- 作者: 北森鴻
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2003/06/01
- メディア: 文庫
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そのデパートの屋上では、いつも不思議な事件が起こる。飛降り自殺、殺人、失踪。ここに、何があっても動じない傑物がいた。人呼んでさくら婆ァ、うどん店の主である。今日もPHSの忘れ物が一つ。奇妙なことにそれが毎日、同時刻に呼出音だけ鳴るのだ。彼女の手が空いた時間帯に、まるで何かを伝えたいかのように…。屋上の名探偵さくら婆アの奮闘ミステリー。
文庫版の表紙には「長編推理小説」とあるものの、この作品は「連作短編小説」と呼ぶ方が相応しいだろう。長編推理というのには物語を繋ぎ合わせる横糸が若干弱い(この辺り以前に読んだ『顔のない男』に似ている)。本書は横糸である各短編が前の短編とどこかしらが繋がっている。この構造を見て私は本書の横糸は「返し縫い」がされているという印象を受けた。縫い返される事によって縫い目は補強され丈夫になる。まぁ、ちょっと強引に縫われた部分もあるのだが…。
デパートの屋上という一種の楽園を舞台にしながらも内容は救いが無い。北森作品は結構残酷なのだ。前述の「返し縫い」の例えではないが、どの登場人物たちも次々と不幸の連鎖に絡め取られていく様は読んでいて陰鬱となった。ミステリとしてのカタルシスよりも小説としての遣り切れなさが勝ってしまい、その点で眉を顰める部分も多かった。特に「SOS・SOS・PHS」は悲し過ぎる。
各短編の語り手は屋上にある物たちである。「稲荷の狐」や「観覧車」「ベンチ」などなどが、それぞれ語り口や性格を変えて屋上での事件を語る。物が語り手になるミステリは最近では平山夢明さんの『独白するユニバーサル横メルカトル』の表題作が有名か。物である彼らの語り口を借りる事によって、事件の哀しさが一層引き立ったり、登場人物の内面が見え隠れしたりする。さくら婆ァを始め登場人物がぶっきら棒な人たちだから、彼らの心の声を代弁する者として、また人間の善悪を語る客観者として物たちの存在意義は大きい。この手法によって作品の読み応えが増している。また単純に読者の頭の中にあるデパート風景に物が一つ一つ加わり、一つの世界が完成される様も面白かった。
(番外編を除いた)さくら婆ァが登場する最後の短編で、物語という布の横幅は全て縫われ、物語は起点まで縫い返される。同時にさくら婆ァとあの人も時間が止まってしまった日時と場所まで戻される。全ての始まりはやはり屋上。題名通り一貫して屋上の物語であった(事件は屋上から離れていったが…)。ただ前フリの長さから言うと、淡白な真相で締まりのない感じも否めない。
本書を通じて感じたのは作者の若者への嫌悪にも近い感情。確かに出版された99年前後は10代の若者の犯罪などで取り沙汰されたけれども、それにしても若者の描き方が一方的過ぎるな、と思った。まぁ一番の乱暴者としてに描かれているのは主人公のさくら婆ァたちなんだけれども(苦笑)