《漫画》宇宙へポーイ!《小説》

少女漫画と小説の感想ブログです

悟りを開いて結跏趺坐(けっかふざ)の主人公に代わって、悪役が物語をかき乱す。

好きっていいなよ。(6) (デザートコミックス)
葉月かなえ(はづき かなえ)
好きっていいなよ。(すきっていいなよ。)
第06巻評価:★★★(6点)
  総合評価:★★☆(5点)
 

まえとは違うあたしの声、伝わってるでしょう? ――学校一のモテ男・黒沢大和(くろさわやまと)とつきあい中の橘(たちばな)めい。なかなか自信が持てないでいためいは、めぐみの策もあって大和やみんなとすれ違い、人を失う怖さに足がすくんでしまう。そんなめいは海(かい)の励ましのおかげで、再び積極的になれるのだけど、海から思いもよらない話が……!? 大人気、リアル初恋ストーリー!!

簡潔完結感想文

  • 海。親友に遠慮することなく好意を伝える男気。大和もまた恐れるべき相手ではないのだ。
  • めぐみ。努力は必ず報われる。モデルの地位も女性の幸せもフライングゲットだよッ!
  • 大和。殴りかかったのに殴られる。次の話で何事もないかのように遊園地デート。ダサッ!

クールカーストの身分を自分の努力で変革していく 6巻。

相変わらず転校生の めぐみ、訳あり新入生の海(かい)の話が続く。

めぐみ の暗躍期間も長く、ちょっと冗長かな、と思うところもあるが、
作者としては、早くも物事を悟りきってしまい、
個性がなくなった めい よりも動かしやすい人なんだろうな、と思う。

実際、めぐみ というキャラを登場させなかったら この辺りで本書は息切れしていただろう。
更に後半は、もう別の漫画にすればいいのに、と思うほど めぐみ特集が組まれる。

体感としては半分ぐらいは めぐみ の物語なんじゃないかと思うほど。

めぐみ は 長短 どちらの意味でも向上心をもって動いてくれる人だから、
物語に躍動感を もたらせてくれる。

更に作者が巧みなのは、めぐみ にもイジメられていた過去があると設定したことだろう。

これによって、めぐみ は単に容姿に恵まれた者ではなく、
自己改革を実現したことによって、自分の人生を拓いてきた者になった。

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広く愛されるために自分を変えた めぐみ。だからこそ ありのまま愛される めい を敵視する。

私が思うに、本来これは めい が行うべき改革だったのではないか。

本来は、めぐみ ほど強烈な手段ではなくても、
めい が過去や周囲の人間と対峙しながら成長する過程として描かれるものだったかもしれない。

でも めい は、早い段階で理想の彼氏を獲得し、
女性としての喜びに耽溺し、そして恋によって意識を変えてしまった。

そして上述の通り、どんどんと悟りを開いて、人に説教する立場にまでなっていってしまった。

そんな めい の急成長は作者自身も誤算だったのではないか。
これでは、これ以上の主人公の成長が見込めない。

ということで、創られたのが下剋上を地でいく女性・めぐみ。

自己プロデュース力の高い彼女に、
努力によって得られる地位と、そこからの風景を見せてもらおうとした。

しかも めぐみ は主人公ではないから、下剋上をする手段も好悪どちらの面も使うことが出来る。

物語としては めい の代打ではあるが、
めぐみ がいたからこそ、思いもよらぬ展開が生まれたのも事実。

これは作者にとって予想外の僥倖だったのではないだろうか。


ぐみ にとって めい は かつての自分の残像なのだろう。

そして 何の努力もせずに、王子様の彼女というステータスだけを得ている許せない存在。

暗い子は愛されない、地味な子は好かれない。
そんな めぐみ が見つけ、脱却した真理を覆すような存在。

だから、これまでの自分の努力が間違っていないことを証明するための象徴として大和が浮かび上がる。

大和は自分に相応しい男、そして努力を否定するような めい の彼氏。
二重の意味で大和の偶像を欲する めぐみ だった。


この前後の巻が面白いのは、めぐみ が憎むべき めい と同じ過去を持っていること、
そして、めい と海もまたイジメという経験が共通していること。

それはすなわち めぐみ と海もまた、=(イコール)で結ばれるという事実。

めぐみ と海は めい を巡って、憎しみと好意という正反対の立場におり、
お互いの行動を監視・牽制する場面が多いが、
実は彼らもまた共通の背景を持つ者同士だという隠れた図式が浮かび上がる。

