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雑菌だらけの この世の中にある、共助と幸福について。『雪と珊瑚と』

雪と珊瑚と (角川文庫)

雪と珊瑚と (角川文庫)

21歳シングルマザー珊瑚の、ハートウォーミング・ビルドゥングストーリー。
珊瑚21歳、シングルマザー。追い詰められた状況で一人の女性と出逢い、滋味ある言葉、温かいスープに生きる力が息を吹きかえしてゆき、心にも体にもやさしい、惣菜カフェをオープンさせることになるが…。

頭にあるのは圧倒的な「個」もしくは「孤」。

主人公の珊瑚(さんご)は現在21歳。20歳の時に結婚して1年余りで離婚。
その間に出産しており、娘の雪(ゆき)は生後7か月余りで、この頃は離乳食を始めている。

現在、シングルマザーで職も収入もない珊瑚。
預金の底も見え始め、働きたいが、働き口を探すにも、まず娘を どこかに預けなければならない。
しかし保育園など行政による公助には『杓子定規な「店員数」や「規定」を盾に冷たく門前払いされ続け』た。

当初、珊瑚は家族や社会や組織、何にも繋がっていない。
確かな繋がりは自分が生んだ娘・雪だけである。

そんな時、近所の散歩道で目に入ったのは「赤ちゃん、お預かりします」という一軒家の貼り紙。
背に腹は代えられない珊瑚は いくぶん警戒しながらも、その家の呼び鈴を押す…。


が少し進んで、珊瑚の周囲の人々や環境が段々と見えてきても、
そこにあるのは「個」ばかりであった。

例えば、雪を出産する時、珊瑚は出産費用を生活費に回すため、
当時、助産師の専門学校に通っていた同じアパートの住人・那美(なみ)に出産を頼んだ。

「赤ちゃん、お預かりします。」という貼り紙のあった家に独りで暮らす家主 くらら も資格はない。
彼女にとって この手の仕事は初めてらしい。

だが、社会全体から拒絶されたような珊瑚の心には、くらら の書いた貼り紙が、
「まるで体に欠けていた栄養素のようにすうっと入って」くるのだった。

珊瑚の娘・雪は その誕生から無資格の人間によって取り上げられ、
新米の母との半年の生活の後は、また無資格の素人と日中を過ごすことになる。

ちなみに珊瑚は国民健康保険に未だ加入していない。

まるで あらゆる社会制度から見放されたような珊瑚 母娘。
そんな中、珊瑚に力を添えてくれるのは個人だった。

本書は公助ではなく、共助を強く感じさせる物語だ。


が感想文を書くにあたって考えたのは、天災と復興だった。
本書の単行本は2012年4月に刊行された。
日本では、その1年前の3月には大きな災害があった。
なので、梨木さん流の復興の物語なのではないか、と思って読み解いた。

…が、調べてみると雑誌連載の開始はその前年らしいので、梨木さんが震災を念頭に置いているわけではないみたいだ。

だが、くらら が過去の海外の地震での活動や見聞を語る場面は印象的だ。

「どんな絶望的な状況からでも、人には潜在的に復興しようと立ち上がる力がある。
 その試みは、いつか、必ずなされる。」

また、出産前まで珊瑚がアルバイトしていたパン屋の閉店と店主たちの移住も、
震災の影響や避難と考えることも出来る。

災害(離婚)が珊瑚から安定を奪い、それならば自力での自分の生活を再建を試みる物語と読めなくはない。

また、最終盤で主人公に送り届けられる悪意のこもった手紙は、
被災者へ向けられる悪意に近しいものを感じる。

相手が被災者や社会的弱者、不幸な境遇の人であっても、
悪意を向けてくる人は一定数いることは日本国民の悲しい側面ということは幾つかの例がある。

頑なだった珊瑚の心が、未曽有の危機に際して、
共助を受け入れる心の在り方を学び、やがて公助の力を借りて心の復興が成される話とも読める。


変わらず、梨木作品を読むと背筋が伸びる。
生きることに誠実になろう、
少なくとも ちゃんと食べようと決意するような作品だ。

少し時間が経過し、娘の雪がつかまり立ち、ひとり立ち を出来るようになる頃、
珊瑚は閉店するアルバイト先のパン屋の次は自分で店を開こうと未来を開拓することになる。
娘と共に親もまた同じように成長していく。

