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美女と竹林 (光文社文庫)

美女と竹林 (光文社文庫)

「これからは竹林の時代であるな!」閃いた登美彦氏は、京都の西、桂へと向かった。実家で竹林を所有する職場の先輩、鍵屋さんを訪ねるのだ。荒れはてた竹林の手入れを取っ掛かりに、目指すは竹林成金!MBC(モリミ・バンブー・カンパニー)のカリスマ経営者となり、自家用セグウェイで琵琶湖を一周…。はてしなく拡がる妄想を、著者独特の文体で綴った一冊。


己の作家としての才能の枯渇を恐れた作家・森見登美彦氏は、お先真っ暗な人生を回避すべく別の生き方=多角的経営の夢を見始める。しかしこれは青年が大志を抱いた結果ではない。全力逆走の現実逃避である。その事を登美彦氏は十分に自覚しつつも、これまた全力でシカトし続けた。彼はある意味で強い精神力の持ち主なのだ。そして登美彦氏は人生を切り開くヒントは自分が惹かれる物にあるはずだ、と考えを巡らす。自分の好きな物…、それは「美女と竹林」!
想いだけでなく竹林への好意を具体的な行動を以って示すために登美彦氏は職場の先輩の女性・鍵屋氏の家が所有する荒廃した竹林を手入れを決意する。竹林を切り開けば経営者としての道も人生も切り拓ける、はず、と信じて。
本書は竹エッセイである。その目的は竹を刈る事、以上。しかし、登美彦氏が竹を刈るのは本書に収録の約1年半、全17回の連載でも竹林にいるのは4,5回だけ。しかも竹を刈るという単純作業の描写は初回を除いて以下省略。竹も倒さず企画倒れに終わりそうなこの連載を何で持たせたのか? それは登美彦氏の過去と未来と現実と妄想と詭弁であった…。
登美彦氏は苦渋の選択として自分と竹林との関係を虚実交えてポツポツを語ることで連載の体裁を整えようと画策する。けれど怪我の功名か、この逃げの一手が登美彦氏らしい、妄想が止まらない文章で「実に面白い」。エッセイとしても大学時代の思い出を始め、登美彦氏の個人的な過去が綴られている点は見逃せないところ。またユーモアセンスが高く思わず噴き出してしまった箇所も多い。
しかし読者諸君、連載が企画倒れだと登美彦氏を苛めてはいけない。登美彦氏は竹林に足を踏み入れない日々の連続を逃避だと考えている節があるが、そうではない。この連載開始直後から登美彦氏の作家として飛躍が始まったのだ。
第1回の連載で登美彦氏が現実から遊離したキッカケとなったのは『夜は短し歩けよ乙女』の最終話の大団円の方法に懊悩していたからだった。そんな生みの苦しみを経てこの世に生まれた『乙女』だったが、その後独り歩きし、読者に愛され、直木賞本屋大賞にノミネートされた。そして遂には山本周五郎賞をも受賞する。更に登美彦氏は、憧れの美女との対談・TV出演まで果たし、その後も着々(?)と作品を発表して順風満帆ともいえる作家人生を歩み始めた。そもそもこの連載も仕事だ。作家生活の限界を感じていたのにも関わらず、人気作家の道を歩む登美彦氏。多角的経営を目指した竹林は、逆に遠ざかっていく一方。本書は登美彦氏の言い訳の裏に、彼の活躍も読み込めるのだった。
本書には同僚・友人・編集者と多くの登場人物が出てくるのだが、私は竹林の所有者、鍵屋一家のキャラクタがとても好きだった。同僚である鍵屋氏の登美彦氏に対するドSっぷり(登美彦氏の被害妄想の中では更にエスカレート)。そして登場する度にケーキを作ってくれる鍵屋氏の御母堂の連載への反応や御尊父の落ち着き。更には最終回にも鍵屋一族が滑り込みで総登場し…。
実は連載はまだまだ荒れた竹林を残したまま最終回を迎える。それでも登美彦氏は、それなりの大団円を用意してくれた。連載中は多忙を極めたであろう登美彦氏だが、その文章は変わらずに泰然自若としている。本書こそ読者にとって、登美彦氏がかつて夢見た「机上の竹林」になるのではないだろうか。

美女と竹林びじょとちくりん   読了日:2008年10月29日