そして海もまた自分の人生を自分で変革してきた者なのである。

努力家同士だからこそ、認め合う部分もあって、
それでも対立軸があるために、非難し合ってしまう2人。

この2人が分かりあう日が来るのも楽しみですね。


んな努力家の海を牽制する人がもう一人。それが大和である。

『5巻』では、めい の行動に戸惑い、距離を置いてしまったが、
今回は、自分の不安を認め、めいとの距離を縮めようとするのだが、
めい の隣には海がいて…。

大和の お子様伝説 再び、って感じですね。
この段階で大和に夢中な人って どれだけ残っているのでしょうか。

殿上人だったはずの大和は、いつの間にか等身大の高校生になってました。
それは とてもリアルでいいのですが、ちょっと人間的に せせこましいぐらいになってる(苦笑)


更には大和の怒り方は非常に好ましくない。

彼女の横に海がいることを見た途端に、第一声から彼女を責めるような言葉を吐き出す。

既に人間としての器の小ささが露見してますね。

めい にも落ち度はあったかもしれないが、
自分は過去に女性の家に上がり込み、食事をした過去があるということを都合よく忘れているかの言動。

根底は可愛らしい嫉妬かもしれないが、この怒り方は大和に幻滅する。


そして問題はここからである。
大和という人間に大きな疑問符を突きつける展開。

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自分の欠点を指摘されたら殴りかかる。怒りをコントロールできない幼い人間がここにいる。

『5巻』での大和の冷淡な行動を海に指摘され、
そこから中学時代から変わらない大和の日和見主義を海によって断罪されると…。

八方美人の大和くん、怒りの余り殴りかかります!

この場面、海はもう弱い自分を克服しており、
腕力の面でも大和を超えた という描写なのだろうけど、
大和が殴りかかる心理がよく分からない。

海が大和への感謝の裏にあった本音を語りだしたら、殴りかかる って逆ギレ⁉

中学時代、身体が小さく力が弱かったが故に暴力によってイジメられた海。

そんな海に暴力を振るうという心理が分かりません。

これは『5巻』で大和が混乱して めい を無視し、距離を取った時も思ったこと。

大和というのは理不尽な暴力やイジメを受けた人の気持ちを、
少しも考えられない人なんだな、と改めて思わざるを得ない。

中学時代も、そして『1巻』当時の大和も、結局イジメを看過していた。

大和の実態って八方美人の、空虚な男なのではないだろうか。

これまでも、これからも彼が成長することはないような気がする。

めい は義理人情に厚そうだから、自分から別れるなんて出来ないだろう。

そして大和は自分の浅はかを自覚しないまま、彼女を大事にすることが自分の使命だと思うだろう。

自分が彼女の世界を広げるどころか、彼女を縛り続けていることに気づかないまま。

本書は学校一のモテ男に惚れられるという夢物語どころか、
学校一 成長の見込みのない男に囲われる話かもしれない。

人の問題に首を突っ込みたくない ”センセイ” が保つ 面倒くさソーシャルディスタンス。

([あ]6-1)学校のセンセイ (ポプラ文庫)

([あ]6-1)学校のセンセイ (ポプラ文庫)

「そうなんだよ。面倒なんだよ。教師って」
なんとなく高校の社会科教師になってしまった桐原。行動原理はすべて「面倒くさい」。適当に教師生活を送ろうとするものの、なぜか周囲の人間たちが彼に面倒ごとを持ちこんでくる。酔うと“女モード”に変身する友人、素行不良の生徒に、一方的な好意を寄せてくる生徒、神経質すぎる同僚の教師に、ヘンな格好をした隣人……。小説すばる新人賞作家が描く、誰よりも“教師らしくない”青年の、誰よりも“センセイ”な日々。笑って泣ける新しい青春小説の誕生!

人公は社会科教師・桐原 一哉(きりはら いちや)。男性、年齢は26歳。

彼は何事においても「直接」がない男である。

例えば彼には教師になる前には2年間、
地元の埼玉で塾講師をしていたという職歴がある。

教員免許は持っていたが、新卒で直接 教師を志望したわけではなかった。

2年間の塾講師生活の後、全国各地の教員採用試験を受け、名古屋で受かったため、
その地の私立高校で教師となり 勤務2年目である。

教師としての仕事は副担任で、
一歳年下の先輩教師・永野(ながの)のサポート役。

部活動の割り当ても副顧問で、顧問の永野に比べ真面目さが足りない。

名古屋で飲みに出掛ける間柄の友人・中川(なかがわ・女性)は、
同じ高校の同級生だが、在学中は直接の面識がなく、
名古屋に赴任することになってから友人に紹介してもらった。

更には居住地の住所も勤務先の名古屋市内ではなく、市にはギリギリで入らない街らしい。

そして その部屋の中はグレーとか、ベージュとか中間色ばっかりのシンプルな部屋。

これだけで彼の性格設定が分かるというものだ。
彼は自分と物事の間には必ずワンクッション置いている。


の教師としての態度もそんな感じである。

学校の中で「センセイ」を演じる自分と、
生徒の好き嫌いや同僚の教師たちを辛口に観察しては、内心で本音を呟く自分。

まるで二重人格のように乖離した2人の自分を器用に使い分けながら、
優しいけれど冷たく、投げやりながら真面目に教師生活の日々を重ねる。

しかし桐原は本質的に優しいと思われる。
土地勘のない場所での家探しの際の不動産屋との駐車代の会話、
自分が親切にした相手との会話の中で、
相手に余計な気を遣わせないように会話を盛り上げようとしているのだ(空回るが)。

