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坊っちゃん (新潮文庫)

坊っちゃん (新潮文庫)

松山中学在任当時の体験を背景とした初期の代表作。物理学校を卒業後ただちに四国の中学に数学教師として赴任した直情怪行の青年”坊ちゃん”が、周囲の愚劣、無気力などに反撥し、職をなげうって東京に帰る。主人公の反俗精神に貫かれた奔放な行動は、こっけいと人情の巧みな交錯となって、漱石の作品中最も広く愛読されている。近代小説に勧善懲悪の主題を復活させた快作である。


恥ずかしながら、初・夏目漱石。今更ながらの、坊っちゃん
予想の数倍面白く、予想の数倍隙の多い作品だった。何と言っても面白かったのは、一事が万事、「難しい事は分からないからさぁ、相撲で決着付けようぜ。相撲強いヤツが正義(意訳&誤訳)」という感じの直情径行の主人公・坊っちゃんの造形。とても文豪の作品の主人公とは思えない。喜怒哀楽が明確なので読者はその行動が理解しやすいが、社会人としての適正はゼロで心配の種が絶えない。だからいつの間にか私も、幼い頃から坊っちゃんを世話してきた下女の「清」の目線で彼を見守っていた。坊っちゃんの長所も短所も承知しつつ、彼には自分を貫いてほしいと思っているのだ。それが出来ない自分の代行者として、かもしれないが。正しい事・弱い者の為には自分を賭して戦える、それが幼い頃から彼が自然に出来る、そういう強く優しい人なのだ、私の坊っちゃんは。
また単純明快な内容に加え、江戸弁を操る坊っちゃんの口調で語られているのも小気味良い作品のテンポを生み出していた。常に喧嘩腰の様な坊っちゃんの口調が文章に勢いを生んでいる。音読しても気持ちが良いだろう。
しかし名作なのに隙だらけである。解説にもあったが、勧善懲悪が主題なのに、悪を成敗したはずの坊っちゃんたちの方が結果的には敗走している様にも読めるのだ。そもそも悪を陥れようと練った計画に隙が多すぎる。当世風に、密会の証拠写真を写メでパチリ、即座にブログで公開というわけにはいかないのは分かるが(笑)、この方法は不味い。この方法と結果では天誅というよりも私怨を晴らしただけ。これこそ暴行事件だ。カタルシスには程遠い。またマドンナの存在も謎。彼女は2人の男性の間を揺蕩い、結局、坊っちゃんや内容からすれば「悪」に傾きかけている人物なのだが、一向に魅力が見えてこない。俗な言い方をすれば女っ気の無い本書の華であるはずなのに、悪女である。あれ、この女性に現実感が希薄な特徴って誰かと共通しているな、と思い考えたら、東野圭吾さんだった。何考えているのか分からない、物語の都合上必要なだけの女性像なのだ。
しかし、その説明不足や行間の広さがかえって文学の研究対象として面白いのかな、とも思った。200ページ弱の短い作品ながら、本書は色々な視点から語られるだけの価値・大きさは感じる。特に、実は序盤で波乱万丈な人生を送っている坊っちゃんの性格形成に興味が湧いた。母に次ぎ父も亡くなり、兄とは疎遠。独りで生きていく決断を迫られながら、成熟過程をすっ飛ばしてしまった坊っちゃん。はっきり言ってマザコン気味。離れてから募らす清への慕情は微笑ましかったけれど。
当初、田舎・学校の閉鎖性という二重苦の職場環境や生徒の悪戯にあい神経を磨り減らした坊っちゃん先生だが、長く勤務していれば結構人気の教師になったのは間違いないだろう。山嵐が生徒から人気があるのはやはり彼が「善」の存在だからで、坊っちゃんも同じだと思われる。人間的に大人になりきれてはいないが、偽りの無い彼の姿勢こそ、生徒から見た理想の教師だろうに。
そして最後の「坊っちゃん」の使い方が面白かったですね。なるほど、彼はどこへ行っても坊っちゃんなのか、と。蔑称であり愛称であり本質を見事に表した呼称で、そして日本文学の歴史の中で燦然と輝く秀逸な題名だと思う。
余談:清(きよ)を失うから、坊っちゃんの職業は教師(きようし)。なんちゃって…。

坊っちゃんぼっちゃん   読了日:2010年03月18日