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少女漫画と小説の感想ブログです

「なんとなく」という感覚を見事に著した堀江さんが、私は確かに好きなのである。

熊の敷石 (講談社文庫)

熊の敷石 (講談社文庫)

「なんとなく」という感覚に支えられた違和と理解。そんな人とのつながりはあるのだろうか。フランス滞在中、旧友ヤンを田舎に訪ねた私が出会ったのは、友につらなるユダヤ人の歴史と経験、そして家主の女性と目の見えない幼い息子だった。芥川賞受賞の表題作をはじめ、人生の真実を静かに照らしだす作品集。


程度の差はあるが、全体におフランスの香りが漂う小説。著者が仏文学者でもある事に深く関係していよう。とはいっても、3編とも主人公は日本人で、しかもどの人たちも小心者というか内向的というか典型的な日本人であって、彼らの心情や行動の理解を阻害するようにはなっていない。フランスは、歴史・文化の違い、空白の時間や距離、母国ではない不安感など、異邦人としての自分を引き立たせるためにあった、ように思う。
相変わらず私は文字の少ない小説が苦手で、学校の授業としての国語的な正解から大きく外れる感想を書くことに怯えている。それこそが文学を教科書的にしか読めていない証左なのかもしれないけれど…。それでも上記のような彼らのお陰もあり、「なんとなく」という感覚で心の機微などは伝わる。何よりも私は初めて読んだ堀江敏幸という作家を、その文章を既に好きになってしまった。文庫解説の川上弘美さんみたいに考察はできないけれど、修飾的な技術が勝ち過ぎない、流れるような文章と、それが生み出す雰囲気をたいそう気に入った。これからも読み続けます。理知的な人々が互いに寛容を以って会話を、善行を行うのだけれど、その背後には常に危うさが存在する。表題作から順に、会話に死が滲み出したり、理性が呑まれそうになったり、息を殺し続けなくてはなかったりと、石橋を叩いて渡らないとならない緊張感が徐々に顔を出す。さもないと、その緩やかな文章の流れが一気に人生を左右するような奔流になり、全てを壊しながら元いた場所から遠い場所まで運び去ってしまう危険がある。…とはいっても、そんなに緊迫する作品では決してない。遠い雷鳴の様に、「なんとなく」ピリピリとした予感を感じるだけである。
そして時をかける中年、の小説であった。若き日の自分を知っている者たちからのアプローチにより、自分や彼らの意識は過去へと飛んでいく。甘美な、または全く逆の思いを抱かせる記憶・思い出は、自分の胸を確かに叩いていく。それが親が子を眠らせる時のような安心を誘うものなのか、その者との関係の限界を知らせる警告音なのかは分からないが。
あと感想を書いていて気づいたが、全編に子どもが登場するという共通点もあった。彼らは無垢の象徴か。大人だから気づいてしまう数々の思いを持たない無邪気な子どもたち。主人公たちもかつては確かにそうであった存在。

  • 「熊の敷石」…本書の7割近くを占める表題作。級友・ヤンと再会しすぐにまた打ち解けるのだが、一晩で彼我の差を感じていく違和の到達点が苦しい小説。日没までのヤンの心尽くしの計らいと、日没後の主人公の仕事、ヤンの仕事、会話の全てが、ある方向性を持っていき空気が重くなる様子が手に取るように分かる。更に終盤で明かされる題名の由来のエピソードに、剣呑さが明確に出現する。互いに思いやりながら、それでいて会話は刃になり傷の痛みを感じる。多分、幸福な人の方が無自覚だ。つい自分のことを考えたり反省したりしてしまった。
  • 「砂売りが通る」…次の20年余りにおいて、この日の出来事は間違いなく幾度も思い返される記憶になるだろう。親友という防波堤はもうない。「姪っ子」という砂上の楼閣は幻想でしかなかった。過去も未来も圧縮されていながら、小説には語られない事を始めとした余白があり、そこに想像を詰めるのが楽しい。
  • 城址にて」…城つながり。本書は主人公の友人の姪っ子がいい。本書は過去に立ち返る話なので、小説の結末の後には無事な彼がいるという安心が生まれる。だけど当時の自分には人生の一大事のような災難で、今の自分にはない顔をしている。

熊の敷石くまのしきいし   読了日:2011年07月14日