若い女性が食事を提供する店を開く小説、といえば、
以前読んだ『食堂かたつむり』が まず浮かぶ。

確かに外殻は とても似ている。
ただ、梨木さんが同じ物語を書くはずがない(贔屓目かもしれないが)。

私が その作品を快く思っていない部分も大きいが、
私には本書全体が『食堂かたつむり』への反駁に勝手に思えた。
(梨木さんが読んでない可能性の方が高いが…)

どちらの作品でも確執のある母親がいるのだが、
その対峙の仕方や、お金の工面の方法などの面において本書の方が誠実である。

他にも、くらら を中心として語られる挿話や、そこに含まれる精神性など栄養素の種類が違う。


書には確かに、あらすじに ある通り「ハートウォーミング・ビルドゥングストーリー」の部分がある。
だが、この2つの単語は別々に考えた方がいいだろう。

娘の雪の成長、温かい周囲の人々の差さえなどが「ハートウォーミング」の部分。
そして、店を開くという目標に向かって数字と格闘したり、
他者に恃(たの)む部分を自分の中の持てるように意識が変わる部分が「ビルドゥングストーリー」に該当する。


しかし本書の最も大事な部分は、お店づくり や順調に伸びる客足などではない。

一見、経営者としても親としての私生活も順風満帆に見えるのとは裏腹に、
ラスト40ページ辺りから立て続けに珊瑚の胸に広がる染みこそが本書の本旨だと思う。

ある夜、疲れ果てた珊瑚が雪に対して取った行動。
それは珊瑚の母が珊瑚に行った何千分の一の行為であるが、
ただ確かに同じ方向性を持つ自己中心的な扱いを娘にしてしまった。

珊瑚は、21歳のシングルマザーという世間一般の、少なくとも私が思う人物像とは かなり違う。
彼女が発する話は論理的で理知的で、精神的にも強くあろうとしている。

これまで雪の誕生前後から起こる幾つかの危機を「共助」によって助けられてきた珊瑚。

しかし「共助」に寄りかからず、今度は自分個人で向き合うと決めた問題で、
限界を超えた彼女は、そこに自分の本質を見てしまった。

これこそ、反りの合わない美知恵が、わざわざ手紙にしてまで指摘する珊瑚の「ほんとうの自分」かもしれない。

そこから更に速度を上げて、珊瑚の心の掘削は続く。
ずっと引っ掛かっていた恩人の言葉、自分を捨てた母への向き合い方、
自分ひとりで決めてここまでやってきたという驕りも捨てて、彼女は自分の正体と本心を認める。

この後で珊瑚が倒れたのは、かつて発熱した雪と同じように、
珊瑚が「一生懸命、雑菌だらけのこの世の中に適応しようとしている」からではないか。

そして「体にこの危機を乗り越える経験」が、人を昨日より強くし、新しい明日をもたらすのだろう。


書では雪の成長、自立や歩行は、珊瑚の それと呼応しているのかな。

と考えると、終盤の雪の夜泣きは珊瑚の心の叫びでもあったのか。

お店の拡大や母との対面など珊瑚の休まらない精神が雪に感応したのかもしれない。
雪は泣き続けることで、限界を迎える母に警告を出していたのか。


そして冒頭の雪が月齢7か月で、離乳食を始めた頃というのも大事な要素だろう。
彼女は「食べること」を始めたのだ。

食べることで結ばれた人と人の絆。
雪の離乳食の開始はその始まりであった。


私としては雪がラストで発する幸福な言葉よりも、
その言葉を発する雪を珊瑚が見て、

「なんてかわいいのだろう。世界中にこんなに可愛い子がほかにいるだろうか」

という言葉に、涙腺が刺激されます。

これは真面目な子育て、母を反面教師とした固定観念の母性から解き放たれた、
珊瑚だけの、珊瑚から生まれた嘘偽りのない言葉だ。

その宝石のような言葉こそが、幸せの形ではないだろうか。


梨木 香歩なしき かほ  雪と珊瑚とゆき  さんご    読了日:2020年12月24日