為をしているという点では、その時代と同じぐらい性の扱いが軽いと言える。そして本書における性行為は仲直りの合図である。
どれだけ喧嘩していても身体を許せば心も連動する。本書における喧嘩とは肉体的な距離のみで、彼らは陰湿な言い争いをしない代わりに、言葉を放棄している。ヒーロー・速人の努力といえば芙美の決意を奪い、彼女を流されるままにすることと言えよう。この本能に従う動物的な行動が、本書に知性を全く感じさせない点である。
本書において親は自分たちに都合のいい存在としか描かれていない。
『1巻』のラストでは娘の奔放な生活に芙美の母親が さすがに苦言を呈するのだが、この親子の言い争いでさえも、芙美が家出をし、速人と身体を重ねれば解決したかのような謎の展開を見せる。
この世界は速人の都合の良いように作られている。速人に対して本気で叱責する大人は どこにもいない。それが読者にとって心地いいのかもしれないが、常識の欠落した高校生が自分勝手に生きているだけにしか見えない。
芙美の母親との問題で速人が頭を下げたり、芙美への愛を誓えば印象も変わったのに、俺様感が薄れることを忌避したのか、速人は お姫様抱っこをしただけで無罪放免となる。それで母親が勝手に涙を流し出す意味不明な展開に終わったことは、本書の頭の悪さを端的に表している。ここで作者こそ速人を甘やかす元凶だということが分かったし、もはや何も期待しないと早くも諦念が湧いた。
普通なら、速人のようなモンスターが生まれるのは、少女漫画においては母親の愛情を十分に浴びなかったからという理由付けが多いが、本書の場合、速人には大きな問題がない。速人の母は存命だし、両親との仲も悪くない。通常の少女漫画ヒロインが立ち向かうヒーローのトラウマは用意されていない。
唯一『1巻』には両親が共働きの仕事人間で、速人には関心が薄かったという説明がある。それが速人の心に寂しさを植えつけ、速人が女性を求める理由となる。ただ これも速人にとっては自分の性格や浮気を正当化する理由でしかない。親が悪いから自分は悪くないというのが速人の子供っぽい理論なのである。
愚かな速人は気づいていないだろうが、彼は甘やかされて育っている。両親は彼のために離れの家を建て、バイトをしている様子がないのに指輪を買い、旅行が出来るだけの お金を彼に与えている。お互い自分の部屋をラブホのように使っていることに後ろめたさがないところに、彼らの子供っぽさが よく表れている。速人の格好つけた言葉の端々に幼稚さが見え隠れし、そのことに作者が無自覚な所に本書の知性の低さが透けて見える。
本書にあるのは、ただ「今」という時間だけ。どうやら速人には芙美に出会う前まで荒れていた時期があるようなのだが、これは設定だけで、そこに言及されることもない。刹那的に身体を重ねるだけで、彼らの前から問題は消失する。
偏見たっぷりに言わせて頂くと、北関東あたりのカップルをリアルに描写した作品にしか見えない。速人の部屋のゼブラ柄の布団は、速人っぽいセンスだなぁと思う(ニッコリ)。
そして私史上初の掲載誌「Cheese!」作品なのだが、「Cheese!」って こんなレベルなのかと戸惑うばかり。純愛を卒業してリアルな男女交際の様子を読みたい人たちには本書のような作風が望ましいのだろうか。まるで友人の恋愛相談を受けているかのようなリアリティがあるのか。
「Sho-Comi」よりも高い年齢層を狙っているのに、下手をすれば「Sho-Comi」よりも頭が悪そうな登場人物たちには頭を抱えてしまう。浮気や性行為の多さが上の年齢層のための作品だと感じられるが、最終的に「Sho-Comi」と同じレベルで お花畑いっぱいのハッピーエンドを迎えて頭が混乱した。
敏腕編集者のお陰なのか こういう作品が売れてしまうのが小学館だなぁ と思う。私の小学館への苦手意識が再燃した、炎上系問題作だった。
交際して2か月の芙美と速人。速人は芙美の前でも他の女性とイチャつくタイプで、夏祭りでも芙美だけ浴衣を褒めてくれない。
そのことに落ち込んだ芙美は速人と はぐれてしまい酔客に絡まれる。そこに登場する速人。芙美は速人に対して当てつけのような言葉を吐くが、キスをされると それだけで彼を許してしまう。描かれていないが、1話の後に芙美は初めて速人と身体を重ねる。彼らにとって他の男女は自分の欲望を燃え上がらせる燃料なんだろう。