万事が面倒くさく、無気力を装って入るが、悪い人ではない。
そういう彼を主人公に据えているから物語は温度も湿度も適当に保たれる。


んな世界が中間色の彼の視界の中に直接 飛び込んできたのが
ポスターカラーの服を着た女性に、紺色のミニクーパー
そして かつて喉から手が出るほどに欲していた真っ赤なバイク・ヴェスパ。

冒頭のシーンの飲食店で居合わせたイエローのミニスカートの女性・小枝(さえ)。
何かと縁が出来る彼女だが、それが直線的に恋愛になるかというと別の話。

なんといっても「間接ワザ」の桐原なのだ。

ここでも彼女と自分の間には、彼女の年下の恋人というワンクッションが置かれている。
その年下の彼が現役の高校生だということも桐原にとっては大きなクッションか。

小枝の年下の恋人・涼(りょう)を学校の生徒のように冷静な目で観察し対応する。
桐原が彼を一人の十代の少年と認識し、二十代の大人として、男として向き合うのはまだ先のことである。


分を客観視できる/してしまう桐原が主人公だから軽妙に読める作品だが、
教師という仕事の大変さが そこかしこに散見される構成に著者の巧みな手腕を感じる。

学校は行事に追われ、教師は日々仕事に追われる。
向き合うべきは多感で不安定な生徒たち。
生徒たちの学校外での生活トラブルも適切に指導しなければならない。

それをうまく処理できない教師もいる現実。
様々なタイプの教師を配置しながら、桐原が選ぶ先生像が少しずつ形成されていく。

教師という職業と長い間向き合っている人には、
桐原の無難主義も お見通しだと間接的に指摘されて、
桐原が大きく動揺するところに桐原の伸びしろを感じる。

また気安い間柄だと安心していた生徒が自分よりも善人だと分かって
再び動揺し、反省する桐原の姿も滑稽で、そして切実だ。

自分と仕事に改めて向き合い始めた桐原センセイはこれから先生として大きく成長するだろう。


しかしたら桐原が塾講師から転職したのは、彼なりの変身願望だったのかもしれない。

講師として生徒や親から常に(不)人気投票のように監視され続けるよりも、
心持ちこそフワフワとしているが、センセイという職業になることで人と向き合いたかったのではないか。

更にその地の試験に合格しただけという理由ではあるが、
生まれ育った地元・親元を離れて一人で暮らしてみる、というのも
これまでの自分からの脱却と新生の一歩だったのではないか。

後半で明かされる桐原にとっての一つのトラウマ。

そこから彼は逃げ出したくなったのだろうか。
それとも縁もゆかりも無い土地で自分を鍛えなおしたかったのか。

彼は面倒くさがりだから本音は言ってくれないが。


盤、物語はドミノ倒しのように次々と問題が起こる。

真面目な先生にも、不真面目な桐原センセイにも手に負えないような事態が連続する。

そこで浮かび上がってくるのは、面倒くさいとも言えなくなった桐原の本音。

困った時に助けてもらう人は誰なのか、
傷ついた生徒をどう救えばいいのか、
ずっと見ないふりをしてきた一線を越えるべきなのか、

桐原は一つずつ自分で答えを出していかなければならない。

冒頭から登場していたバイクや、足の震え、女モードの友人への忌避感など、
全てが桐原個人の体験に繋がっていく構成が見事。

名古屋を一緒に楽しみたい人がいるという結末も秀逸。

精神的には根無し草のように揺蕩(たゆた)っていた彼が、
働く場所として、生活の場として、名古屋の土地に根付こうとする証拠だろう。

生まれ変わる、というほど大袈裟ではないが、
本書は教師として自覚が出たという桐原の、静かな「宣誓」のように思う。


自分からは自分のことを多く語らない桐原が、
副担任として接する女子生徒・優花(ゆうか)の丁寧かつ適切な距離を保持したままの質問攻撃によって、
彼の個人情報が続々と漏出していく様が面白い。

その身長や兄弟構成とその職業などなどの個人情報が、
私たち読者にも桐原という人物を知る機会を与えてくれている。


舞台が名古屋なので名古屋の学校あるある が ちょっとずつ挿まれているが、
中でも、名古屋では放課後という言葉を使わないことに驚いた。

じゃあ東野圭吾さんのデビュー作『放課後』も、
名古屋では『授業後』に改題されるのだろうか(んなわけない)。


飛鳥井 千砂あすかい ちさ  学校のセンセイがっこう          読了日:2020年12月21日