- 作者: 道尾秀介
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/06/27
- メディア: 文庫
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盗聴専門の探偵、それが俺の職業だ。目下の仕事は産業スパイを洗い出すこと。楽器メーカーからの依頼でライバル社の調査を続けるうちに、冬絵の存在を知った。同業者だった彼女をスカウトし、チームプレイで核心に迫ろうとしていた矢先に殺人事件が起きる。俺たちは否応なしに、その渦中に巻き込まれていった。謎、そして…。ソウルと技巧が絶妙なハーモニーを奏でる長編ミステリ。
書名は『片眼の猿』だが、「耳」の話である。主人公は千里眼ならぬ千里耳、もしくは地獄耳の持ち主として探偵業界の有名人。その「能力」は大きな道路を挟んだ向こう側のビルの会話を聞き取れるぐらい。彼の耳は常にヘッドフォンもしくは帽子で覆われている。そこには彼が「隠したい秘密」があるらしい。そんな彼は仕事中に、その「耳」で殺人事件を目撃ならぬ耳撃してしまい…。
いきなり結論から言うと殺人事件の真相はイマイチ。特殊な「耳」を持つ主人公が偶然に「耳撃」してしまうという設定は面白いが、だからと言って「耳」からの情報を全て鵜呑みにしてしまうのには脱力(誤解する要因があったとはいえ)。そして事件発生後も自分が抱える一つの心配事ばかりに気を取られ、近視眼的になって周囲が全く見渡せなくなる主人公にも失望した。ハードボイルド気取っているが、彼の能力的な弱さばかりが目立ち、中途半端な人物像に成り下がってしまった。優し過ぎるハードボイルドこそ、人間的で本書の結末に繋がるのだろうが…。
一方で読書の面白さは堪能できた。読書中、読み手は文字情報以上の情報・世界観を想像力・思考を使って増幅させているのだな、という事が実感できた一冊。私が一番驚いたのは、作者の世界観と私の中の世界観のギャップだった。本書の中では犯人もミスリードされているのだが、それ以上に世界観そのものがミスリードされていて、いつの間にか作者によって本書の世界とは違う私が勝手に想像していたパラレルワールドに迷い込んでいた。私はてっきり「能力」があると言う前提のミステリだと誤認してしまった。しかし飽くまで本書は「ある世界」の話ではなく現実の話だった(それだとトウヘイの存在が不自然に浮き上がるが…)。夢から覚めるように本来の世界に戻される感覚は非常に楽しめた。
ただし大きな花火は一発も打ち上がらない花火大会みたいだとも思った。細かい仕掛け花火は幾つも登場するし、その小さな花火一つ一つにも職人芸が注がれているのは分かるのだが、やはりカタルシスは少なく燻る思いも残った。
本書は先入観の話、だろうか。結論は真っ当なご意見だが、どの設定も驚きのために用意されたという感覚がどうしても拭えなかった。設定を感動に昇華し切れてないというか…。特に主人公の名前の設定なんて「それが言いたかっただけで付けたでしょ」と作者のメンタリティを疑い、怒りすら感じてしまった。
読書中、伊坂幸太郎さんの初期作品を連想した(特に『オーデュボン』)。他人に対しては無感動・無慈悲で、身内にだけ寛容という態度が似てるのかしら。同じ痛みを負った者だけが手を取り合って、それが愛にもなるというのはある意味で安直かな。世間が嫌悪を示すのなら、私も手を振り払おうとしているようだ。結果的に狭い世界に逃避しているだけの気もするのだ。