1話では、速人に少々 横暴な所はあるけれど、至って普通な少女漫画である。速人も芙美の嫉妬心を煽るような行動をしているが、実は彼女のことになると素直になれないだけ。ちゃんと速人の行動の裏に愛情が見える。この塩梅が読者に支持されたのではなかったのか。
…が、交際半年になろうという2話からは速人のキャラがモンスター化する。そして この時には2人は既に肉体関係がある。事も無げに性行為をするのは さすが読者の年齢層が高い漫画誌といったところか。
速人は元カノが出席する中学の同窓会に向かう。そこで芙美は速人に内緒で同窓会会場であるカラオケに潜入中(どうして場所を知っているかなどの説明はない)。
だが速人が元カノらしき綺麗な女性と歓談しているのを目撃し、居た堪れなくなってカラオケを脱出。芙美は自分が いつか捨てられるんじゃないかと常に不安。だが速人は元カノよりも自分を選んで、追ってきてくれた。キスをすれば問題が氷解するのは1話と同様。
そして速人は同窓会の最中、落ち着かない様子。これは芙美が気になるからだろう。自分の好きなこと以外は出掛けるのも億劫なタイプの速人が同窓会に出席したのは芙美の反応を見るため。なかなか面倒くさい性格をしているが、芙美が いちいち反応するから止められないのだろう。
仲直りした2人の様子を見て腹を立てたのは元カノ。
ここから速人に猛烈にアプローチを試み、速人は それに応える。3話で初めて浮気描写がある。これは芙美が風邪を引いて速人の相手をしてあげられない時期だったから、寂しくて誘いに乗った。相手にとって自分が最優先じゃないから自棄を起こす速人の幼稚性がよく表れた浮気である。
そして芙美も速人の浮気を察知したけれど、速人に誘われるまま身体を重ねてしまう。結局、目の前のことしか考えられないカップルなのだろう。ちなみに この回は芙美の部屋での情事なのだが、芙美の家も基本 誰もいないという設定で、彼らは自室で いつも盛っている。
芙美は速人が旅行を計画していることを知り、その話には乗るが、浮気をした速人とは距離を置いて旅をすることを決める。これは彼女なりの反抗なのだろう。だが既に浮気後に身体を許しているので芙美の側に説得力が欠如している。芙美は旅行先で不機嫌を隠さず、速人と会話すらしないが、今回は人と一緒に居て不機嫌な態度を取る芙美が子供っぽく見える。速人と離れるという選択肢が持てないから中途半端な行動をしていて応援できない。ちなみに旅行に関しても親の介入はゼロである。
速人は この旅行で、芙美への誕生日プレゼントの指輪を用意していた。その指輪を左手の薬指にはめ、生まれてきてくれて ありがとう、と芙美に感謝する。こうして芙美は一瞬で陥落して、身体を重ねる。
速人の友人から見ると、速人は芙美に人生初のベタ惚れだという。本気があるから浮気であって、最終的に自分に一番 優しいから芙美は速人を受け入れてしまう。子供っぽい速人が旅行中の芙美の失礼な態度で腹を立てないのは、自分のプレゼントで芙美が落ちるのが分かっているからではないか。どうせ手玉に取って、性行為をするのだから速人に取っては目的達成なのだろう。ここで本気で芙美が性行為を拒絶したら、速人は本当に手が付けられないほど暴れたに違いない。速人はイージーな人生を生きている。だからこそ深みがない。
元の鞘に収まった2人だったが、この旅行の帰りに、芙美に声をかける1人の男性が現れる。その男性が芙美と親しげな様子に速人が顔色をなくす。その男性は芙美の兄なのだが(もはや作品の後半では存在しない)、芙美は兄を元カレだと偽る。
速人は芙美に元カレがいないという証言を聞いていながらも、疑心暗鬼。そして芙美が旅行先で渡した指輪をしていないことも不機嫌に拍車をかける。
こうして自分の思い通りにならないと癇癪を起こすのが お子様ヒーロー。だが指輪問題は、芙美が学校内では指輪をネックレスに通していただけだった。その事実に速人は安堵し、その緊張からの解放で、普段なら話さないような自分の不安を芙美に話す。そんな速人の態度に、芙美は猛獣を手懐けた達成感を覚え、嘘を不必要に継続してしまう。
