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人間は考えるFになる (講談社文庫)

人間は考えるFになる (講談社文庫)

文系教授(哲学)・土屋賢二と理系助教授(建築学)・森博嗣。発想も思考も思想も性質もまったく異なる二人が、6回にわたって行ったトークセッション。小説の書き方から大学の不思議、趣味の定義、友人は必要なのかという根源的な問いまでを軽妙かつ神妙に語りつくす。読むと学びたくなる絶妙「文理」対談。


いい加減に森博嗣の前で「文系」という単語を使わなくてもいいのではないか、と思う。森さんは、その分類は無意味だと思っているだろうし、「文理」対談という煽りも使わなくてもツチケン(土屋賢二)と森博嗣の対談というだけで興味を持つ人はいるだろうに。キャラづけという意味では対談の内容も作為的であると思われる。所々のツチケンの自虐ギャグに森博嗣が意も解さず冷淡に真面目な回答してるという構図を見せたいのか、どうも笑うべき所で笑えず、会話が乗らなくなっている作りになっている印象。なんだか、せっかくの二人の対談が台無し。個性を潰し合ってしまってる。これが実際の会話と一字一句も違わないならいいですけど。
それでも面白い所はいっぱいあった。学生の話・教育の話・性(差)別の話・家庭・趣味の話などなど。大学の先生が見る社会のまともな会話のスタンスの違いは面白かった。森博嗣のフリーなスタンスはやはり素敵に見える。ツチケンは女性蔑視入ってないかい?と思う箇所があったけど。本の作りも素敵である。森さんの友達、『奥様はネットワーカ』でもイラストを描いていたコジマケン氏である。かわいくて好きなイラスト。書き下ろし短篇の感想をそれぞれ。

  • 「消えたボールペンの謎/土屋賢二」…土屋教授はその日ゼミの後、教授室で昼ご飯を食べ、昼寝をした。その間にボールペンが一本無くなっていた。それは彼がゼミで100万円のボールペンだと言ったばかりの品だった。お金に困った学生の犯行か?地の文より会話が面白いですね。エッセイを少し長くしたといった感じでしょうか。実生活でもこういう事ってありそうな気がします。
  • 「そこに論点があるか、あるいは何もないか/森博嗣」…森と土屋と編集者3人の対談小説。長い注は何を意味しているのか?騙された〜。上手いな〜森博嗣。最後の数ページで、あれっ?と思ったけれどもう遅い。最初から読み直すハメに。所々に伏線の張られたよくできた短篇。特に注は秀逸。ウォーカロンって(爆笑)!!

人間は考えるFになるにんげんはかんがえるFになる   読了日:2005年02月03日