- 作者: 米澤穂信
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/06/26
- メディア: 文庫
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夢想家のお嬢様たちが集う読書サークル「バベルの会」。夏合宿の二日前、会員の丹山吹子の屋敷で惨劇が起こる。翌年も翌々年も同日に吹子の近親者が殺害され、四年目にはさらに凄惨な事件が。優雅な「バベルの会」をめぐる邪悪な五つの事件。甘美なまでの語り口が、ともすれば暗い微笑を誘い、最後に明かされる残酷なまでの真実が、脳髄を冷たく痺れさせる。米澤流暗黒ミステリの真骨頂。
本書の短編には幾つかの共通するコード(規定)が設けられている。まずは地方の名家と、その家が所有する館での出来事である事。家の者(多くは女性)と使用人の女性との関係性が描かれている事。事件とその動機。さる大学の読書会「バベルの会」と、その夏合宿。そして衝撃のラスト一行。作者は自ら課したコードを守りながら、ミステリとして様々なバリエーションの創出に挑戦し、成功している。ただし宣伝文句の「ラスト一行」が『真相を引っくり返す技』や『すべてがラスト一行落ちる』という言葉は明らかに誇大広告。正確には「ラスト一“章”」でそれは行われている。「ラスト一行の衝撃」は皮肉な味わいが増したり、それまでの伏線が活きてくる、という意味・程度であった。大げさな宣伝が読者をミスリーティングしてしまっている。そんな騙され方は一番歓迎していないのに。
「古典部シリーズ」や他著でも米澤さん作品には「お嬢様」が頻繁に登場するが、本書のお嬢様方はお嬢様という言葉が持つ大らかさや(良い意味で)世間知らずで天然の言動などの陽のイメージとは違う陰の面が描き出されている。彼女たちは地方の狭隘な世界で、自己よりも家柄や体面が重んじられる生き方を強いられてきた。土着の、一族の跡継ぎとして失敗は許されない。また、そこにあるのは持つ者と持たざる者との徹底的な差。しかし持つ者にはその重みを一身に背負わなければならない宿命があった。滅私奉公は使われる側の言葉だが、使う側も自分を殺して生きている窒息しそうな緊張感が全編に漂っていた。
その特殊な環境・人生はこの世界特有の動機を生む。それが本書の最後の共通点。余人には計り知れない思考や行動は彼女たちの処世術かもしれない。
- 「身内に不幸がありまして」…名家の跡継ぎの吹子と使用人・夕日は所持や読書を公言出来ない本で共に結ばれていた。一方で吹子の一族は毎年、不幸に見舞われていた…。なるほど、確かにラスト一行が衝撃的だ。作品の傾向が分からない一編目という事もあり衝撃は倍増。この特殊な動機には愕然とした。なるほど、バラバラに散らばって見えた物には意図が隠されていたのか。
- 「北の館の罪人」…母の死により本家を訪れた妾腹の子・あまり。あまりに言い渡されたのは別館で軟禁状態の異母兄の世話だった…。どう事件が発生するのか、誰が敵で味方か、誰が被害者で加害者か全く見当が付かない点が読んでいて楽しい。全編中、本編だけが使う者と使われる者に血の違いが(殆ど)無い。
- 「山荘秘聞」…住み込みの管理人として山の別荘で働く屋島。しかし所有者である一家は仕えて1年以上経っても別荘に訪れず…。この設定は某小説・映画を連想する人が多いのでは。本編の場合、本家は東京で舞台の別荘が地方である。そして登場するのは奉公人のみで、所有者は電話口のみの登場。またもや特殊な動機と謎解きは面白かったが、ラストは今ひとつ。口約束はゴメンよ。
- 「玉野五十鈴の誉れ」…十五の時に令嬢・純香の使用人として傍に付いた五十鈴。純香と五十鈴は立場を越えて交流を深めるが、一家に暗雲が…。最も好きな短編。このラスト一行は確かに衝撃的。といっても驚愕ではなく恐怖。排除し排除される関係に鳥肌が立った。ある伏線が怖い程に利いている。
- 「儚い羊たちの祝宴」…表題作。荒廃したサンルームで女学生が手に取った一冊の日記。そこには「バベルの会」の消滅の経緯が…。バベルは始めから崩壊が運命付けられていたのか。今回は由緒ある名家ではなく成金一家。だからか少し現代的な雰囲気を纏っている。本編だけは使用人というよりも料理人。雰囲気を壊すと思うが漫画『美味しんぼ』的なプロフェッショナルな世界。本編の動機は一線を越えて異常。これまでの日本的な品や慎みが失われているのが残念。