4話目で2人の初めての出会いが語られるが、ただの一目惚れで大したエピソードが弱い。芙美の方はそれでいいが、速人の方の 芙美と他の女性の違いについては全く分からない。身体の相性という面もあるだろうが、それがなかった1話の段階から綺麗なマネージャーよりも芙美を選んでいる。本書で大事なのは過程ではなく、現在の設定なのだろう。
芙美が嘘をついたまま迎えるバレンタイン回。
速人と兄に手の込んだケーキを作った芙美。当日、速人からホテルに誘われるが、兄にケーキを渡すため芙美は彼の部活終わりまでに兄の家にケーキを渡しに行く。だが その様子を速人に見られる。ここで疑問なのが、速人が学校から駅に向かう道中に芙美の兄が1人暮らしするアパートがあること。母と兄妹の3人で構成する一軒家に住む母子家庭の兄に、家を出て近隣のアパートに住む理由が全く見当たらない。話が ご都合主義で設定が浅い。
この回でも速人は芙美と元カレ(兄)を目撃し衝撃を受ける。これが自分の浮気の因果応報だと落ち込んだのは一瞬で、逆切れするところが速人の精神的未熟さである。
芙美の指輪のついたネックレスを掴み、「首ごと引きちぎってやろーか?」と言いながら腕に力を籠める。浮気なんかよりも、こういうDV気質がヤバい。だが芙美は そんな速人の様子を見て恐怖を覚えるのではなく、自分の嘘を反省する。彼女は自分で言うように「バカ」なのかもしれない。逆切れする彼氏に、自己評価の低い彼女。割れ鍋に綴じ蓋とは彼らのような関係を言うのだろうか。
その現場に芙美の忘れ物を届けに来た兄が現れ、殺人未遂騒動は収束する。兄に速人から首を絞められる場面を見られた芙美が、そんなことより大事なのは手作りケーキが崩壊したことらしい。意味不明だ。
こうした暴力行為も身体を重ねると忘れてしまう2人。小学館らしく「セイアイ至上主義」といったところか(©水波風南『レンアイ至上主義』)。芙美も速人が力を入れてなかったからセーフという謎の判定を下す。
速人は浮気のことも風邪を引いて自分を遠ざけた芙美のせいにして生きる。誰かが悪いと他者に責任を押し付けて生きているのが速人という小さな男なのだろう。そりゃ裸の俺様でいられるはずだ…。
だが芙美は速人に構わないと浮気される、という体験を植え付けられ、いつでも彼の言う通りにする支配関係が成立してしまった。
芙美には自分がされて嫌なことを許さないが、その経験を経ても自分は芙美の嫌なこと=浮気を繰り返すダブルスタンダード。速人の「俺様」は ただの虚勢である。人の痛みが分からない人に愛を語る資格はない。
5話で芙美の母親が初めて恋愛に介入する。母子家庭の芙美の家で、母が忙しい間に、娘は恋愛に染まっていた。母は まともな人との交際を望むが、芙美は速人のことを悪く言う母親が信じられない。けなすなら あたしのことだけ けなして、というが、その足で速人の家に向かう。こうして自他の評判を地の底に落としていることを愚かな芙美は気づかないのだろう。ここまで恋愛脳が進行しているとは思わなかった。
翌朝、速人は芙美の家に一緒に出向く。前日に性行為を致しているので2人は無敵である。速人は母に頭を下げるでもなく、母から提案されたお姫様抱っこをしたら、彼女が勝手に亡き夫を思い出して交際が認められる。母の提案の意味も分からないし、亡き夫のことを思い出したのなら、一層 自分が娘を見守らないと、と思うはずだが、なぜか自己完結する。
こうして2人の奔放な生活は続く。子供の王様は その狭い世界でワガママ放題である。
「彼は天敵」…
学校で後ろの席の泰心(たいしん)にイジられる杏奈(あんな)。教育実習の先生に惹かれながらも、泰心からの過剰な接触も拒否できない…。
この話でもヒーローがヒロインに「…首 細ぇなー 片手で簡単に へし折れそう」と言っているが、作者は女性の首を男性が掴むことにフェチズムでも覚えているのだろうか。男性側の支配欲の象徴なのだろうか。そして それを全力では拒絶しない女性は、この時点で恋に落ちている。この印象的な首の場面があるから、最後に「息の根を止められるのも 悪くない」という話になるのか。
嫉妬深さが愛情の証という倒錯した関係性が作者の売りなのだろうか。