- 作者: 宮部みゆき
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2002/11/01
- メディア: 文庫
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毎年、九月末になると「白河庭園」で行われる、虫聞きの会。もう二十年近くも続いているという、そんな風流な催しに、僕が行く気になったのは、一にも二にもクドウさんのためだった。毎年家族で訪れているというクドウさんと偶然を装って会うはずだった。それなのに…。殺されたのはクドウさんの従姉だった。事件は思いがけない方向に進んでいき無責任な噂があとを絶たない。僕は親友の島崎と真相究明にのりだした。大好きな彼女は僕が守る。
シリーズ最初の巻が「僕」を中心に「僕」の家族の大騒動を描いた作品なら、今回は相棒の島崎の回。ただ島崎の回といっても縦横無尽に動き回るのは「僕」こと雅男である。今回、島崎は動かずとも聡明であるが故の苦悩、ミステリでは探偵役の苦悩を独りで背負う事になる。先を、裏を見通す能力は時に見たくない景色まで人に見せてしまう。それは社会の裏側、人間の裏の顔。
うわぁ、この結末は苦い。島崎が一歩先に、雅男も最後に見えたのは思春期特有の、まだまだ未熟な人間たちの身勝手な姿である。未熟な人間の、想像力不足からの自己愛や悪意なき悪意が人を不幸に誘い込む。読了すると題名がとても痛い、というより痛々しい。本書の登場人物(広い意味での被害者)たちは皆、色々な事に想像力が足りなくて、そしてその不足にも気づいていない。自分が誰かを傷つける可能性なんて「夢にも思」っていないのだ。そして、それとは逆に無自覚な悪意の連鎖を見通せてしまう島崎は、人が不幸になる事を、それを阻止できない自分の無力を、誰よりも現実的に痛感する。それは中学生には重過ぎて彼の表情を失わせる。この辺りのテーマは好きだったのだが、しかし…。
うーん、好きな宮部作品の中でもこのシリーズだけはしっくりこないのは何故だろう。文章や構成は上手いから読みづらいという事はない。特に後半は息継ぎもせずに読んだ。そのぐらい後半の展開、雅男と島崎の間に生じた壁の問題は眼を逸らさせないものだった。雅男・島崎の良過ぎる物分かりも物語の為だと目を瞑ろう。ただ、読書中ずっと引っ掛かっていたのは雅男たちの強引な事件介入のさせ方と、田村警部の対応への疑問。前巻は雅男の家族の事から始まった事でいわば当事者だったが、今回は片想いの少女が巻き込まれただけの事件。恋は盲目だとしても、こんなに事件を深追いする必然性を感じないし、警察側からしたら無関係に近い雅男になんで情報を開示するかと疑問に思った。事件と雅男たちとの乖離と、それをなんとか強引に結び付けようとする作者の姿が見える気がした(もちろん、あの結末への為というのは分かるし、両者を結び付ける事に苦労したのだろうが)。また、まだまだ子供の雅男たちが対峙するオトナの世界を垣間見る事として、少女たちがオトナに利用されている売春組織の事を描いたのかもしれないが、雅男たちの清々しい精神と合うものではなかった。オトナの理屈を知っていく年頃であっても、雅男たちが入り込むべき世界ではない気がするのだ。もっと他の事件で彼らの活躍が見たかったなぁ…。