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少女漫画と小説の感想ブログです

今一人で旅立つ君を 受け止める勇気をくれるなら『月光浴』

月影ベイベ(3) (フラワーコミックスα)
小玉 ユキ(こだま ゆき)
月影ベイベ(つきかげべいべ)
第3巻評価:★★★☆(7点)
  総合評価:★★★★☆(9点)
 

転入生だが、町の伝統芸能”おわら”が堪能な蛍子。光は彼女が自分の伯父・円を好きだと知り、蛍子とつき合っているふりを始める。”おわら”を通じ近づく二人。しかし、円の秘密が発覚し、光たちの関係にも変化が…?

簡潔完結感想文

  • 伯父・円の同級生によってもたらされる円の秘密。それを知った光は…。
  • 気持ちを上手く消化できない光。そんな時、蛍子は偽装交際を解消する。
  • 離れたはずの2人だけど、おわらが、光がまた2人に関わり合いを作る。


それぞれが抱えているコンプレックスが明らかになる3巻。

伯父の円の同級生によって明かされる蛍子の母と円の不倫。
それを聞き光はショックを受け、伯父を問いただすが彼の反応は鈍い。
そして蛍子の口から、母・繭子はもうこの世にはいないと知らされ、光のやり場のない思いはただ伯父に向かい、あんなに大好きだった伯父を避け始める…。

この町の住人として初舞台を踏む蛍子
母が嫌いと言い切る蛍子は分かりやすいエレクトラコンプレックスですね。
どういう経緯かはこの時点では不明だけれど、母と同じ人を好きになった蛍子。
しかも母はもうこの世にはおらず、ずっと円の心をつかんだまま。
東京から転入してきた今が蛍子にとっての大きな機会。
母が愛し、母を愛した人は自分も同じように愛してくれるのだろうか…。

おわらはそんな母から教わった大切なもの。
だけどそれはいつだって憎しみと表裏一体の思い出。
母から教わったおわらを人前で踊るのは、家族の恥部や自分の密かな思いが外に出るようで嫌なのかもしれない。
なので笠を被って心を無にして踊る(緊張はするけど)。
笠を被れば繭子の踊りを自動で踊るロボット、笠を被らなければ蛍子のロボットダンス。

蛍子のきつくて、可愛げのない性格も彼女の苛立ちや恋が関係しているのかもしれませんね。
円くん以外は何の価値もないと思っているのかもしれない。
そして円が自分を母の代わりにすることはないことを、円を愛するがゆえに既に分かっているのかもしれない。
蛍子の独特なファッションも、今はこの世で一番似ていると言われたくない人ととは違う生き方の模索の一つの方法なのかもしれません。
まぁ、こじつければ何だって理由は付けられますが。


反対に光はエディプスコンプレックスかなとも思いましたが、その言葉はあまりしっくりとあてはまらないようにも思う。
どちらかというとファザコンの一種ですかね。

「何聞いても 受け入れる覚悟やから」と言っておきながら、それでも伯父を責めずにはいられなかった光。
それまでは憧れしかなかった人に、自分の知らない面、それも世間体の悪い面が明らかになることによって、気持ちの持っていきようを失っている。
思春期特有の潔癖さや、興味と裏腹の性への嫌悪など、現在の彼が嫌う要素が満載なのも良くないですね。

光にとって円は男として、おわらに携わる者として超えなきゃいけない壁なのだろう。
そんな伯父と、もしかしたら同じ女性を取り合わなければならないという状況は、やっぱりエディプスコンプレックスなのかなぁ。
伯父と命を懸けたりはしないでしょうけど、光なりの方法で伯父を超えなければ彼の思春期は終わりそうにない。

そんな伯父への嫌悪から伯父に関わる者として蛍子すら忌避する光。
そんな折、蛍子の方から偽装交際の解消を提案され、それを受け入れる。

この町の者として人との距離感を分かり始めた蛍子は、光という支えが要らなくなる。

ただ、この前後から一人の男と女としての関りが始まった。
蛍子のためにTシャツを貸し笠を用意する光、そしてその優しさに気づく蛍子。
この後の光の行動は彼自身の想いがこもった行動だ。
それは名実ともに健全な関係と言える。

光と蛍子の偽装交際とその終わりを知って、動き出しそうで動き出さないのが同級生・里央。
光が偽装交際が終わる頃に自分の胸に痛みを感じ出したように、里央の光への接近によって感情が波打つ蛍子という描写でも良かったように思うが、いささかベタ過ぎるのか、それとも蛍子が移り気な人になってしまうのか、その手段は取られませんでしたね。


9月の風の盆本番に向けて、この地区ではおわらのイベントが満載ですね。
連載も4年弱に亘って、現実世界の季節が目まぐるしく移り変わっているので気が付きませんでしたが、本書の作中時間は6月の体育祭前の練習から9月の風の盆本番までの、大雑把に言えばひと夏の出来事なんですね。
特に今巻の後からは過去の回想が多く、作中の光たちの出来事が少なく思えたのですが、3か月強の出来事で、そして練習に明け暮れていたとすれば、ちょうどいい塩梅かもしれません。
そしておわら風の盆にその側面は少ないみたいだが、お盆行事ならば、そこに今は亡き人は必要ですね。
読み返して見えることがとても多い作品です。
初読時は現世に固執しすぎた感じがあります。
再読では上手く肩の力が抜けて、2つの世界のあわいが見えた気がする。