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ラットマン (光文社文庫)

ラットマン (光文社文庫)

結成14年のアマチュアロックバンドのギタリスト・姫川亮は、ある日、練習中のスタジオで不可解な事件に遭遇する。次々に浮かび上がるバンドメンバーの隠された素顔。事件の真相が判明したとき、亮が秘めてきた過去の衝撃的記憶が呼び覚まされる。本当の仲間とは、家族とは、愛とは。


道尾作品読了2冊目。読了1冊目の『向日葵の咲かない夏』では、夏の強烈な日差しの中で体温を奪い去る冷たい汗を流すような作風だったが、本書の季節は冬。主人公・姫川は冬の悪い面ばかりを体現して生きるような人間である。彼の世界はいつも寒々しく乾燥している。23年前に相次いで自宅で死んだ姉と父、彼らが姫川に残した言葉たち。そして母は23年前の出来事に囚われ続け、それ以来自分を見ようともしない。お互いの傷を埋めあうような仲であった恋人とは、互いの背信に気づきながらもその事について言及もしない冷え切った関係である。そんな関係の終止符は、その恋人の死によって打たれるのだが…。
作者にしてやられたミステリ。中盤まで倒叙式のミステリかと思ったぐらい、犯人(だと私が思っていた人物)の行動は見え透いているし危なっかしい。これでミステリとは笑止!とまで思っていたのだが、それもこれも後になってみると恥ずかしい裸の王様。事件の真相を知っているであろう主人公・姫川の捜査官に対する口出しや、不用意な捜査の進捗状況の探り出しなどにはハラハラさせられていたのだが、それもこれも作者の掌中にいる孫悟空。オラ、ワクワクしてきたぞ。
現代の事件・23年前の事件ともにその構造はとてもシンプルである。どちらの事件も犯人がいるのならば、容疑者候補は各3人ぐらいしか思い当たらない。だから当て推量で読んでいても、犯人を名指しできる可能性はある。しかし重要なのは主人公・姫川が果たした在りし日の父親と同じ役割の方なのである。23年前のあの日の事件の全貌・背景が細部まで再現できた時に、姫川の心で『思い出とダブる映像』、そしてその瞬間、理解した23年前の父の言葉の意味。父と子、彼らはどうして、どういう気持ちでそのような行動を取ったのであろうか。
真相への伏線、というよりも終盤に事件を二転三転させるための用意が周到。途中のどの推理にも一見、齟齬が無いように出来ている。これは事件の構造がシンプルであるからこそ、このような二転三転する結末を用意できるのだと思う。事件関係者各人が心の中で描いた事件という一枚の「絵」。事件という一つの同じ被写体でありながら、見る角度、見る人の心理によって色々な物にも見える。そして「絵」を見る時には、いつも自分という主観が存在する。
心理学の本を一冊齧って覚えたような用語をテーマに据えてミステリを上手く構成している(悪口にあらず)。主人公が思い描いた2つの事件の「絵」、そして後半に幾度も描きかえられるその「絵」。母が姉の絵ばかり描いて過去に立ち止まる意味、姉が見た宇宙人など、心理学的にも視覚的にも「ラットマン」の要素が各所に活かされている。事件がシンプルだからこそ、視点が変わって各人のバイアスがかかった事件の「ラットマン」効果が理解し易い。事件を複雑にし読者を混乱させる事なく、ただ驚きに満ちた作品を完成させる、という点に素直に感心した。
事件の決着として、ラスト一行はなかなか良かったと思う(偉そう)。

ラットマン   読了日:2008年05月06日