- 作者: 五十嵐貴久
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2008/11/13
- メディア: 文庫
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梶屋信介は都内の工業高校に通う17歳。ちょっとしたことから人工衛星をつくることになった。といってもそんなの絶対ムリ!なので仲間を集めたが、その仲間が揃いも揃って変わり者ばかりときた…。冴えない毎日を冴えない気持ちで送っていたおれたち。でも、何かやらなきゃ何も変わらない。落ちこぼれ高校生たちが繰り広げる、たっぷり笑えてちょっぴり泣ける青春小説。
愚直なまでに直球勝負の小説である。無気力・無感動の毎日を送っていた当世風な高校生・梶屋信介(17)は、自業自得の所業から高校から退学処分を言い渡される。その退学宣告と学校側が抱える厄介事の解決とのトレードを受け入れたのが全ての始まりだった…。人生を左右する難局も持ち前の処世術でトントン拍子に乗り切ったと思ったら、色気とお金に目がくらみ彼は再び窮地に陥る。全くもって反省しない若者だ。袋小路に勝手に追い込まれた男は、解決しなければいけない問題=人工衛星の製作と、自分自身と闘い始める。その時点から本書は問題と真っ向から対峙するストレートな小説となる。
あれっ、人工衛星の製作? 書名に「ロケット」とあるから、と読書中の私と同じ事を思った皆さん。そうなのです。彼らはロケットを製作する訳ではないのです。書名はミスリード、※書名はイメージです、の世界なのである。いやぁ、すっかり騙されましたね。きっと正確な書名は『2005年のロケット(に便乗し、宇宙空間到達後に放出される「キューブサット」という10cm角の立方体の小型人工衛星を作ってみた)ボーイズ(&ガール)』であり、書名はその略、であるはずだ。私なら書名を『キューブサットを宇宙へポ〜イ!』にするのに(笑)
しかし私にとってはこの書名詐欺(?)問題よりも先に目に付いたのは、機械的に配置された登場人物たちと、マンガ的に描かれたキャラクタの造詣の方だった。各登場人物に担わされた役割は明白で、何もかもが先の読める展開になっており、事実、その通りに物語は進んだ。だから読書中の私は怒っていた。ロケットとか宇宙とか、私の好きなはずの世界がここにあるはずなのに、私の手のひらの世界からも飛び出ない。作者から放たれたボールは飽くまで直球のみで、速度もボールの縫い目の数まで見えそうなほど。だから私は手応えの無さ、その期待外れの内容に憤りを感じていた。そう感じていたはずなのだ、中盤までは…。
さて皆様はご存知だろうか? 野球における直球=ストレートというのは実は変化球とも言えるという事を(テレビ番組「目がテン!」知識)。ストレートは、普通にボールを投げた時に描く放物線よりも上に、より落ちないように回転をかけて投げる球種なのだ。心理を読まれていたのは私で、そんな風に直球勝負を甘く見ていた私はこの作品が描く放物線を完全に見誤っていた。物語の目標到達地点からして低く見ていた。手から伝わる残りページの厚みからして違和感が芽生えていたものの、彼らの見つめる視線の先は予想の遥か高みにあったのだ。色々な物に振り回されていた彼らが、自ら直球のボールを投げる事を決意した。肩が壊れても、ボールが逸れても、打ち返されてもいいから全力で投げる。そう、いつでも直球勝負だからこその感動が本書にはあった。根本的に主人公が諦念を抱えているからか、本書の描写は常時、淡々としていた。自分たちで歩き始める事を誓ったあの場面でも、クライマックスのあの場面でも、登場人物の心理描写には深く踏み込んでいかないし、余計な効果音を足すことで物語をドラマチックに見せかけたりはしない。しかし分かる、伝わるのだ。彼らが徐々に1つのチームとして団結して、1つとなった彼らの心情が、鼓動の高鳴りが、その胸の熱さが。それはストレートであったからこそ成し得た清々しい感動だった。
余談その1:本当に高校時代にロケットを作っていたのは『夏のロケット』の主人公たち。
余談その2:明確な描写はないが、主人公・カジシン(言い辛い)は中々の容姿をしていると思われる。