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クライマーズ・ハイ (文春文庫)

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

1985年、御巣鷹山に未曾有の航空機事故発生。衝立岩登攀を予定していた地元紙の遊軍記者、悠木和雅が全権デスクに任命される。一方、共に登る予定だった同僚は病院に搬送されていた。組織の相剋、親子の葛藤、同僚の謎めいた言葉、報道とは…。あらゆる場面で己を試され篩に掛けられる、著者渾身の傑作長編。


堕ちるはずのない物が堕ちるはずのない場所に堕ちた。多くの命を奪って…。
本書は航空機事故が発端にはなっているが、主題は事故そのものではない。未曾有の事故を前にした地方新聞社の記者たちの数日間を克明に描いた小説。横山さんの代名詞とも言える警察小説ではなく新聞社小説である。
事故発生直後、新聞社内の記者たちは奮い立つ一方で、史上最大の惨事と自分との関係を計りかねる。前代未聞の事故には、あらゆる経験則も役に立たない。それは全権デスクに任命された主人公の悠木も同じ。地方新聞社の規模に対して大き過ぎる事故、慣れぬ采配。本書は様々な温度差の話であったように思う。史上最悪の事故と、その実感が湧かぬ記者たち。新聞を書く者と売る者の違い。派閥の違い。職業への覚悟の違い。現場で地獄を見た者と、社に留まった者との違い。嵐の中で常に問われ続ける記者の資質。そして記者とは何か、地方新聞の役割とは何かという本質的な問い。新聞社に勤める者、組織の中で生きる者の桎梏。そして悠木の家庭には父子の温度差があった。
忙殺される毎日の中で、悠木は印象的な幾つかの出来事に眼を留める。重体の友人、初めて対面した遺族、千切れそうな息子との絆、そして過去の遺恨。そして、この着眼点こそが彼の視線・生き方であった。事故発生からの数日間が改めて自己を見つめ直すキッカケになった彼の導き出す答えとは…。
読書中ずっと息苦しかった。事故よりも新聞社という組織が。事故から日が経てば経つほど悠木の立場は苦しくなる。事故後、誰もが神経を磨耗していく数日で顕著になる派閥争い・嫉妬・誤解・過去。悠木にとって安息の場所はどこであるのか…。しかし酸欠状態に陥るからこそ、読者に「クライマーズ・ハイ」が待っていた。これまでの息苦しさが昂揚に変わる瞬間が突然訪れるのだ。私の目頭が熱くなったのは事故に対してではなかった。事故には恐怖や哀悼を感じたが、そこには涙しない。私が泣いたのは史上空前の7日間の中で初めて編集部の1つになった心を見た時である。彼らの中に同じ志が見えた時である。
所々に挿まれる事故から17年後の衝立岩登攀の描写が非常に効果的だった。この挿話は読者に未来を予感させる一方、新聞社の窒息状態から大自然の中での息抜きをする場としても有効であった。ラストでは物語という山を登りきった読者に二重のカタルシスを与える。ただし、ここまで酸欠に陥った錯覚を起こすような描写が続いたのに、17年後は全て悠木の理想通りの人事に落ち着いていたのは少し安易・御都合主義かなと思った。勿論このハッピーエンドは嬉しいし、これが事故からの7日間で得た社内の結束・意識改革の結果だとも言えるのだが。
読書中に登場人物たちの容姿が見てくる小説ではない。まず性格や立場から見えてくる。ただし爛々とした記者たちの眼は見えるようだった。精神が肉体を眠らせない昂揚感が文章全体から伝わった。登場人物の中では悠木の妻・弓子さんが素晴らしい。悠木が最後に彼女を形容する言葉も頷ける。

クライマーズ・ハイ   読了日:2008年12月27日