- 作者:飛鳥井 千砂
- 発売日: 2010/10/06
- メディア: 文庫
「そうなんだよ。面倒なんだよ。教師って」
なんとなく高校の社会科教師になってしまった桐原。行動原理はすべて「面倒くさい」。適当に教師生活を送ろうとするものの、なぜか周囲の人間たちが彼に面倒ごとを持ちこんでくる。酔うと“女モード”に変身する友人、素行不良の生徒に、一方的な好意を寄せてくる生徒、神経質すぎる同僚の教師に、ヘンな格好をした隣人……。小説すばる新人賞作家が描く、誰よりも“教師らしくない”青年の、誰よりも“センセイ”な日々。笑って泣ける新しい青春小説の誕生!
主人公は社会科教師・桐原 一哉(きりはら いちや)。男性、年齢は26歳。
彼は何事においても「直接」がない男である。
例えば彼には教師になる前には2年間、
地元の埼玉で塾講師をしていたという職歴がある。
教員免許は持っていたが、新卒で直接 教師を志望したわけではなかった。
2年間の塾講師生活の後、全国各地の教員採用試験を受け、名古屋で受かったため、
その地の私立高校で教師となり 勤務2年目である。
教師としての仕事は副担任で、
一歳年下の先輩教師・永野(ながの)のサポート役。
部活動の割り当ても副顧問で、顧問の永野に比べ真面目さが足りない。
名古屋で飲みに出掛ける間柄の友人・中川(なかがわ・女性)は、
同じ高校の同級生だが、在学中は直接の面識がなく、
名古屋に赴任することになってから友人に紹介してもらった。
更には居住地の住所も勤務先の名古屋市内ではなく、市にはギリギリで入らない街らしい。
そして その部屋の中はグレーとか、ベージュとか中間色ばっかりのシンプルな部屋。
これだけで彼の性格設定が分かるというものだ。
彼は自分と物事の間には必ずワンクッション置いている。
彼の教師としての態度もそんな感じである。
学校の中で「センセイ」を演じる自分と、
生徒の好き嫌いや同僚の教師たちを辛口に観察しては、内心で本音を呟く自分。
まるで二重人格のように乖離した2人の自分を器用に使い分けながら、
優しいけれど冷たく、投げやりながら真面目に教師生活の日々を重ねる。
しかし桐原は本質的に優しいと思われる。
土地勘のない場所での家探しの際の不動産屋との駐車代の会話、
自分が親切にした相手との会話の中で、
相手に余計な気を遣わせないように会話を盛り上げようとしているのだ(空回るが)。
万事が面倒くさく、無気力を装って入るが、悪い人ではない。
そういう彼を主人公に据えているから物語は温度も湿度も適当に保たれる。
そんな世界が中間色の彼の視界の中に直接 飛び込んできたのが
ポスターカラーの服を着た女性に、紺色のミニクーパー、
そして かつて喉から手が出るほどに欲していた真っ赤なバイク・ヴェスパ。
冒頭のシーンの飲食店で居合わせたイエローのミニスカートの女性・小枝(さえ)。
何かと縁が出来る彼女だが、それが直線的に恋愛になるかというと別の話。
なんといっても「間接ワザ」の桐原なのだ。
ここでも彼女と自分の間には、彼女の年下の恋人というワンクッションが置かれている。
その年下の彼が現役の高校生だということも桐原にとっては大きなクッションか。
小枝の年下の恋人・涼(りょう)を学校の生徒のように冷静な目で観察し対応する。
桐原が彼を一人の十代の少年と認識し、二十代の大人として、男として向き合うのはまだ先のことである。
自分を客観視できる/してしまう桐原が主人公だから軽妙に読める作品だが、
教師という仕事の大変さが そこかしこに散見される構成に著者の巧みな手腕を感じる。
学校は行事に追われ、教師は日々仕事に追われる。
向き合うべきは多感で不安定な生徒たち。
生徒たちの学校外での生活トラブルも適切に指導しなければならない。
それをうまく処理できない教師もいる現実。
様々なタイプの教師を配置しながら、桐原が選ぶ先生像が少しずつ形成されていく。
教師という職業と長い間向き合っている人には、
桐原の無難主義も お見通しだと間接的に指摘されて、
桐原が大きく動揺するところに桐原の伸びしろを感じる。
また気安い間柄だと安心していた生徒が自分よりも善人だと分かって
再び動揺し、反省する桐原の姿も滑稽で、そして切実だ。
自分と仕事に改めて向き合い始めた桐原センセイはこれから先生として大きく成長するだろう。
もしかしたら桐原が塾講師から転職したのは、彼なりの変身願望だったのかもしれない。
講師として生徒や親から常に(不)人気投票のように監視され続けるよりも、
心持ちこそフワフワとしているが、センセイという職業になることで人と向き合いたかったのではないか。
更にその地の試験に合格しただけという理由ではあるが、
生まれ育った地元・親元を離れて一人で暮らしてみる、というのも
これまでの自分からの脱却と新生の一歩だったのではないか。
後半で明かされる桐原にとっての一つのトラウマ。
そこから彼は逃げ出したくなったのだろうか。
それとも縁もゆかりも無い土地で自分を鍛えなおしたかったのか。
彼は面倒くさがりだから本音は言ってくれないが。
終盤、物語はドミノ倒しのように次々と問題が起こる。
真面目な先生にも、不真面目な桐原センセイにも手に負えないような事態が連続する。
そこで浮かび上がってくるのは、面倒くさいとも言えなくなった桐原の本音。
困った時に助けてもらう人は誰なのか、
傷ついた生徒をどう救えばいいのか、
ずっと見ないふりをしてきた一線を越えるべきなのか、
桐原は一つずつ自分で答えを出していかなければならない。
冒頭から登場していたバイクや、足の震え、女モードの友人への忌避感など、
全てが桐原個人の体験に繋がっていく構成が見事。
名古屋を一緒に楽しみたい人がいるという結末も秀逸。
精神的には根無し草のように揺蕩(たゆた)っていた彼が、
働く場所として、生活の場として、名古屋の土地に根付こうとする証拠だろう。
生まれ変わる、というほど大袈裟ではないが、
本書は教師として自覚が出たという桐原の、静かな「宣誓」のように思う。
自分からは自分のことを多く語らない桐原が、
副担任として接する女子生徒・優花(ゆうか)の丁寧かつ適切な距離を保持したままの質問攻撃によって、
彼の個人情報が続々と漏出していく様が面白い。
その身長や兄弟構成とその職業などなどの個人情報が、
私たち読者にも桐原という人物を知る機会を与えてくれている。
舞台が名古屋なので名古屋の学校あるある が ちょっとずつ挿まれているが、
中でも、名古屋では放課後という言葉を使わないことに驚いた。
じゃあ東野圭吾さんのデビュー作『放課後』も、
名古屋では『授業後』に改題されるのだろうか(んなわけない)。